一日目
見渡す限りの森。森、森、ジャングル? やっぱり森。
空を見上げると、幾層にも重なった枝葉から太陽が透けて見える。雨上がりだろうか、時折水分を含んだ風が吹くが、それほど寒くはない。足元の土は湿っていて、歩くと木々の枝と下草に足を取られる。薄暗いが視界は悪くない。ただし、密集した木々で遠くを見渡すことは不可能だ。
途方に暮れていると、どこからか高い鳴き声がした。驚いて目をやれば、近くの枝から鳥が飛び立つ。あまり大きくもない、暗褐色の地味な鳥だ。
そうか、獣もいるのかと思うと、途端に怖くなる。肉食獣がいる可能性もあるのだ。
戦える術はないかと鞄をあさる。鞄は大きめのリュックサック。上部に取り付けられた寝袋を外し、中を覗き込む。
中身はほとんどが食料で、残りは薬の入った救急セットに、ナイフと懐中電灯が精々だ。
底まで浚うと、ライターと替えのオイルを見つける。あとは私物のメモ帳とペン。
もう少し役に立つ物を持っていればとは思うものの、どうしようもない。講義中に起きた災難はあまりにも急すぎて、準備なんてする余裕はなかったのだ。非常時の持ち出し用リュックを掴むことができたのは、幸運と言わざるを得ない。
リュックの脇には役にも立ちそうにない無線機が下げられている。今頃あちらはどうなっているだろうかとためしに通信してみるが、予想通り。どこにもつながらない。果たしていずれ来る救援を期待してもいいものだろうかと不安になる。
他に何かないだろうかとリュックをあさるうちに、日が傾き始めたことに気づいた。元より薄暗い森がさらに濃さを増し、活発になっているらしい獣の足音や鳴き声が聞こえてくる。
この間に見つけられたのは替えのバッテリー程度なもので、落胆は隠せない。いや、そもそも周りに人がいない状態で隠す必要もないだろう。泣きそうな思いで野営を覚悟する。
当然、私に野営の経験はない。キャンプすらろくにしたことがない。学徒として大学まで通い詰めた私は、知識には自信があっても体力はからきしだ。その知識さえ、情報工学に身を置いていたため、現状は無用の長物としか言いようがない。
どこかで聞きかじったうろ覚えな記憶を頼りに、私はまず火を起こすことにした。獣は火に近づかないと聞いたような気がするし、なにしろ暗くなるにつれ肌寒さが増す。あちらはは秋口だったため、私の格好は薄い長そでのシャツにジーンズだ。スカートではなくて良かった。
もっとも、スカートなんて洒落たもの、着る余裕がないのはあちらも同じか。
周囲の草を薙ぎ、湿った地面に辿りつく。この上に火を起こそう。
ライターのオイルはあるが燃料はないため、仕方なく枯葉や枝を集めてライターを近づける。しかし燻るだけで火はつかず。何度か繰り返すうちに、ときどき小さな炎を上げるようになるが、それきりだ。
しばらく悩んでから、枯葉が微妙に湿っていることに気づく。そうか、雨上がりか。水を含んでしまっているのだ。
だが、そのことに気が付いたからと言って、今さらどうにもできない。
周囲はすっかり闇に落ち、月の淡い光は森に差し込まない。手探りでリュックから懐中電灯を取出し、私は途方に暮れるばかりであった。
食料と一緒に詰め込まれていたボトルの水を飲み、私は今、手記を書いている。
なにかと書き連ねる癖が幸いしたのか、紙とペンだけは忘れずにポケットに詰め込んでいたおかげだ。予備のメモやペンもいくらかある。紙に困ることだけはないだろう。
シャツの胸ポケットにはパスケース、ジーンズのポケットには財布。腕時計が几帳面に針を回し、ちょうど十の数字を示している。だが、果たして本当に十時なのか。そもそも一日の流れも同じなのかさえ定かではない。
丸めたままの寝袋の上に座り込み、懐中電灯を膝に置く。肌寒さは夜が更けるにつれ増していく。夜がこれほど暗いものだと、私は今まで知らなかった。
今後の自身の身の振り方。あちらの世界の現状。仲間たちの無事。考えるだけで不安で、震えが止まらない。遠くで獣の声がする。ここには人間はいるのだろうか。どこか、人間の住む町はあるのだろうか。
こうして筆をとっていないと、押し潰されてしまいそうだ。
しかし書き連ねる文字は、私の不安をさらに煽るような言葉ばかり。明るい事柄が、一切思い浮かばない。