Ausblenden Ⅶ
「ロラン…──!」
すべてが、同時に起こった。
ロランの家に帰る道中。路地裏。
わずかな殺気を感じたアルベールが、周囲を警戒する。
後ろ手でロランをかばうようにしてじっと耳をすませると、かすかに聞こえる息を殺した気配。
剣に手をかけ、じっと空気の流れを読む。その時だった。
背後から突如現れた男が、ロランの体をその鋭い剣で貫いた。肉を切る音。うめき声をあげて、ロランはがくりとその場に倒れた。アルベールが男を見上げて素早く剣を抜いた刹那。
「……ヴェンツェル!」
その一瞬。反対側から血相を変えて現れたランフォードが、音もなく男を斬り捨てる。男は、想定外のことであるかのように、ひどく驚いた顔をして。そして。
そのまま、ロランに重なるようにして、倒れた。
気が付けば、アルベールの目の前には血に濡れた体があるだけ。何が起こったのか脳が理解するより先に、がくりと膝をつく。どくどくと流れる鮮血に服を濡らして、アルベールはそっとロランの体を抱き起した。
「…アル、ベールさん、…ぼく、」
「しゃべっちゃだめだ! 今手当、を…、」
途端、力強く、その手を握られる。
「…レティ、シアのこと…お願い、します、ね…」
途切れながらも紡ぐ言葉は、力に満ちている。慈愛、悲しみ、無念さ。そういった複雑な感情を混ぜ合わせたような声色は、それでも強い意志を持っている。
「……ラン、フォードさ…ん…ありが、と、う…」
そして。
涙と血に濡れた頬で、優しく、ロランは微笑んだ。後悔のなかでも、それでも精一杯生き抜いた、そんな表情をして。
まだ若い少年は、静かに息をひきとる。
風が頬をくすぐる。暖かな日差し。晴れ渡った空。
どこまでも平穏な世界で、ここだけが異質に空気が澱んでいる。
城を抜け、騎士団に襲われ。
いずれこうなることは、わかっていたのに。
戦場など、何度もくぐりぬけてきた。
かつて国で、騎士団長として何人も葬ってきた。
それでも。
アルベールは、大切な人を目の前で失うことに、慣れてはいない。
何度経験しても、目の前で仲間が死んでいくことは。
呼吸を乱すほどに、胸を締め付けられる。
愕然と膝をついたままのアルベールに手を貸しながら、ランフォードは色のない表情でつぶやく。それは、どこまでも冷たく無機質。
「ここは目立つ。森の中へ」
それだけ言って、静かにヴェンツェルの濡れた体を抱えた。アルベールも黙ってロランの体を抱えると、ゆっくりと歩きだす。大切なものを守るように、その手つきは優しかった。
「ああ、ヴェンツェル」
城内で、アークライトは静かにつぶやき、窓の外を見つめる。
ここからでは見えぬ地で。
一人の人間が、思惑に絡め捕られたまま、その生を終えた。
「貴方は愚かだ。それでも、貴方の行動は称えられるべきでしょう」
だれが悪いわけでもない。そう、アークライトは思う。
姫君が吐いた、小さな小さな嘘。
それが、引き金だと。
「それを知ったら、彼女はどうするのでしょうね」
独り言にこたえるものはいない。
アークライトは悲しげにつぶやき、そしてヴァイオリンを手にする。
静かに控えめに流れるのは、死者への手向け。鎮魂歌。
これは、決して彼の計算ではなかった。
「わたしが、悪いのでしょう」
ひっそりと呟かれた言葉に、反応できるものはいない。
夜明け前に通ってきた街へと続く森の中で。一行は、先ほどこの世を去った二名の者のために、静かに祈りを捧げていた。
きちんと埋葬することは叶わなくとも、すぐにこの場を去らねばならぬ身。形だけでも、安らかに眠らせてあげたいというのが彼ら共通の想いだった。森まで運び、家に残してきたシャルロッテとリシャールを呼び、そしてオデットを連れ出した。彼らは一様に驚き、悲しみ、そして複雑な表情で、状況説明を二人に求めていた。
“突如襲われ、ロランが亡くなった。襲った男はランフォードが始末した”
そんな説明で、納得できるはずがない。けれど、三人は黙っていた。隠すには、理由があるのだろうと。けれど、隠したところで意味がないのだ。
根源となった姫君は、すべてを悟ったのだから。
「姫、それは」
「わたしが悪戯にロランと名乗ったから起こったこと。隠しても無駄よ。この男は我が国の騎士の一人。服装でわかるわ。わたしたちを追ってきたのね」
ランフォードの言葉を遮り、静かに言葉を紡ぐシャルロッテの表情は見えない。
「とんでもないことを、してしまった…」
唇から洩れた声は、かすかに震えている。
「わたしがロランと名乗らなければこんなことにはならなかった! 勘違いで殺されてしまった! わたしは…! どう、責任を…とればいいのかっ…わからない!!」
絶叫は、空しく森に響く。
そしてアルベールは、密かにランフォードの恐ろしさを思う。
あの時、彼は焦っていたとはいえ、自国の騎士だと分かったはずだ。それでも、容赦なく一瞬で斬り捨てた。
すさまじい速さで、なんのためらいもなく。
それこそが彼が優秀と言われる所以なのだろう。それでも。
一瞬見せたひどく冷たい表情が、アルベールには不気味にすら思えた。
「前に進むしか、ありません」
さめざめと涙を流すシャルロッテに、ランフォードは静かに言い放つ。今までの何よりも、無表情で無機質で、愛情のない言葉だった。
「貴女にはわかるはずだ。今ここで泣いたところで、もう彼らは救えない。誰も悪くない。強いて言うなら…」
──被害者を2人にした、俺でしょう
そのつぶやきに、シャルロッテは静かに涙を流した。
初めは、好奇心。そして自国愛。
それが決して生ぬるいことではないと実感した、昨夜の戦い。
それでも進み、彼らと共にあろうと決意して。そして。
ランフォードの罪すらも共に背負うと覚悟したのだ。
静かに思考する中で、少しずつ冷静になる。
今、ランフォードは誰よりも傷ついている。仲の良い友人を亡くし、かつての仲間を自らの手で葬った。それを共に背負い、前に進むと。そう誓ったのはわたしではないのか。彼を支え、国を救うと。レティシアや母を救うと。そう、誓ったではないか。
「ごめん、なさい」
何に対する謝罪なのか。
ロランと名乗ったこと。弱音を吐いたこと。絶大なる権限を持っているにも関わらず、ただのお荷物と成り下がっていたこと。
これでは、誰ひとり救えない。
ふいに、今まで沈黙していたオデットが言葉を投げる。
「悲しむ時間はたくさんあるわ。それなら前に進んで、きちんと彼らに顔向けできるようになってから悲しみましょうよ」
オデットの声には、疲れたような、あきらめのような、そんな色があった。シャルロッテは静かに顔を上げる。
「ランフォード、指示を」
──わたしはどうすればいいのか。どうするのが、最善なのか。いつもそれを教えて、導いてくれた。そんな貴方を、わたしは信頼している。
シャルロッテの瞳は、涙で濡れてはいたものの。
怒りを携え、ぎらぎらと輝いていた。