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二十四日目

 上天気。やや風が冷たい。朝方は風が乾いていたが、昼を過ぎた今は湿気を含んでいるように感じられる。

 猫が帰ってくるまで行動を起こせないため、今のうちに手記をつけておく。



 七時前に起床。早いと思ったが、猫はとっくに目覚めていた。焚火の火を絶やさないように、几帳面に枯れ葉を足している。あくびをしながらそれを見ていると、猫がにゃあと手を上げた。

 挨拶のように思えたので、「おはよう」と返す。「オ」と猫が繰り返しかけたが、続く声は出なかった。「お」の形の口をしたまま耳を垂れさせる。よくわからないといった様子だった。

 立ち上がろうとして、一瞬めまいがする。今日も朝から体調が優れず、食欲はない。

 体調不良が長引くのは、おそらくろくに食事をしていないせいだろう。猫とともに偽兎を焼き、半ば義務感でもって飲み下す。


 食後、猫は寝床を出てどこかへ向かった。出かけ際になにやら鳴いていたので、行き先でも告げていたのだろう。が、通訳がいないために理解できず。

 猫が去り、一人取り残される。無線機が通じないのを確認したあと、日向に干しておいた枝の様子を見る。

 雨の水気が飛び、折ると乾いた音のする枝を選んで回収し、ためしに火にくべてみる。枯れ葉よりは火持ちがよさそうだ。しばらく、枝の日干しは続けようと思う。


 そんなことをしていると、鳥が帰ってきた。とてつもなく気まずそうな様子だった。

 最初に気づいたのは、火遊びをしつつ手帳を開いている時だ。

 焚火を挟んで反対側の木の影に、こっそりと窺う鳥の姿があった。訝しげに睨んでいると、おずおずといった調子で近づいてくる。鳥の表情なんてわからないが、確実に怯え、しょぼくれているのは理解できた。

 鳥は飛ばずに、小さな足でよたよたと私の前までやって来た。それからこう言った。

「会いたい?」

 会いたい。だが、相手次第でもある。以下、鳥と問答する。



 鳥から聞き出したことによると、どうやら相手は一人らしい。鳥の関知する森の外で暮らしており、ここからは少し距離があるのだとか。他の精霊の管轄下にあるため、鳥は一度か二度、ちらりと見たことがあるだけだと言った。

 顔や体のつくりは私と似ているが、やや色味や顔立ちが違う。髪は灰色、鳴き声は低く、おそらくはオス。何度かこの世界と元の世界を往復していたが、最近は帰る気配が見られないらしい、と他の精霊から聞いたことがあるそうだ。


 その人物の元まで、ここから徒歩で二日ほど。今の私の足なら、その倍はかかってもおかしくない。かなりの距離がある。

 簡単には行き来ができず、また、必ずここに戻るとも言い切れない。もしも会いに行くのであれば、その前に一度猫と話をするべきだろう。


 会いに行く。上の文を書きながら、鳥が最初に言った言葉を思い出す。

「会いたい?」、と言われれば間違いなく会いたかった。

 元の世界と往復をしていたということは、転移装置の扱いに慣れているはずだ。装置自体も、私が使っていたものより完成されているかもしれない。

 元の世界に帰れるかもしれない。書きながら、少し手が震える。なにが起こるかわからない。期待しすぎないようにと思うのだが、気持ちは抑えようがなかった。


 最近は帰る気配がないというのは気になるが、それはつまり、少し時間をかけて会いに行ったとしても、無駄足にならずに済むということでもある。

 それに、相手は一人。万が一のことがあってもきっと大丈夫だ。会いに行って悪いことになるとは思えない。

 元の世界に戻れるかもしれない、そうでなくとも、人間に会うことはできるのだ。



 鳥との問答では上記の他に、「なぜ逃げたのか」と「なぜ黙っていたのか」を聞いた。実に単純な返答だった。

 怒られると思うと、怖かったから逃げたのだと言う。

 黙っていたのは、人間がいるとわかると、猫と一緒に居てはくれないだろうと思ったかららしい。

「君は、やっぱり同じ人間と一緒に居たいと思うでしょ? 他の人間がいたら、あの子を置いて行っちゃうでしょ? 特に、ちょっと前までの君は、僕たちのこと嫌いだったでしょ?」

 鳥はやはりこわごわと、私に対してそう言った。

 違いないと思った。鳥は私の声から、意思を読み取っているのだ。おそらくは言葉の中に、知らずに感情が漏れていたのだろう。たぶん、全部筒抜けだったのだ。


 猫が帰ってきた。手帳を閉じる。残りの問答は、あとでメモにでもして残しておく。





 結論から言えば、その人物に会いに行くことになった。猫があっさりと、移動することも人と会うことも認めたのだ。

「移動するのは苦じゃない。同族に会いたいのは、猫も人間も同じだ。ただしここの火は、以前のように分けて移動してほしい。だって」

「ついてきてくれるの?」と思わず尋ね返してしまった。猫は当然だというように鳴いた。鳥が通訳する。

「精霊が連れてきた生き物を守るのが、今の自分の役目だ。仲間と会って自分と君とが別れることになるのなら、きっとそうして仲間の元に送り届けるまでが、自分の役目だったのだ、って。僕は、そんな役目を与えたつもりはないけどなあ」

 猫は本気で言っているようだった。出かけるのなら明日にでも。なんなら今からでも構わない。そんなことを鳥越しに伝えてきた。面食らう私に、鳥がこっそりと囁いた。

「あの子も、ずっと仲間に会いたかったんだよ」

 だから、孤独な私に自分を重ねているのだろうか?

 猫の親切さに、妙に罪悪感を覚える。



 出立は明日に決まった。早めに寝ることにする。

 が、寝床に入ってから眠れず、手帳を取り出す。

 住処や食料を、これ以上心配しなくていいのだ。せっかく探した場所も、火を焚くために集めた木の枝ももう不要だ。もう二度と、こうやって枯れ葉の中で眠ることもなくなるのだろう。少しくぼんだ、ゆりかごみたいな形の寝床は、他の場所に比べて少しだけ気に入っていた。

 住処、火、食料。

 ずっと何が大事か考えてきたが、おそらく定住するうえで最も重要なのは、住処だ。この場所に手を入れ、住み良くしてしまうと、きっと離れがたくなっていただろう。

 愛着がわく前に移動できてよかったのかもしれない。

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