三十八日目―三十九日目
三十八日目
食料:
○猫の狩り
×漁(狩りよりも効率が悪い。濡れることによるリスク、猫は寒さと湿気に弱い)
△食用植物探し(ただし猫は肉食、鳥は基本的に昆虫食らしく、実際に食べられるのは私だけになるだろう。食料集めに対する猫の負担を多少は減らすことができるか?)
(備考)薬草の類をのぞき、植物を食べる習慣が猫にはない。鳥も、稀に果樹をつつく程度という。ただし、どこにどんな形の草が生えているのかはおおよそ覚えているらしい。
食性が違うということを思い知らされる。頼りは博士のスケッチだ。頭が働かないなどと言ってはいられない。解読を進める。
そういえば、川でジーンズを洗った際、布地にトマトの種が数粒付着していたことに気づいた。博士の家で、腐ったトマトに触れた手をジーンズで拭った記憶がある。きっとあのときに付着していたのだろう。
夏に実がなるのなら、植え時はおよそ春あたりか。よく乾燥させ、春まで保存しておくことにする。これもいずれ、なにかの足しになってくれるかもしれない、
住処:
×小屋(単純なものも作れそうにない)
×洞くつ?岩くつ?(ない)
×テントのようなもの
→大きめの布があれば→小さな布でも、針と糸があるから縫い合わせられる?
→でも越冬は無理(外気を遮断できない。雪や風で壊れそう)
(備考)一般的な家を想像することをまずやめる。
道具はナイフのみ。人間の生活を基準に考えてはいけない。不可能だ。
人間以外の生物、野生動物はどうやって冬を越す? 人間と同じくらいの大きさで、真似できそうな生態の生き物は。
熊?
熊か。彼らは冬の間、完全に冬眠をせずに巣穴で過ごす。睡眠で低体温を保つものの、いわゆる冬眠の仮死状態にはならないらしい。
穴を掘ることならできるかもしれない。柔らかい土なら、最悪素手でも。
いや。
そもそも柔らかい土だと穴が崩れる。
穴を掘っても、天井だけは別に作るしか。
いやしかし
いや
どうするべきか。良案が浮かばない。
猫鳥に相談するが、彼らにもピンとくるものはないらしい。洞窟暮らしだったということは、彼らにはまだ、建築の文化が不要だったのかもしれない。
三十九日目
晴天。日増しに風が冷たくなる。体の震えが収まらず、手足の末端が小刻みに痙攣する。
寝床の傍の焚火は、今日も燃え続けている。相変わらず猫が夜通しの番をしているのだろう。彼の小刻みな睡眠は、火を絶やさないためなのかもしれない。そう考えると、熟睡していないのではないだろうか?
猫はまだ、寝床で丸くなって尾を振っている。起きたら、彼に火の番の交代を申し出てみるか。
火に薪をくべ、畑へ向かう。
畑にて。二十日大根の芽が出ていることに気づく。
まだ種を被ったまま、ひょろりと伸びた小さな芽もあれば、すでに立派な双葉を広げているものもある。昨日の段階では芽の出る気配もなかったというのに。
見た瞬間、感動に打ち震えてしまった。声もなく胸を押さえ、高鳴る心臓の音を感じる。地球からの同胞がここにいる。大げさだが、そんな風にさえ思えた。
慎重に水やりをし、親愛の念を込めて双葉を撫でる。もっとも、いずれは食べるつもりなのだが。
寝床に戻ってくると、寝ていた猫がいなくなっていた。また出かけたらしいことを鳥から聞く。
朝にも思ったのだが、彼はかなり無理をしているのではないか? 人間なら倒れてもおかしくない状況だろう。そのうちゆっくりと休ませてやりたい。
と思うものの、猫に頼りきりの現状では不可能だ。どうにかして今の環境を改善するしかない。
さて。
一人になったので(鳥もいるが)、とりあえず穴掘りを試してみた。
寝床近くの地面を手で掘り返す。湿った枯葉を払いのけ、濡れた土を掘ってみると、案外柔らかい。素手で掘れないことはない。
と思ったが、すぐに木の根に行き当たる。このあたりは木々が密集していて、どこも木々の根が絡み合い、地面に張っているのだ。
これは手の出しようがない。ナイフで根を切ることも試してみたが、傷をつける程度が精いっぱいだった。
しばらく周辺を掘ってみたのだが、数十センチも掘らないうちに根か岩か、手では掘りがたい固い土か。なにかしらに当たる。
指が痛くなってきたので焚火に戻り、手帳を開く。
何か書いているうちに、アイディアが浮かぶかもしれない。思いついたことをメモしてみよう。
まず、木々が密集した場所は掘れない。この森は割合鬱蒼としているので、広い場所など川原か、あの畑くらいか。
しかし逆に、頑丈な木の根の下に穴を掘れば、壁や天井が崩れてくる心配はないだろうか?
いやいや、猫と私が入れるような大きさの穴では、掘っているうちに木が倒れる。だいたい、根の下では火が焚けないだろう。生木だから可能性は低いだろうが、燃え移るということも
そうか。そもそも火を焚くだけの広さが必要だ。冬場の暖を取る必要がある。
そうなると、熊の巣穴は狭すぎる。野生動物と同じに考えるのは無理があったか。
しかし、一から家を組み立てることもできない。
穴を掘るということ自体は、そう悪い考えではないはずだ。壁を土で代替すれば、あとは天井だけを考えればいい。
天井以外は穴の下と考えると、かなり大きく掘らなければいけない。素手で。いや、簡単なものでもいいから道具が欲しい。スコップ。地面をほぐす、鍬のようなものでもいい。
作る?
作る手間と効果は釣り合うだろうか? 手で穴を掘った方が早かったなどという惨事は起こらないだろうか? だいたい、どうやって作る?
道具、道具。としばらく考えていたが、妙案浮かばず。思い浮かぶのは金属製の現代的なものばかりだ。釘か金槌でもあれば、だいぶ違っていただろうが、不満を抱いても解決はしない。
唸っていると、鳥が怪訝そうに「どうしたの」と尋ねてきた。樹上から降りてきて肩にとまったので、ちらりと見やる。
彼も疲れているのか、いつもよりも羽毛の艶が悪い。毛羽立っているようだ。
このあたりで、猫がナイフを慣れた手つきで使っていたことを思い出す。
道具を使う、ひいては道具を作る習慣がある。この可能性に思い至り、鳥に相談してみた。
結論から言えば、否だった。
「穴? 手で掘ればいいじゃない」
とのことだ。穴掘りはかなり原始的な行為のように思えるが、ならば猫たちは何の道具を使って、何をしているのだろうか?
聞いてみた。かなりあいまいな問いだったらしく、鳥も返答に難儀していたが、だいたい以下のようなことを教えてくれた。
まず、使用しているのは主に石器だ。ごくごく単純な、石を砕いたようなものである。
石器はナイフとして、獲物の体を裂くために使われる。武器には使用しない。武器は、猫自身の爪と牙があるからだろう。森の中であるせいか、この周囲には大型獣も生息していない。わざわざ武器を獲得せずとも、猫原人たちはこの地域に君臨することができたのだ、と推測する。
一方で、獲物の解体に石器を使うのは、毛皮を取るためだそうだ。丁寧な作業が要求されるため、爪ではなく用途に合わせたナイフを使用するらしい。とはいえ所詮は石を砕いただけであり、多少形状が違うとか、大きさが違うといった程度のものだろう。
毛皮は猫たちの大事な保温材だ。洞くつの壁や床に貼り付け、石の冷たさを遮っているらしい。イヌイットの氷の家(イグルー?)を思い出す。あれも氷雪でできた家の内部にアザラシの革を張り着けて、屋内の温度や湿度を保っていたと聞く。
猫原人の文明を元の世界に当てはめると、旧石器時代あたりだろうか。
土器の類はまだ存在せず、住居も洞くつなど、自然にあるものを利用するのみ。肉食動物ということもあり、採集や栽培は未発達だ。
一方でコミュニティや宗教観があり、魔術師・戦士と言った役割の分担がある。雌雄の別は明確に存在せず、子供と大人の差は存在する。戦士は優秀な狩人と言ったところだろうか。魔術師は精霊に関わる特殊な立場。
この精霊にまつわる部分が、元の世界の文化発展と、おそらく一線を画している。特に言葉。これだけの社会性を持ち、言葉が未発達であるのはやはりアンバランスだ。
精霊がいなくなってしまえば、彼らはどうやってコミュニティを保っていいけるのか?
精霊がいなくなる?
どこか、何かのタイミングでそういう時期が来るのかもしれない。
言葉を教えたいのは、その時のため、いや、わからない。考えても結論の出ることでもない気がする。
やめよう。この世界では精霊もまた自然現象の一種だ。あるいは生命を超越していると自称するのなら、彼は空気か、風や雨のようなもの。
雨が降らない世界や風の吹かない世界を想像するなんて、不毛なだけだ。
考えているうちに猫が戻ってきた。
すっかり暗くなっている。少し考えるつもりが、夢中になっていたようだ。
それとも居眠りしていたのか? ところどころ、意識が飛んでいる。
余計なことを根を詰めて考えすぎたのだ。これで一日、昨日と合わせて二日も浪費している。試行錯誤も必要なことだが、今は無駄な思考が惜しい。
不要な考えを捨てろ。考えることを止めろ。悩むだけだ。悩みはこの世界で、ろくなことを引き起こさない。
今までずっと、そうだった。