Ausblenden Ⅳ
「レティシアが…」
無感情なロランの声は、長い間張り詰めていた緊張を解いたかのように穏やかだった。シャルロッテはテーブルの木目を見つめる。彼がレティシアの身を案じ、責任を感じ続けていたのは明白だ。そんな彼の想い人が自分の身近な存在だったという事実は、さらにシャルロッテを暗くさせる。
長い間共に過ごしてきたにも関わらず、シャルロッテはレティシアのことを何もしらなかったのだ。使用人が多くを語ることはないが、それでも彼女にとっては妹のようなもの。少なからずショックを受けていた。
「ランフォード、貴方、」
「言い訳に聞こえるかもしれませんが…まさか彼女がレティシアだなんて思いもよりませんでした。俺は当時ちらっと見ただけの少女の名前を知りませんでしたしね」
罰が悪そうにそっぽを向いたランフォードをじっと見つめたまま、リシャールは静かにつぶやく。
「いずれにせよ…早急に事を済ませる必要が出てきたようだな」
シャルロッテはうなずいた。レティシアの状態は──はっきり言ってよいとはいえない。アークライトの手に落ちた今、彼女の身を保障することは難しく、シャルロッテ一行も不安を抱えているのが現状だ。このまま事実を隠してロランに伝えることはできるが、それではもしものことがあったときにあまりにも悲しい現実を突きつけられることになる。ならば。
「ロラン、よく聞いて。レティシア・アントワーヌは今、わけあって危険な状況にいます。一国の危機ですので詳しくお話することはできませんが──必ず救い出し、貴方との面会をお約束しましょう」
澄んだ深い青の瞳で、シャルロッテはロランを見つめた。不安で仕方なかった数年間。それでも、ロランにとって彼女がきちんと生きていたことは希望に繋がる。
「姫、ありがとうございます。ただ待つことしかできないけれど…それでも、あなた方の無事と、レティシアの幸運を祈り続けましょう」
寂しそうに微笑んだロランの瞳は、シャルロッテを捕らえている。彼の意思を感じながら、まだ若い姫は静かに決意する。
「ランフォード。なんとしてでも、帰らなければならないわね」
悪戯っぽく笑い、少女はランフォードを見やる。困ったように笑いながら、騎士は静かにうなずいた。
*
「こんにちは」
アルベールとオデットが姿を現したのは、ロランの話が終わった1時間ほど後のことだった。全員がそろうと、改めてロランを紹介し、砂漠を越えるための物資の調達をする。
「乗り物の準備と、食料ですね。あとは日に焼けないための服装など準備するべきことはたくさんあります」
笑顔がもどったロランは、てきぱきと準備をはじめた。ランフォードが役割分担をしていく。
「乗り物はオデット。アルベールはロランと一緒に食料の調達。その他の備品は俺が集める。閣下は姫の護衛をお願いします」
各自静かにうなずくと、役割を果たすために外出しはじめる。しかし。
「ちょっと待ちなさいランフォード!」
シャルロッテが立ち上がり、ランフォードを睨みつけた。冷たい瞳に気おされ、それでもやれやれといった様子でため息をついた。アルベールは苦笑している。
「残念ですが、貴女は連れて行けませんよ。これは遊びじゃない」
その一言で、シャルロッテの瞳は大きく見開かれる。
「そんなことわたしだってわかっているわ! でも、わたしたちは少ない人数で動いている。今はくだらない肩書きにこだわっている場合じゃないと思わないの?」
ランフォードはゆっくりとシャルロッテに近づく。そっと頭をなでると、優しく言った。
「いいですか、俺たちには帰る場所が必要なんです。拠点があればこれからも動きやすくなる。貴女は聡明でいらっしゃる。司令塔でいて欲しいんですよ。俺たちは兵隊ですからね」
顔を歪めて泣きそうな顔をしながら、シャルロッテは静かにうなずいた。改めてぽんぽんと頭を軽くなでると、ランフォードはアルベールやオデット、ロランと共に街に繰り出していった。
「本当に…馬鹿よね、あのひと」
二人きりになったあと、シャルロッテはそっと零した。
「司令塔なんかじゃない。ただ私の存在が彼らに迷惑をかけるだけからと本音を言ってしまえばよいものを」
一国の姫であるシャルロッテが外出すれば周りの人間に居場所を知らせるようなもの。追っ手が来ている可能性を考慮するならば、それは得策ではない。
「お言葉ですが姫。そうやってあの男を試すのもそろそろお止めになってはいかがですか」
あきれた様にリシャールはため息をつく。
「だめよ。彼はわたしに忠実ではならない。きちんと自分で判断をして、人を動かせるようでなければいけないもの」
「それでは…もしあの男が共に外出することを許可したとしたら…どうするおつもりだったのですか」
「意地悪。そうしたらきっと…わたしのあの人への信頼が少し薄れたでしょうね」
そんなものなのか、とリシャールは少しだけ疑問に思う。姫がランフォードを信頼しきっているのは事実だ。けれどきっとこの天真爛漫で聡明な少女は、たびたびその信頼関係を確認しなければ不安なのであろう。それまでなのかといわれればそうかもしれない。けれど。
「貴女は確かに、用心深く聡明な方だ」
裏切りや疑心を見抜くために、そうして少女は人を観察し、動かしてきた。静かに城に閉じこもっているだけあって、彼女はひたすらに考えることを学んだのだろう。しかし…
────その用心深さが、命取りにならぬことをお祈り致します
リシャールの心には、一抹の不安が残った。
ロランから知らされた事実が一行を突き動かし、偶然が物語を濃くしていく。行く末を案じながら、元騎士団長は静かに少女と会話を交わす。彼らの道に、もう迷いはなかった。