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九日目

※虫描写あり

 快晴。枝葉越しでも日差しが強いのがわかる。気温自体はそれほど高くはないが、天気がいいと過ごしやすい。

 体感温度から、日本で言うところの春か秋に近いと思われるが、この世界の四季がわからないため判別できない。今の時期が夏であるのなら、冬場は耐え切れる自信がなく、今が冬ならば、夏の暑さを考えるとめまいがする。


「今日は川へ行く」という猫の言葉を鳥が伝える。ちょうど水が欲しいと思っていたところなので、ついて行きたいと主張した。猫は少しいやそうな顔をしたが、信仰対象である精霊の方は気楽に「いいよ」と答える。

 精霊が言うなら仕方がないと、私も連れて行ってくれることになった。

 朝食代わりに芸もなく乾パンを水に浸し、すするように食べる。真空パックで四枚入り、残り二枚。かなり不安になる量だ。いくら不味くとも、これだけは猫にも鳥にも渡せない。

 そういえば水入りのボトルを見て、猫が興味を持っていた。

 これは水を入れるための器だと言って、蓋を開けてみせる。いわゆるペットボトルだ。鳥の翻訳を聞きながら、猫は目を丸くしていた。透明なボトルの中を揺れる水に、興味津々らしい。

 そんなに気になるなら一本あげよう。と言いたいところだが、現在はこれしかない。他のものはどこかに落としてしまったらしいと言うと、猫は落胆したように耳をしょげさせた。

 おそらく最初にいたあたりに落ちているのではないだろうか。空にした記憶がないから、まだ水が入っているのかもしれない。それほど惜しいと感じないのは、川に行けると決まったからだ。

 いずれ探しに行きたい、と猫が言った。なにがそこまで猫を惹きつけるのか。ふと、猫除けのペットボトルを思い出すが、あれは効果がないのだとか。


 猫も昨日捕まえた獲物を掘り出し、食事を済ませる。血の匂いに気持ち悪くなる。

 のち、リュックを背負い出発する。鳥が定位置とでもいうように、慣れた様子で私の頭にとまる。




 水を汲めるらしいというのは、すごくありがたい。

 ボトルの底を覗いてみたが、もうほとんど入っていないようだった。ボトルの底の方にわずかに残っている程度だ。むしろここまで、よくもってくれたと言えるだろう。


 寝床を出発したのが朝の六時。眠たい私を引き連れて、猫は迷わず森を歩いていく。

 慣れた足取りを追うのに、私はかなり手間取ってしまった。猫がすいすいと先に行き、私を待つの繰り返しだ。木々は鬱蒼と生い茂り、視界が悪いのもいただけない。何度か転びかけた。

 途中で見かねた猫が休憩をはさみ、再出発の際には私のリュックを代わりに持ってくれた。それなりの知能があると予想はしていたが、私が思う以上に賢い猫なのかもしれない。その後も幾度か足を休めつつ、猫に従い歩く。

 この間に、水は飲みきってしまった。汲めるとわかったからには、飲み方に遠慮が失せる。

 次第に木々がまばらになり、遠くから川のせせらぎが聞こえ始めて、猫の足取りは穏やかになりはじめる。汗だくになった私がやっと猫に追いついて歩けるようになった時、目の前に見える穏やかな水の流れに気が付いた。

 出立してからおよそ四時間弱。十時の手前に私たちは目的地に着いた。


 川の水は澄んでいるように見えた。川幅は三メートル弱くらいだろうか。そこそこ広く感じる。川辺には石が転がり、ここでも何度か足を取られた。

 靴底のはがれかけた靴のせいだ。恨みはすれども捨てられない。裸足になっては、もっと痛い目に遭うだろう。


 視界がひらけたせいか、猫は一人でさっさと水辺に近づいていく。それから猫らしくもなく、そのまま川に飛び込んだ。驚く私の前でしばらくばしゃばしゃと水を掻いて歩き、川の中腹あたりで潜水する。どうやらその辺りで深くなっているらしい。

 私がよたよたと水辺についたときには、すでに小さめの魚を一匹咥えていた。私の到着を待って差し出す。

「にゃあ」

「食えだってさ」

 やはり生でだった。

 顔をこわばらせながら、私は湿った猫から魚を受け取った。猫は頷くと、ぶるりと体を震わせた。

 私の手にあるのは、細長い青魚だ。大きさは私の片手ほど。腹に一本の線が入り、陽光を浴びて銀色に光っている。尻尾は未だに、ぴちぴちと動いていた。

 それでも、生肉よりはまだましだと自分に言い聞かせる。


 そうだ、捌いて切り身にすれば大丈夫。これは刺身。これは刺身なのだ。

 そんなことを呪文のように頭で繰り返しつつ。私はリュックを開けた。首を傾げて猫と鳥が見ている。猫と違って文明の発達した世界から来た私だ。野生児でもあるまいし、さすがにこのまま噛り付くことはできない。

 リュックからナイフを取り出し、石の川原に腰を下ろす。猫と鳥がナイフを不思議そうに見ている横で、手のひら大の魚に刃を当てた。


 腹に線を引くように切れ目を入れ、指を入れて内臓を取り出す。

 出した内臓は適当な川辺の石の上に捨てる。そして何気なく目をやった時、私は見てはいけないものを見てしまった。


 魚の内臓から這い出す、小さな白い紐。


 おそらく腸のあたりから、白くて細くてうねうねとした奴があふれ出てきていたのだ。大きさは二センチ弱ほどだろうか。魚の大きさに比べて圧倒的に大きいし、圧倒的に多い。血みどろの内臓を掻き分けて、河原の石の上を這いつくばって動いていた。


 寄生虫だ。


 寄生虫だった。私は叫んだ。

「寄生虫?」と鳥が問うが、私は首を横に振るだけだ。全身に怖気が走り、魚を思わず放り出す。

 はっとして、魚の身の方を確かめる。先ほど内臓を書きだしたばかりの腹からも、同じ虫が出てくる。

 血だまりの中で溺れるように体をくねらせるそれを見て、私は再び悲鳴を上げた。「ひえええええ」という文字が似合う、実に情けない声だったことが鮮明に残っている。

 魚の尾を掴み、私は慌てて川に向かった。川岸で水に魚をつけ、できるだけ触らないように虫を追い出す。ついでに血も洗い流し、もう一度腹の中を見る。

 腹はきれいになっていた。虫の気配もない。

 ほっとしてえらをむしろうとすると、そこでごろりと大きな石のようなものが取れた。

 見ると虫だった。白いダンゴムシのような虫が、魚のえらに噛り付いていたのだ。私の手の中に落ちたその虫は、驚いたように足を動かし、水の中へ飛び込んでいく。

 手のひらを這う虫の感触に、私は意識が遠のくかと思った。「大丈夫?」と鳥がやって来て、私の頭をつつきさえしなければ、このまま川に落ちていたかもしれない。ちなみにこの間、猫は日向ぼっこをして毛並を乾かしていた。


 私はもう、絶対に生の物は食べない。


 震えながら鳥に宣言した。手の中の小さな魚一匹に、寿命が百年持って行かれたようだ。



 猫は再び水に飛び込み、魚を数匹捕まえてきた。器用なものだと感心する。さすが原始人、もとい原始猫だ。

 一方私は、猫が潜っている間に空いたボトルに水を汲み、ついでに一口飲んでみる。澄んだ水は飲みやすく、どこか甘く感じられた。量を心配せずに飲めると思うと、涙が出てくる。

 その後、森の近くで枯葉と枝を集めた。ちょうど猫が水から上がったところで、ライターを取り出す。適当な葉っぱを選んで火をつけると、猫が目を見開くと同時に腰を抜かした。

「魔法使いだ、だって」

 鳴きじゃくる猫の言葉を、鳥が翻訳する。魔法とはライターのことだろうか。なるほどたしかに、生肉を食べる猫にとっては魔法かもしれない。

「魔法は精霊と契約した生き物にしか使えない。あなたは精霊なのか?」

「精霊と契約?」

「うん、まあ僕みたいなものだね。僕は鳥の体に宿っているけど、彼らの体に宿る精霊もいる。それが彼らの集落で暮らしていると、魔法使いと呼ばれるんだ。これもまた、神様扱いだね」

 それ、肉体を乗っ取られているのでは?

「失礼な。精霊はあくまでも、契約して体を借りているんだ」

 どこがどう違うというのか。疑問はとりあえず後回しにして、違うという旨を鳥に伝えてもらう。猫は驚き、まじまじと私とライターを見つめた。その横で、枯葉に火が移り、炎が上がる。

 枝の一本に魚を刺すと、私は拙くそれをあぶった。近すぎるとあっという間に焦げ臭く、遠すぎると焼けているのかどうかわからない。


 何度も火の上で上下させている横で、猫は私のナイフを触っていた。しばらく銀色の側面を眺めてから、興味深そうに指の腹で刃撫でる。

 ぎょっとして「やめろ」と止めに入った時には、やはりすでに遅かった。猫が悲鳴を上げてナイフを投げる。

 指に一筋の線が走っていた。よく見れば肉が見え、血が流れ出している。予想外に深い傷を負っていたようだ。猫は慌てた様子で傷口を舐める。好奇心が旺盛らしいのはいいけど、私の荷物をあまり近づけるべきではないのかもしれない。

 消毒でもしてやろうと傷口を覗くと、彼はすぐに手をひっこめた。警戒心の強い目をしている。私の持つナイフで怪我をしたせいだろうか、少し距離をとってにゃあにゃあと鳴く。すかさず鳥が通訳した。

「自分の顔が映ってびっくりしたって。水面かと思ったら鋭くてびっくりしたって」

「水面? 鏡じゃなくて?」

「彼ら、顔を映すものは水しかないよ」

 金属の加工にはまだ至っていないらしい。石器はあるのか、と恐る恐る尋ねてみると、こちらは肯定が返ってきた。素手で獲物を捕らえて、生の肉を食べる種族がいったいどんな道具を作るのか。興味はあるが、今はあまり知りたくない。


 会話をしているうちに、魚が随分と焦げ臭くなった。元の魚のサイズよりも身が縮んで、一回りくらい小さくなったように見える。明らかに焼き過ぎた。

 あわてて火から離し、焼けただれた魚を見る。もともと得体のしれない魚だが、焦げてしまえばますますだ。猫ではないがにおいを嗅ぎ、恐る恐る口に近づける。


 味はほとんどしなかった。

 思えば塩さえも振っていないのだ。食通ならば魚の身だけで味の深みでもわかるのかもしれないが、私には無理だ。だいたい焦げているからには、食通だってお断りだろう。十二分に火が通っていて、寄生虫の心配がないのだけが幸いだ。

 それでも小さかったからか、骨だけ残して一匹を食べ終わることができた。すべて腹に収めたところで、その腹がゴロゴロ鳴り出す。

 ここ数日、流動食のような水乾パン程度しか口にしていなかったせいだろう。腸が一斉に動き出したのがわかった。腹に手を当てると、かすかな振動が感じられた。


 そんな私の様子を見て、猫がなにやら鳴き出した。鳥曰く、「火を借りてもいいか」とのこと。断りを入れる必要もない。「どうぞ」と答える。

 なにをするのかと見ていれば、猫はおもむろに火の前で膝をついた。それから頭を垂れ、深い拝礼する。両腕を地面につけ、いつもぴんと張った尻尾は垂れている。驚くほどに無防備な様子だった。

 目を丸くする私に、鳥がひそかに「あれは火への祈りだ」と囁きかける。

「彼らにとって、火は精霊がもたらす神の権化だ。自分ではつけることができず、彼らは一度ついた火をできるだけ絶やさない」

 目の前の精霊ではなく、火を拝むのか。神の権化と言うからには、精霊よりも火への信仰の方が強いのか。それとも精霊に対しては普段から丁寧に接しているため、改めて礼拝するのはこういった副産物になるのか。


 しばらく平伏して祈ったあと、猫は顔を上げ、自分の捕ってきた魚を手にした。それから意外と小器用に魚を枝に突き刺す。

 魚つきの枝は川原の小石を組んで、火にあたるように固定した。残りの魚も同様にすると、博物館などで見かける「原始人の焚火」みたいな絵面に変わる。やっぱり食物には火を通す方が、猫にとってもオーソドックスらしいと、慣れた手つきからわかる。

 なるほど、枝を固定すればよかったのかと納得する。同時に自己嫌悪する。猫原人に劣ったような心地だ。


 焚火に枯れ葉を一度足して、焼きあがった頃には三時手前だった。川の周辺は木々が薄く、斜めの日差しが良く見える。

 猫は最初に二度潜ったきり、あとは火の傍で毛並を乾かすばかりだった。もう潜らないのか、と聞いてみると「毛が濡れるのが嫌だ」そうだ。もちろん、鳥の通訳による。

「毛が濡れるととても疲れる。それなのに小さな魚しか捕まえられないから、割に合わない……だってさ」

 日向ぼっこは毛並を乾かすためだろうか。水を嫌がる性質は、私の知る猫と大差ないように感じる。

 わざわざ嫌いな水に飛び込んでまで魚と捕ってくれたことに感謝し、私はひそかに手を合わせる。「ごちそうさまです」


 猫の言うとおり、捕まえた魚は手のひらくらいの、小さめのサイズで四匹。

 一匹は私が食べたものだ。あとの三匹は、猫と鳥でわけあって食べた。体格の割に猫が食べないと思ったが、にゃあにゃあ言うには「昨日とった獲物の肉がある」からだそうだ。

 土の下に隠した生肉を思い出し、憂鬱になる。また生臭いねぐらへ帰るのだ。

「帰らないって」

 鳥の言葉に耳を疑う。

「火のある場所から離れるつもりはないって。これを絶やさずに守り続けるのが、今の使命だってさ」

 猫が肯定のつもりか、「にゃあ」と鳴く。今日の寝床が決まった。決断の早さに、ただ驚くばかりである。

 私を恐れさせた肉の残りは、明日になってから取りに行くらしい。腐っているのではないだろうか。


 焚火にほど近い、水辺の木の下に枯れ葉を集め、猫はそこを寝床とした。元の寝床には未練がないらしい。

 周囲は安全かどうかも分からないのに、危険な動物でもいたらどうするのか。そう問いただすと、鳥が羽をすくめた。

「この子のにおいがする場所には、たいていの動物は近寄ってこないよ。それに万が一でも、この子は負けない。強いから大丈夫」

 安心してもいいものか。いや、今は信じるしかないのだ。




 間もなく日が暮れる。猫は焚火にくべる燃料を探し、今も駆け回っている。

 それを横目に手帳を広げている現在、多少の罪悪感がある。猫ほど熱心に、あの火を守る気にはなれないのだ。

 ライターがあると、どうも火を起こすことに対して安直に考えてしまうからいけない。猫原人が自力で火を起こせないとなると、この小さなライターが私の生命線となるのだ。


 そうだ。猫が集落を築いていると聞いて、少し奇妙に感じたことがある。

 狩猟民族はあまりひとところにとどまらないと聞く。獲物を追って場所を移動するからだ。見たところ猫の食事は肉ばかりで、おおよそ狩りをして生きている種族としか思えない。

 移動式の集落か(集落というより、群れという方が近いか?)、それともとどまるだけの理由があるのか。いずれ鳥に聞いてみよう。

 質問したい内容が多くなってきたので、いずれまとめてメモにしておく。




 そろそろ寝るか、と横たわってまだ手帳を開いている。懐中電灯は消したので、手元はおぼつかない。闇になれると手帳の形くらいはおぼろげに見えるが、ろくな字が書けるとは思えない。だからこそ、本心を書いてしまおう。


 現状の私は、ここへきて一週間を過ごしていた時期に比べて、恵まれすぎている。

 食料や水の心配は減った。命の危機は遠ざかり、会話のできる鳥と、会話はできないが意思の疎通ができる猫がいる。

 それがひどく不安だ。

 明日にでも猫たちがいなくなっているのではないかと不意に考える。あるいは、幻覚から目覚めて一人の自分に気がつくのではないか、と。

 未だにこの状況が信じられないのだ。なぜ私が、こうして彼らとともに行動できるのか? 鳥はなぜ私に、言葉を教えろと言ったのか?

 あの鳥はなんなのか。

 それを追及して、追い出されるのもまた恐ろしい。


 こんな暮らしが長く続くのだろうか。いつか、しっぺ返しが来るのではないかと思うのだ。

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