四十日目
上天気。木々の間から見える空は澄み渡り、太陽が遠く見える。息を吸うと、冷たい空気をまざまざと感じられた。
今日は冷える。そろそろこの服装が辛い季節になってきたようだ。
森の緑も冴え冴えとしているように思われた。
そういえば、今日は珍しく猫と起きる時間がかち合った「おはよう」と声をかけると、あくびをしながら「オアオウ」と返してくる。寝ぼけているせいか、いつもと違い声を発することに躊躇がない。
それに、アクセントが以前よりも正しい気がする? これは気のせいかもしれない。
猫は挨拶のあと、すぐに狩りに出た。
この世界の冬を知っているためだろう、彼はよく働いてくれる。彼も疲れているはずなのに、文句も言わずに毎日狩りに出て、ほとんどの場合にきちんと獲物を捕らえてくる。が、備蓄に回す余裕まではなかなか出てこない。
一人で二人(鳥も含めて三人?)分のまかないをしているせいもあるだろう。やはり無理があるのだ。現状の私は猫の足を引っ張っている。
猫の負担軽減のためにも、私自身の食の当てを急いで探さなければ。冬になれば野草を探すことも難しくなる。植物が枯れる前に、野草を摘みに行く必要があるだろう。
しかし一方で、体力と気力のあるうちに肉体労働の領分を進めておきたいという考えもある。
体調不良は回復の気配を見せず、少しずつ体力が削られていると実感する。動けなくなる前に、猫にはできないことをしておくべきだ。
あまり悩みすぎる前に、行動を開始する。
広く穴を掘れる場所を探して回ったが、現在の寝床から近く、川からも適度に離れた場所となると、やはり畑の周辺しかない。仕方ないからここに決める。
畑周辺は若い木がまばらに生えている程度で、木が根付いている様子はあまりない。下草は茂っているが、これくらいなら刈ることもできるだろう。若木の根を掘ることには苦心しそうだが、他の大木に比べれば相当にましなはずだ。
思えば、ここだけ木があまり生えていないのはなぜだろう?
草が生えているからには毒性の土壌というわけでもないだろう。地中の深いところに、根付きにくい地盤でもあるのだろうか。まあ、私としてはありがたいことである。
家の建築場所と目するに当たり、空地の中央を陣取る畑が邪魔になる。発芽したての二十日大根に手を入れるのは忍びないが、畑を手で慎重に掘り返し、もっと端に植え直す。
丁寧に移動させたつもりだが、せっかくの双葉がどこか力なく萎れているように見えた。罪悪感を覚える。
気を取り直して空地中央に戻る。落ちている枝を拾うと、おおよその家の大きさを考えながら地面に線を引く。
人型の大きさで二人、鳥一人、火を焚く場所。最低限これだけのものが入るサイズ。あとで穴の大きさは広げられることを考慮し、おおよそ三畳強の長方形を描く。狭すぎるか?
立って半畳寝て一畳という言葉が思い出される。二人で二畳。焚火のスペースを思えば、本当に最低限だ。
暮らすことを考えると狭いが、掘ることを考えるとかなりの大きさに思える。それも、自分の体が収まるくらいの深さだ。どれほどの時間がかかるのか。
だが、それでもやるしかない。やるしかないのだ。
周辺の草をナイフで刈り、むき出しの地面を手で掘れるだけ掘ってみる。
表層の土は、草の根が張り巡らされていてやや硬いが、ナイフと併用しながら根を引き抜くと次第にほぐれていく。根の抜けた地面は柔らかく、手で掻きだすことも難儀しない。
そのまま勢い数十センチ程度掘っていくと、手では掘れない固い層が出てきた。石の類も混じり、掘っていた指の先に鈍い痛みが感じられ、一時中断。
手を引き抜くと、血が出ていることに気がつく。慌てて水でゆすぐ。傷口に砂粒が入り込み、取れない。痛む。
やはり、素手で掘り進むのは無理があるようだ。このあたりで一度、寝床に帰る。
ほうぼう考え、結局なにかそれらしい道具を作ることにした。
地面を柔らかくするには、それほどたいそうな道具が必要なわけではない。要するに鍬と同じく、地面に突き立てられるだけの鋭さと、そこから固い土を抉るだけの頑丈さが備わっていればいい。
そこら辺に落ちている枝を物色し、加工を試みる。
長さ一メートル弱、私の腕くらいの太さで、そこそこにまっすぐな枝を見つけるのにしばらく。枝の内部が腐っていないことも確認する。
本当は乾いた枝が良かったが、それなりの太さとなると、森で見つけられるのは生木だけだった。おそらく乾燥する前に腐敗が進行してしまうのだろう。それでも乾燥した細枝より、頑丈な太枝の方がいい。
見つけた枝の表皮を削ぎ落とし、持ち手と先端に当たる部分に印をつける。持ち手は片手でつかめる程度の太さに。先端は扁平に尖らせる。イメージは大きなノミだ。扁平にするのは、接地部分を広くするため。広ければその分、抉ることのできる地面の幅も広くなる。
ここに至るまで、失敗を数回。加工しやすい細枝で試作してみたが、どれも力を込めると簡単に折れる。生木でも乾燥したものでもこれは変わらなかった。学んだのは、条件として私の体重をかけられる太さが必要であるということだ。
水気が多く、繊維質な枝の削り出しに苦労している間に、いつのまにか猫が帰ってきていた。私の様子をずっと観察していたようで、不思議そうに覗き込む猫に気づいたときには心底驚いた。時間を忘れていたようだ。あたりもすっかり暗くなっている。
とりあえず挨拶として、「おかえり」と声をかけた。「オアエイ」と母音だけの声が帰ってくる。
ここでは、「おかえり」ではなく「ただいま」が正しい。鳥越しに伝えるが、今一つ理解できない様子だった。
猫の狩りの成果、やたらと大きなねずみめいた動物を解体、食事。
食後、猫は早々に寝床に丸くなる。私も水で口をゆすいで、あともう少しこの日記をつけたら眠るつもりだ。
それにしても疲れた。
今日はひたすらに作業をしていた気がする。進捗はさておき、夢中になって手を動かし続けた。
余計なことを考えず、不毛に悩まず、やることをやった。この感覚。
充足感だろうか?
今日は非常に心穏やかだった。いや、焦る気持ちや冬への不安はあるのだけれども。
それ以外のことを考えなくて良いということが。なんと言うべきか。
上手く言葉に記すことができない。
、
…………
……ああ、そうか
楽だった。
気楽だったんだ。