5:クローズド・エンカウンター
二人分の宿を探そうと裏通りに差し掛かったとき、妙に人影が少なくなっていることに気がついた。
普段ならどこの路地にも一人や二人は寝そべっている奴がいるものだが、しばらく前からそういう人間を見かけなくなってきている。
トン、と屋根の上で何かが飛び跳ねる音が聞こえた。
しかし、街にウサギはいない。いるのは人間だけだ。
アヤカはまだ気がついていない。俺は息を潜めて周囲に視線を張り巡らせる。
ほんの一瞬、人影が建物の奥に身を潜めるのが見えた。
俺と同じ思考に行き着いた者の匂い。
索敵レーダーには何の反応もなかった。隠蔽を使って身を潜めているのだろう。
だが、この辺の路地で寝泊まりしていた俺には、ひしひしと殺気が伝わってくる。
闇に目を凝らし素早く退路を探るが、時すでに遅く、all greenを示していたマップレーダーが危険を示すredに変わる。
「敵!? 街のなかなのに!」
ようやくアヤカが危険に気づく。
PKというものに慣れていないのだろう、PK解禁といっても人気のありそうな場所で狙われるとは思っていなかったようだ。
前方の角に一人か二人、右の建物の屋根に一人、おそらく後ろから尾けてきている奴が複数。
「アヤカ、目を瞑ってろ」
「えっ、あ、でも」
俺は前もって取り出しておいた閃光弾を地面に叩きつける。
「逃げるぞ、ついてこい!」
前後を挟まれている以上、こちらも屋根の上に逃げるしかない。
アヤカの腕を引いて、左の民家の壁をよじ登る。片手で窓枠を掴み、右手で壁に剣を突き立てる。
俺たちが登った屋根の上に、ハンターの一人が飛び移って来る。俺は剣を引き抜こうとするアヤカに鋭く叫んだ。
「コイツは足止めだ、相手にするなっ」
「はいっ!」
アヤカは相手に一撃食らわせたあと、素早く身を翻す。
俺は剣と盾をその場に放り出して、屋根から川沿いの路地に飛び降り、頭のなかに浮かぶ逃走ルートをひた走る。
この路地に関してはアヤカより俺のほうが詳しい。
小道はどれも入り組んでいて、道の途中で折れたり曲がったりしている。少し走っただけで姿を見失うはずだ。
問題は相手の探索範囲の広さだ。相手がハンターなら、その有効範囲はかなりの距離に及ぶ。
案の定、どれだけ走ってもマップレーダーの警戒状態が解除されない。
盾と剣を捨てて重量を減らしたが、騎士の足の遅さが致命的にマズイ。徐々に距離を詰められている。
キャラクターを変更すれば、騎士Lv1から魔剣士Lv6のレオンへと変身できるが、戦闘区域から離脱しないと変更はできない。
どこかでもう一度足止めをしなければならないが、閃光弾はもう使ってしまった。
「鉄血さん! 先に逃げてください。私はダッシュで後から追いつけます!」
「まだ止まるな! この先に進めば逃げられるっ」
その場に留まって時間を稼ごうとするアヤカをとにかく先へ進ませる。
角を曲がり、石段を飛び降りる。もうかなり息が上がっていて、体力はそろそろ限界だ。目指す場所はもう目と鼻の先。
逃げきれるかどうかは紙一重だ。
「くそ、もう回り込まなくていい、とにかく逃すな!」
追っ手のリーダーらしき男が叫ぶ。屋根の上を走っていた奴が飛び降りて合流する。
俺たちが行なった討伐作戦以降、ほかのギルドやPTがモブを倒したという話は聞いていない。
PKを始めたのも俺よりは後のはずだ。
だから相手も俺たちとそうレベルは変わらないはず。
だが、ハンターの多くは常にフィールドに出て、凶悪なモブを追跡し、行動パターンを解析してきた。
実力は一等級。度胸もあり、索敵や隠蔽の熟練度も高い。レーダーの性能は桁違いで、もはや不利は覆せない。
「アヤカ、そこから飛び降りろ!」
言うが早いか、俺はアヤカの背中を押して、自分も飛び降りる。
ヴァネサリアは街の中心を川が流れている。
川の水は細い水路をいくつも作ることで街中に水が行き届く。そして俺たちが飛び込んだのは、地下水路の一つだ。
河川の水量が少ないせいなのか、水深は浅く、人が通る程度の高さもある。しかし光が差さないため、視界は完全な闇に呑まれている。
「アヤカ、時間は稼げるか?」
「大丈夫です」
闇のなかから気丈な声が返ってくる。死を目前にして逆に奮い立っているかのようだ。
俺は狭い地下水路の入口に彼女を立たせ、ひたすらまっすぐ駆けていく。バシャバシャという水音と、激しい剣戟の音が闇のなかに響き渡る。
頼むから、あと少し耐えてくれよ!
ついにマップレーダーの色が赤から緑に変わる。戦闘区域を離脱したのだ。俺は素早くキャラクター変更を実行する。
騎士Lv1から魔剣士Lv6へ、戦闘能力が跳ね上がる。
俺はダッシュをかけて一息で戦場へ舞い戻る。今までとは比べものにならない速度だ。
「アヤカ、下がれ!」
完全な暗闇のなかではマップレーダーの示す光点が頼りだ。
アヤカが【ダッシュ】のスキルで一瞬だけ、ハンターたちを引き離す。
追撃をかけようとする5つの光点が、進路上に立ちはだかる俺を切り伏せようとする。
接近するタイミングに合わせてスキル発動。【オーラブレイド】のエフェクトが突然闇を照らす。
反射的に目が光を追ったところへ斬撃を浴びせる。肩から胸の中央まで深々と切り裂かれ、まず一人目が絶命する。
エフェクト光が消えぬ間に二人目の位置を把握、今度は下段から斬り上げる。
「コイツ、強い! さっきまでと違う奴だ!」
キャラクターが切り替わったことに気づいたのだろう。自分たちが虎の尾を踏んでしまったことを理解したようだ。
いつの間にか状態が毒に変わっている。いつの間にか毒攻撃を食らったのだろう。確かハンターのLv2スキルだ。
勢い良くHPが減っていっているが、毒で死ぬにはあと数分はかかる。
三人目を殺し、四人目に向かって行ったところで脇腹に痛みが走る。
敵は投擲主体の攻撃に変えてきたようだ。毒ダメージをもらっている最中に距離を取られるのは、さすがにマズイ。
HPが危険ゾーンに突入するが、毒の効果時間はまだ続いている。
殺すつもりで振り下ろした攻撃がパリィされ、すかさず相手のナイフが暗闇を疾る。
俺の身体から激しいエフェクト光が撒き散らされる。だが、HPはほとんど減っていない。ナイフは掠っただけだ。
今のエフェクトは魔術師の 支援魔法。アヤカの声が後ろから響いた。
「回復できなくてすみません。でも、一体なにをしたんですか」
「アヤカ! いや、今はサヤカだな」
魔術師にキャラ変更をしたアヤカが後衛に立つ。今はまだ真っ暗闇のなかにいるため互いの姿は見えない。
水音が跳ねる。攻撃の気配が水面の揺らぎを通して伝わる。ほとんど勘だけで敵のナイフを弾く。
「後ですべて話す。今は相手を倒すことに集中しろ。向こうは殺しに来ている」
「そんな、そんなことをしたら、死んじゃうかもしれないのに」
「寝言を言うくらいなら戦わなくていい。後ろで眺めてるか、さっさと逃げるかしろ」
アヤカが沈黙する。だが、言い過ぎたとは思わない。今は命がかかっているのだ。相手を殺す覚悟が持てない者に、このゲームはむいていない。
視界0の暗闇のなかで、パターンの読み合いになる。距離を詰めようとすれば波の動きで全て伝わる。
オーラブレイドを使えば一瞬だけ辺りを照らすことができるが、アヤカに今の俺の姿を見られてしまう。
誤魔化したところで、俺が PKなのは、いずれバレるに違いないが、今は共闘関係を崩したくない。
できれば、もう少しだけ俺の手で彼女を育ててみたかった。
一か八か、剣先を水面に垂らし、ゆらゆらと動かす。水の動きは音よりも遅れて伝わる。
フェイントになるかわからないが、不用意に仕掛けるよりはマシだろう。
チャプ、と微かな水音を捉える。俺はその場から動かずにスキルを発動させる。魔剣士がLv4で習得する遠距離攻撃【スラッシュ】
敵に向かっていった衝撃波が過たず四人目を絶命させる。残る一人の立ち位置を死亡エフェクトで把握。
同じタイミングで仕掛ければ、リーチ差でこちらの剣が先に届く。
剣を握る手に、肉を貫く重たい感触が伝わった。死のエフェクトを散らしながら、最後の一人が崩れ落ちてゆく。