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十一日目

 十一日目。夜頃やや快方に向かう。猫のおかげだ。今までも彼のおかげで生きていられるのだという認識はあったが、これほど実感したのは今回が初めてだ。

 まだ寒気がして節々が痛む。熱下がっていないようだし、できるだけ手短に昨日から今日にかけてのことを書いておこう。




 まずは昨日。一昨日飲んだ生水に、どうやらあたってしまったらしい。寝込んだまま動けなくなる。


 朝。目が覚めるとひどい腹痛に襲われる。熱も出ていた。手足が震え、下痢と嘔吐により体から水分という水分が抜けていく。

 喉が渇いてたまらなかった。とにかく水を飲もうと透明なボトルを見て、気づく。

 昨日は澄んだ水だったはずなのに、細い糸のような虫がくねくねと水の中をうごめいている。光に透かすと、他にもふわふわと漂う小さな何かが浮いていた。背筋が寒くなるような光景だった。

 ここで、水にあたったのだと気づく。原因がわかると、一層具合が悪くなるものだ。痛みに悶絶し、熱があるのにひどく寒かった。

 猫と鳥は、おろおろと私を窺っていた。どうしたのかと尋ねられたので、私は呻きながらも「水にあたったらしい」ということと、「川以外の水が飲みたい」という旨を伝える。腹痛もさることながら、喉の渇きが辛かった。

 その後、戸惑う猫たちを横目に、腹痛に悶えながら眠りにつく。


 次に目覚めた時には、おそらく昼を過ぎていたと思う。体調は悪化していた。

 眠っていただけなのだから、よくなるはずはない。下痢によって栄養も全部流されただろう。自力で回復する見込みはなかった。

 寝床に猫はいなかった。鳥がいて、私に言伝を残したのだが、ここは記憶が曖昧だった。意識がもうろうとしていたのだろう。その鳥もすぐに飛んで行ってしまう。

 たしか、このあたりで手帳を開いたのだ。薬も飲んだらしいが、記憶には残っていない。リュックの中に救急セットをひっくり返した形跡があるだけだった。


 それからは寝たり覚めたりを繰り返した。

 猫はしばらく帰ってこなかった。目覚めるたびに一人であることに、私は恐怖を覚えていた。

 野生動物の群れは、弱い個体を見捨てることがある。わざわざ助け、養っていくだけのメリットがないからだ。体の弱いものや怪我をしたものは、群れの移動などについていけず、自然に淘汰されていく。

 私は見捨てられてしまったのだ。

 また一人になってしまったのだと失望する。今までで一番深い絶望だったように思う。

 体調不良に精神が引きずられたのか、不安が体力を奪ったのか。この時は具合が悪化していくばかりだった。



 再び意識が戻ったのは、日が暮れかける頃だった。ざらりとした猫の舌に起こされる。頬を舐められていたのだ。

 薄く目を開けると、猫が珍しく息を切らしていた。横たわっていたはずの私は、どうやら猫に支えられ、半身を起こしているようだった。

 猫の頭には鳥がとまっていた。「にゃあ」と猫が鳴き、鳥がいつものように訳した。

「水だよ」

 猫が手にしていたのは、私の持つ水のボトルだった。ボトルには水が半分ほど。それを私に突き出し、飲むように促す。

 川の水だとは思いつつ、喉が渇いていたため口にする。喉を滑り落ち、体に満ちていく水の味は、甘く感じられた。


 ボトルの水を飲み切ると、猫がどこからむしってきたのか、何枚かの葉を口に押し付けてきた。

 こちらはおそろしく不味かった。青臭い葉の中に何かを包んでいるのか、噛みつぶすと口の中に塩っぽい生臭さが広がる。気色悪さに吐きそうになるも猫に口を押さえられ、やむなく飲み込む。

 猫と鳥は私が飲み込むのを見届けると、さらにどこかへ行こうとする。その姿を見て、私は反射的に猫の体にしがみついた。一人でいるのが怖かったのだ。

 猫は私を無理に剥がすような真似はせず、立ち上がりかけた体をそのまま寝床に戻した。

 それでも私は、猫の体を離さない。座る猫の脇腹あたりに頭を押し付ける。

 猫の体は温かくて、猫くさかった。ごわごわとした毛並の感触を頬に受け、私は摂取したばかりの水分を涙にして流した。




 そして今朝。

 目覚めると猫がいなかった。体は相変わらずの不調で、寒気と痛みと喉の渇きが感覚のすべてだった。それでも、自力で半身を起せたあたり、昨日よりはましだったのだろう。

 頭の上で羽音がした。見れば鳥が慌てたように飛び立つ。そしてすぐに、猫を引き連れて戻ってきた。安心する。


 何か欲しいものはないかと聞かれたので、「水が欲しい」と答えた。猫は頷き、寝床近くに転がるボトルを一本拾った。


 猫からそれを手渡しされ、驚く。未開封だった。


 ラベルのない透明なペットボトルには、水が隙間なく満たされていた。わずかな気泡だけが揺れている。白いキャップは回された形跡がなく、開ける時に重い抵抗がある。

 震える手でキャップを外し、一口飲んだ。水だ。水の味などわからないが、清潔な味がする気がした。

 息を吐くと、今度は一息に半分ほど飲む。飲んだそばから、不思議と泣けてくる。


 水を飲んだのち、次はなにが欲しいかと聞かれる。「寒い」と言うと、猫に抱えられて川辺へ連れて行かれた。

 川辺には、一昨日の焚火まだ火が燃えていた。今の今まで、火を絶やさずにいたのだろうか。猫の信仰心に感服するが、この時はとにかく火だ。火にあたりたい。猫に頼んで、火の正面に下してもらう。

 両手を火にかざすと、焼けるような熱が感じられた。川辺の水を含んだ風は冷たいが、火は暖かかった。

 見上げれば空は疎らな雲が散り、ときおり太陽を隠している。あまり上天気とは言い難い日だった。黙っていても体が震えてくるのは、気温のせいなのか体調のせいなのか。


 私が震えながら火にあたる傍らで、猫は川に潜り、魚を捕えてきた。

 私の見ている横でかいがいしく魚を焼き、食べるように促す。が、悪いがとても食欲はない。食べなければいけないとはわかっているのだが。

 食事、と言うよりは栄養の摂取について、しばらく震えながら考えて思い立つ。同じく震えながら毛を乾かしていた猫に頼んで、リュックを持ってきてもらった。


 リュックの底には薬がぶちまけられていた。

 昨日の愚行であるがそれはさておき、救急セットの容器を取り出す。中身はリュックの底に散らばったために空だった。

 容器の裏側に、足がついているのを覚えていたのだ。広げると、小さな火を跨ぐくらいの高さになる。

 猫が不思議そうに見る横で、私はそれを火にあたるように置く。


 ステンレスの容器は、幅約十センチ、横幅はそれよりもやや長く、そこは三センチ弱の小さなものだ。その中にボトルの水を注ぎ入れ、猫から魚を一本拝借する。

 魚は皮も内臓も指でほぐして、水の張った容器の中に落とす。内臓を入れた瞬間、あの寄生虫の姿が頭をよぎったが、もはや致し方のないことだった。タンパク質と思うしかない。

 しばらく膝を抱え、体を丸くして待っていると、水が煮立ってきた。水の色が濁り始め、薄い白色が混じる。

 スプーンを取り出して煮立った水を掬い、飲んでみる。風味はあるが味がない。川魚の出汁だけスープみたいなものだ。

 美味いものではないが、またしても泣けてきた。温かいものを飲んだのは、そういえばこの時が初めてだったのだ。

 湯を少しずつ舐めていると、体の奥から温まる気がした。これで少しは栄養も取れたのだろうか?


 その後、猫に寝床に戻してもらう。寝なれた落ち葉の上に倒れ込むと、そのまま眠ってしまった。




 現在。夜頃に目覚めてしまい手記を書いている。

 猫は寝床で熟睡している。いつもピンと張った尾が垂れているあたり、相当疲れていることがわかる。

 猫は私のために、いったいどれほど走り回ってくれたのか。未開封だったあのボトルを見ながら考えている。


 これはたぶん、私が失くしたものと同じものなのだろう。この世界にペットボトルを作る技術はなく、他に考えられるものはない。

 猫は、私が一昨日に話したことを覚えていたのだ。ボトルはどこかに落としてしまった。最初にいた場所に落としてしまったのかもしれない、と。

 そこから探し出すのは、どれほどの労力だったのだろうか。想像できないし、それだけに感謝してもしきれない。

 いったい、何をしたら今回の礼をすることができるだろうか?




(追記)

 さっき鳥が来て、少し話をした。

 やはりあのボトルは私が落としたものだった。鳥とともに私のいた場所まで戻り、探したのだという。

 さらに私に飲ませた草は、猫たちの薬草だったらしい。解熱と鎮静作用があるのだとか。これも探し回ってくれたらしい。

 まあそれはいい。ありがたい。


 あの生臭いのはなんだと聞いた。

「ゲル状の生き物だよ」

 というのが鳥の返事だった。曖昧な言葉で返ってくるということは、私の世界には存在しないものだろう。というか、すぐに思い当たるものがある。

「ナメクジみたいな奴か」と恐る恐る尋ねたところ、鳥が頷く。

「うん。透明で緑っぽいやつ。それそれ。これを見つけるのが、一番大変だったんだよ」

 これもまた猫たちの薬らしい。弱っている仲間に食べさせる流動食のようなものなのだとか。




 一応、感謝はしている。

 礼は明日にしよう。もう寝る。

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