Lagerung Ⅰ
灼熱の太陽にじりじりと焦がされることをなんとも思っていないのか、ランフォード・ウィルヘルムは涼しい顔でラクダに乗っていた。国を救うという大きな目標を前に、一行は二手に分かれた。すべては姫君であるシャルロッテを救うため──そう言って、ランフォードは半ば強引に彼女と自分の道を分けてしまったのだ。彼の表情からは何も読み取れない。まるでそれは、己の感情を隠しているかのようで。
「ランフォード殿」
アルベールはそっと問いかける。二人きりになった今、誰かの視線を気にすることはない。この広大な大地には障害物などほとんどなく、だからこそ敵が隠れている可能性もほぼ0に等しいだろう。
「アルベール。余計なことをしゃべると体力消耗するぜ」
淡々と返すランフォードからは、相変わらず何も読み取れない。
「それでも、貴方と話すには絶好の機会なんです」
アルベールは思案する。彼の真意を、彼の本当の目的を。
「僕は貴方に恩を感じ、貴方を信じてブルートローゼに来ました。今でも感謝しています。それでも…」
──貴方は、僕に貴方自身の話をしてくれたことはない。
ランフォードはわずかに唇を歪めた。どう逃げようか迷っているのだろうか。視線が空を仰ぐ。どこまでも青い空に、雲は一つもない。気が遠くなるような色彩の中で、感情だけがぐちゃぐちゃと複雑だった。
「アルベール。世の中には、存在しているかしていないか、あやふやにしとかなきゃならないものがあるんだ」
「それは大きな組織が動いているからですか、それとも、」
貴方にとって都合が悪いからですか。そう呟いたアルベールに、ランフォードは苦笑を返す。鋭いな──そう呟くと、徐々に光を帯びてきた瞳で、ランフォードはアルベールに問うた。
「銀色の薔薇は、存在すると思うか?」
それは、幾度となく繰り返された議論。シャルロッテと交わした約束。人の感情は白黒などという二つに絞ることはできない。だからこそ議論の場に感情を持ちこんではならないのだろう。それでも、聡明な姫君は、己の感情に白黒つけたがっていた。
「存在してはならないのでなければ、存在しうると思いますけれど」
「それが誰かを滅ぼすとしてもか」
「大きな目で見れば、すべての物体は誰かを滅ぼす可能性を秘めていますよ」
まっすぐな瞳は、灰色を射抜く。ランフォードはおかしそうに笑った。
「なるほどな。つまらない感情は誰かの感情を同時に殺している。結局俺は、姫様を突き放すことで、自分を守りたかっただけなんだ」
自嘲を含んだ笑みは、そこぬけに明るい空と相反してした。
「それは違うでしょう」
ハニーブラウンの髪をかき上げながら、アルベールは苦しそうに顔を歪める。ランフォードを見ていられないとでも言うように、視線をそらす。誰よりも優しいアルベールにとっては、彼がひどく苦しんでいるように見えた。
「姫を守るためには、こうするしかなかった。貴方と姫の間に特別な思い入れがあるのはわかります。けれど、その甘さが命取りになる可能性がある以上、一線をひかなければならなかった。そのくらい、姫にだって伝わっているはず」
「それでも、あの可愛らしい姫君は、まだまだ子供なんだ」
戦など知らないで育った。己がぬるま湯につかっていることを自覚していたとしても、国の情勢を客観的にしか見ることができない彼女にとって、剣の交わりは異世界の話であっただろう。これから向かう先が、どれだけ危険なのか。それは姫としての特権を利用してぎりぎり守られるレベルの問題。それがなくなり、ただの少女となったとき。彼女は、命の危険に脅かされる可能性がある。
「だから俺たちが守らなくちゃいけない。彼女は最後の砦。彼女がいなくなったら…」
──もう、誰も救えない。
アルベールは、ぞくりと寒気に襲われる。彼は何も知らない。ただ、アークライトが描いたという筋書き通り、リベルハイトに向かうこと。そしてそこで、花のことを突き止める。その目的の中に、ランフォードだけが遠い未来を見据えていた。彼はどこを見ているのか、おそらく誰にもわからない。けれど。
──みんな、ランフォード殿を信じている。
それが果たしていいことなのか、もはやアルベールにはわからなくなっていた。
「銀色の薔薇は存在するぜ」
唐突に話を戻したランフォードは、悪戯に成功した子供のような瞳をしていた。
「…馬鹿な…」
「国に帰ることができたら、その時に見せてもらえるだろうよ。姫君の部屋に飾られてるからな」
銀細工の薔薇は、枯れることなく、なおも咲き誇る。
その美しさは、一瞬を永遠にした神の造形美。
アルベールは苦笑すると、楽しみにしていますよ──そう言って、空を仰ぐ。
遠い道のり。それでも、少しだけいつもの調子にもどってきたランフォードに、密かに安堵した。




