十七日目
私は人間だ。
私は高度な文化と社会性を持った人間だ。そのことに誇りを持っている。
私は獣ではない。
吹き降りの雨に震えて、地面にそのまま寝込んで、手が血にまみれて、獣と寄り添って眠るような。そんな生き物ではないはずだ。
私は人間だ。
人間であることに誇りを持っている。
そう思い込むことが、私が人間として生きている唯一の奇る辺なのだ。
曇天。変わらず雲は厚いが、雨の気配は遠い。
現在、午後の四時を過ぎたころ。早くも周囲は薄暗くなっており、手記を書く手元も暗い。だが、懐中電灯はない。リュックもない。すべて投げ出してきてしまった。
今は一人だ。猫の元を飛び出して、木の根元に座り込んでいる。持っているものはこの手張とペンのみ。これだけはきっと、死ぬまでの供となるのだろう。
ここまでの経緯を、以下に間潔に記す。あまり冷静ではないため、事実だけを書くように怒める。
目覚めたのは昼過ぎ。猫も私も遅い目覚めだった。疲れ切っていたのだ。
起きてすぐに痛み止めと解熱済を水で流し込む。すでに慣例化し初めている行偽だが、必要だったかはわからない。痛みはすでに失せ、全身に疼くような摩痺だけが残っていた。
猫は起き抜けに、私ににゃあにゃあと鳴きかけた。何か伝えようとしているようだが、なにを言っているのかは理解できなかった。
しばらく、猫は鳴いていた。私の手を取り、「にゃあ」「ふにゅう」「むー」と鳴き方を変えるが、それでも意図は通じようもない。
因惑していると鳥が来た。猫の頭にとまると、当然のように通訳する。
「お礼を言っているよ。感謝している、命の恩人だ。この恩は、必ず返す、って」
それが、何のきっかけになったのかはわからない。
瞬間、頭に血が昇ったことを覚えている。今まで長いこと頭をもたげていた、消化しきれない感情が爆発したのかもしれない。
「にゃあとしか言ってないじゃない!」
そう叫んだ。鳥が警いて羽ばたく。猫がぎょっとした様子で、また「にゃあ」と鳴いた。獣の声が耳障りだった。
「人間なら言葉で礼をする。相手に理解できる言葉でだ。ありがとう、本当に感謝しているのなら、私のこの日本語で、そう伝えるはずだ!」
だいたい、こんなことを言った。鳥が私の言葉を受け、猫に囁きかける。「ありがとう、と言えだって」
「にゃあ」
「ありがとう、だって」
私の耳には鳴き声にしか聞こえなかった。そうだ、この時は気がつかなかったが、これは鳥が私と猫の間で意訳してしまったからかもしれない。「ありがとう」を日本語としての音の並びではなく、「感謝の意を示す言葉」と認識してしまったのではないだろうか。
なににせよ、この時の私には許しがたかった。「にゃあ」ではなく、「複唱せよ」と迫る。ありがとう、の「あ」。
「ア」
猫は戸惑いながら、口を開いた。次は「り」
「ニィ」
それを聞いて、私は笑った。笑いながら猫を罵った。「けだもの!」「畜生!」そんな感じのことだ。所謂は獣、人間とは違う。声帯のつくりだって、そもそも異なるのでは? そうなると同じ言葉を交わすなんて不可能だ。
こんな生き物のために必死になっていた自分が滑稽に思えた。夜の森を走って、化け物を殺して、火傷して、虫を潰して、血と泥で汚れた手を何とも思わなくなっていた。ただこの獣のため。猫を生きるよすがにしていたのだ。
こうして自分は、この猫と同じような獣に堕ちていくのだ。この生活にいずれ馴れて、人間であることを忘れていくのだ。そう思うとたまらなかった。
ひとしきり猫に罵声を浴びせると、私はその場を飛び出した。
逃げ出したと、言った方が近いかもしれない。
笑いながら奇声をあげ、森を走る私の姿は、きっとまさしく獣だっただろう。
ここがどこかはわからない。力尽きて倒れたのがこの場所だっただけだ。
森はどこも同じ色をして、同じ景色が続いている。もう、猫の元へ戻ることは敵わないだろう。私も立ち上がる気力さえ湧かない。
夜になれば死が待っている。今夜は生きても明日か、明後日か。いずれ必ず死ぬ。
そう孝えると、少し頭が怜えてきたように思う。猫には悪いことをした。あの生き物はあの生き物なりに、私に良くしてくれたのだ。言葉が通じないのは、今回ばかりは幸いだっただろうか。
もう会うこともない。忘れてくれるといい。私もそのつもりだ。
私は人間だ。獣とは共に居られない。私は人間だ。そうだろう?
私は怜静だ。私は洛ち付いている。今は隠やかな気分でいられる。私しは獣じゃない。野生生物のようには生られない。そうだろう? 私はまだ人間だろう?
返事はどこからも帰えってこない。私が人間であると、誰も保障してくれない。
いや。私が。私が保障する。私しは人間だ。そうだろう? そうだろう? そうでしょう? ? ??????
??????? ???? ?
復を下だした時よりも、一人で弧独にいた時よりも、今が一番死を真近に感じられる。
私は人間だ。
今はただ、どうやったら最後まで人間らしくいられるのか。それだけを孝えている。