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Mädchen Lippen    作者: Mayo
Ausblenden
19/32

Ausblenden Ⅶ



「ロラン…──!」


 すべてが、同時に起こった。


 ロランの家に帰る道中。路地裏。

 わずかな殺気を感じたアルベールが、周囲を警戒する。

 後ろ手でロランをかばうようにしてじっと耳をすませると、かすかに聞こえる息を殺した気配。

 剣に手をかけ、じっと空気の流れを読む。その時だった。


 背後から突如現れた男が、ロランの体をその鋭い剣で貫いた。肉を切る音。うめき声をあげて、ロランはがくりとその場に倒れた。アルベールが男を見上げて素早く剣を抜いた刹那。


「……ヴェンツェル!」


 その一瞬。反対側から血相を変えて現れたランフォードが、音もなく男を斬り捨てる。男は、想定外のことであるかのように、ひどく驚いた顔をして。そして。

 

 そのまま、ロランに重なるようにして、倒れた。


 気が付けば、アルベールの目の前には血に濡れた体があるだけ。何が起こったのか脳が理解するより先に、がくりと膝をつく。どくどくと流れる鮮血に服を濡らして、アルベールはそっとロランの体を抱き起した。


「…アル、ベールさん、…ぼく、」

「しゃべっちゃだめだ! 今手当、を…、」


 途端、力強く、その手を握られる。


「…レティ、シアのこと…お願い、します、ね…」


 途切れながらも紡ぐ言葉は、力に満ちている。慈愛、悲しみ、無念さ。そういった複雑な感情を混ぜ合わせたような声色は、それでも強い意志を持っている。


「……ラン、フォードさ…ん…ありが、と、う…」


そして。


 涙と血に濡れた頬で、優しく、ロランは微笑んだ。後悔のなかでも、それでも精一杯生き抜いた、そんな表情をして。


 まだ若い少年は、静かに息をひきとる。


 風が頬をくすぐる。暖かな日差し。晴れ渡った空。

 どこまでも平穏な世界で、ここだけが異質に空気が澱んでいる。

 城を抜け、騎士団に襲われ。

 いずれこうなることは、わかっていたのに。


 戦場など、何度もくぐりぬけてきた。

 かつて国で、騎士団長として何人も葬ってきた。

 それでも。

 アルベールは、大切な人を目の前で失うことに、慣れてはいない。

 何度経験しても、目の前で仲間が死んでいくことは。


 呼吸を乱すほどに、胸を締め付けられる。


 愕然と膝をついたままのアルベールに手を貸しながら、ランフォードは色のない表情でつぶやく。それは、どこまでも冷たく無機質。


「ここは目立つ。森の中へ」


 それだけ言って、静かにヴェンツェルの濡れた体を抱えた。アルベールも黙ってロランの体を抱えると、ゆっくりと歩きだす。大切なものを守るように、その手つきは優しかった。





「ああ、ヴェンツェル」

 

 城内で、アークライトは静かにつぶやき、窓の外を見つめる。


 ここからでは見えぬ地で。

 一人の人間が、思惑に絡め捕られたまま、その生を終えた。


「貴方は愚かだ。それでも、貴方の行動は称えられるべきでしょう」


 だれが悪いわけでもない。そう、アークライトは思う。

 姫君が吐いた、小さな小さな嘘。

 それが、引き金だと。


「それを知ったら、彼女はどうするのでしょうね」


 独り言にこたえるものはいない。

 アークライトは悲しげにつぶやき、そしてヴァイオリンを手にする。


 静かに控えめに流れるのは、死者への手向け。鎮魂歌。


 これは、決して彼の計算ではなかった。






「わたしが、悪いのでしょう」

 

 ひっそりと呟かれた言葉に、反応できるものはいない。


 夜明け前に通ってきた街へと続く森の中で。一行は、先ほどこの世を去った二名の者のために、静かに祈りを捧げていた。


 きちんと埋葬することは叶わなくとも、すぐにこの場を去らねばならぬ身。形だけでも、安らかに眠らせてあげたいというのが彼ら共通の想いだった。森まで運び、家に残してきたシャルロッテとリシャールを呼び、そしてオデットを連れ出した。彼らは一様に驚き、悲しみ、そして複雑な表情で、状況説明を二人に求めていた。


“突如襲われ、ロランが亡くなった。襲った男はランフォードが始末した”


 そんな説明で、納得できるはずがない。けれど、三人は黙っていた。隠すには、理由があるのだろうと。けれど、隠したところで意味がないのだ。


 根源となった姫君は、すべてを悟ったのだから。


「姫、それは」


「わたしが悪戯にロランと名乗ったから起こったこと。隠しても無駄よ。この男は我が国の騎士の一人。服装でわかるわ。わたしたちを追ってきたのね」


 ランフォードの言葉を遮り、静かに言葉を紡ぐシャルロッテの表情は見えない。


「とんでもないことを、してしまった…」


 唇から洩れた声は、かすかに震えている。


「わたしがロランと名乗らなければこんなことにはならなかった! 勘違いで殺されてしまった! わたしは…! どう、責任を…とればいいのかっ…わからない!!」


 絶叫は、空しく森に響く。


 そしてアルベールは、密かにランフォードの恐ろしさを思う。

 あの時、彼は焦っていたとはいえ、自国の騎士だと分かったはずだ。それでも、容赦なく一瞬で斬り捨てた。

 すさまじい速さで、なんのためらいもなく。

 それこそが彼が優秀と言われる所以なのだろう。それでも。

 一瞬見せたひどく冷たい表情が、アルベールには不気味にすら思えた。


「前に進むしか、ありません」

 

 さめざめと涙を流すシャルロッテに、ランフォードは静かに言い放つ。今までの何よりも、無表情で無機質で、愛情のない言葉だった。


「貴女にはわかるはずだ。今ここで泣いたところで、もう彼らは救えない。誰も悪くない。強いて言うなら…」


──被害者を2人にした、俺でしょう


 そのつぶやきに、シャルロッテは静かに涙を流した。


 初めは、好奇心。そして自国愛。

 それが決して生ぬるいことではないと実感した、昨夜の戦い。

 それでも進み、彼らと共にあろうと決意して。そして。

 ランフォードの罪すらも共に背負うと覚悟したのだ。


 静かに思考する中で、少しずつ冷静になる。

 今、ランフォードは誰よりも傷ついている。仲の良い友人を亡くし、かつての仲間を自らの手で葬った。それを共に背負い、前に進むと。そう誓ったのはわたしではないのか。彼を支え、国を救うと。レティシアや母を救うと。そう、誓ったではないか。


「ごめん、なさい」


 何に対する謝罪なのか。

 ロランと名乗ったこと。弱音を吐いたこと。絶大なる権限を持っているにも関わらず、ただのお荷物と成り下がっていたこと。

 これでは、誰ひとり救えない。


 ふいに、今まで沈黙していたオデットが言葉を投げる。


「悲しむ時間はたくさんあるわ。それなら前に進んで、きちんと彼らに顔向けできるようになってから悲しみましょうよ」


 オデットの声には、疲れたような、あきらめのような、そんな色があった。シャルロッテは静かに顔を上げる。


「ランフォード、指示を」


──わたしはどうすればいいのか。どうするのが、最善なのか。いつもそれを教えて、導いてくれた。そんな貴方を、わたしは信頼している。


 シャルロッテの瞳は、涙で濡れてはいたものの。

 

 怒りを携え、ぎらぎらと輝いていた。



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