Lagerung Ⅳ
「熱を、ですか…?」
召使から伝えられた言葉に、薔薇園でお茶を楽しんでいた姫は目を見開いた。
「ええ、しかし…」
困ったように言葉を濁らせる召使を横目で見ながら、姫は心配そうに眉をゆがめた。
ブルートローゼ国に現れた異国の奇術師、アークライト・シュトルーベは、姫のよき話し相手であった。音楽を愛する姫にとって、彼のヴァイオリンは毎日の楽しみでもあった。時には自室、時には薔薇園で奏でられる音楽は、どれもがきらきらと輝く宝石のような旋律。彼の音楽には、人を癒す力があった。
そんなアークライトが、熱を出して寝込んでいるという。だから今日は薔薇園にはいけない、という旨を召使は伝えに来たのだった。しかし。
「どうしても、お休みになってはくださらないのです」
召使曰く、彼はヴァイオリンを手放さないのだという。ベッドサイドで熱に浮かされたかのように音を紡ぎ続ける彼を心配し、唯一彼と心を通わせているだろう姫に頼みに来たのだった。
「このままでは悪化してしまいます。姫様、どうかお休みになるよう説得してくださいませんか」
看病疲れもあるのだろう。召使は困り果てているようだった。
姫は、ゆっくりとカップをおくと、静かに立ち上がった。
「わかりましてよ。アークライトのお部屋に参りますわ」
優しく微笑むと、召使に温かい紅茶と蜂蜜を用意するよう伝え、アークライトの部屋へと向かった。
──僕は、弾きつづけなければならない
ぼんやりとする頭で弾きなれたメロディーを紡ぐ。その姿はどこか狂気を孕んでおり、そばについている召使はおろおろするばかりだ。
「アークライト様、どうかお休みください、お体に障ります」
まるで聞こえていないかのように、その言葉を無視し続け、なおも彼は音を重ねていく。血の気の引いた肌には汗がにじみ、紅色の瞳は潤んでいる。それでも音はぶれることなく、いつも通りの演奏を続けるアークライトは、普段の彼からは想像もつかないほどに取り乱しているように見えた。
「アークライト!」
部屋に、鈴を転がしたような声が響いた。その姿を目にすると、アークライトはわずかに動揺した。姫は優しく微笑むと、そっと彼に語りかける。
「駄目よ、アークライト。今は休まなくては」
「…いいえ、姫様」
言葉を紡ぎながらも、彼は手を止めることはない。
「駄目よ。眠って。…お願い」
彼に近づき、そっと肩に触れた。ひんやりとした指先に、彼の熱が伝わる。
──おにいさま、
「っ…!駄目だ!!!」
アークライトは絶叫し、漸く音をとめた。
「駄目なんです姫!僕は、僕は弾きつづけなければならない!こんな、熱ごときで…!止めるわけには…!」
姫は、ゆっくりと彼の頬に手をのばした。
「アークライト、あなたはもはや国にはなくてはならない人物です。そんなあなたが熱を出し、多くの人が心配しています」
「姫、」
「私の魔法使いさん。お願いよ。少しでいいから、休んでちょうだい。蜂蜜入りの紅茶を持ってこさせたの。これを飲んで休んだら、きっとよくなるわ。そうしたら、また物語を聞かせてね」
熱い紅茶に砂糖がとけていくように、姫の唇から零れる言葉はアークライトに染み渡った。掠れた声で、彼は願う。
「…それでは姫様、どうか、どうか2時間後に僕を起こしてください」
その言葉に安心したように、ふっと肩のちからを抜くと、姫は優しく微笑んだ。
「わかったわ。あなたが眠るまで、私が子守唄を聞かせてあげる。ゆっくり眠ってめざめたら、温かいスープを飲んで、薬をのんでね。そうすれば、きっと明日にはすっかり治っているはずよ」
アークライトは柔らかく微笑むと、そっとヴァイオリンをケースにしまった。すかさず召使が紅茶を差し出す。ほんのり甘く香り高い紅茶を一口飲むと、ゆっくりと熱い息を吐き出した。
──僕の力が、やはり。
彼女のてきぱきとした指示は、多くの知識からではない。長年培ってきた、経験によるもの。ゆっくりとあやすように頭をなでながら子守唄を歌う姿に、アークライトは切なそうに目を細めた。2時間後、必ず目覚めると誓って。彼は、まぶたを閉じた。




