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少女と出会ってから一週間が過ぎた。私は、今日も河川敷へ向かっている。私は、この一週間毎日あの河川敷へ行った。少女も河川敷に毎日きた。まるで決められていたことのように私も、少女も河川敷にやってきた。別にこれといって特別なことをしているわけではない。他愛無い会話をして帰宅するだけだ。しかし、この毎日の会話は私にとって唯一といえる日々の楽しみであった。私は、河川敷で少女と会話をしているときだけ生きていると実感することが出来た。私には少女が希望そのものに見えるのだ。
この一週間、ルーチンワークを通して少女について分かったことが幾つかある。まず、少女は蒲野英子という名前であること。これは彼女の父親が蒲公英のように強く、明るく育って欲しいという願いを込めて名付けたそうだ。そしてその父親が今はいないということ。死別なのか離別なのか、はっきりとは分からないが、とにかく今は一緒には暮らしてはいないらしい。
これは、やはりというべきなのか、薄々は気付いていたが、英子は学校に行っていないということ。それもここ最近の話ではないようだ。詳しい話は聞いていないが、どうやらいじめにあっていたというのではないらしい。では何故、と聞いてみたいが、なにせデリケートな問題だ、出会って僅か一週間の人間がそう簡単に聞いていい話ではないだろう。第一、話を聞いたところで何と答えて良いのか私には分からない。相手は中学生の女の子だ。ぱんぱんに膨れた水風船のようにみずみずしくも脆い思春期の心は簡単に破裂してしまう。ちょっとしたことで一生もののトラウマを抱えてしまうかもしれない。それに、と思う。私は、リストラに遭い、たった今人生のどん底にいるというのにどうして未来ある若者に偉そうな口を利けるだろうか。そんなことをする前に私は自分自身のことを考えるべきなのだ。自分にとっても英子にとってもだ。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にかいつもの河川敷に着いていた。