帰宅困難とモスコミュール
豪雨災害に遭った話。
「ここの土地は低いからな。明日は我が身かもしれん」
千葉県での豪雨災害のニュースを見ながら、友人とそんな会話を交わしたのは一ヶ月ほど前のことだったろうか。
その日、私は出社しており、外の様子が一切わからないオフィスで怒涛の打ち合わせラッシュに叩きのめされていた。
昼下がり、3つほど連続する会議の予定に辟易しながら缶コーヒーを開けようとした瞬間、在宅勤務中の同僚から1本のチャットが飛んできた。
『自宅の前が水没しました。避難指示も出ているので、今日は早退するかもしれません』
確かに雨の予報は出ていたが、そこまでの暴風雨は想定外だった。
前日も「大雨注意」の予報に警戒し在宅勤務に切り替えたものの、大したこともなく拍子抜けした記憶があったため、最初は冗談の類かと思ったほどだ。
リモート会議を片耳に、慌てて雨雲レーダーを開くと、画面上の名古屋エリアがとんでもない色に染まっている。
自宅周辺も真っ赤に表示されており、駐車場に置いてある愛車が水没していないか一気に不安が押し寄せた。
直後、上司からも『避難指示が出ているらしい。電車も止まり始めているから注意して』と全体連絡が入る。
雲行きがいよいよ怪しくなってきた。
長かった打ち合わせをどうにか片付け、通勤経路の運行状況を確認した頃には、すでに17時を過ぎていた。
私が普段利用しているのは、JR東海と名古屋鉄道(名鉄)。
確認すると、なんと両路線とも運転を見合わせていた。
会社近くに住む同僚たちが「お先に」と帰宅していく中、私は早々に「帰宅困難者」の烙印を押されることとなったのだった。
「宵凪さん、帰れそう?」という同僚の無邪気な問いかけに、私は苦笑いしながら「帰宅困難者ナウです」と返す。
この時点ではまだ夕方。「まあ、時間が経てば動くだろう」と誰もが楽観視していた。もちろん、私も含めて。
その後は社畜精神を発揮して残業をしつつ様子を見ていたものの、20時を過ぎてもダイヤが復旧する気配はない。
焦りが生じ始めた頃、様子を見に来た上司から「宵凪さん、帰らないの?」と声をかけられた。
私は再び苦笑いを浮かべて答えた。
「Don't ではなく、Can't の方です」
そんなやり取りをしていると、館内放送で「帰宅困難者向けに社内スペースを開放する」旨のアナウンスが流れた。いよいよ会社で一夜を明かす現実味が帯びてくる。
上司とSNSでリアルタイムの情報を漁っていると、「名鉄が動き始めたらしい」というツイートを見つけた。
「会社にいても暇ですし、行くだけ行ってみます。ダメなら適当に泊まるか、明日は休むかもしれません」と上司に言い残し、私はオフィスを後にした。
実はこの時、友人までもが駅周辺で足止めをくらっており、「駅前のバーで一杯やりながら待っている」という情報を掴んでいたのだ。
早足で店に向かうと、友人とマスター、そして先客が1人。
「お疲れ様です」と席についた直後、その先客が「あ、名鉄が動き出したみたいだから帰るわ」と立ち上がった。
見送りつつ、私はとりあえずモスコミュールを注文する。
友人からは「いくら雨男だからって、流石にやりすぎだろ」と理不尽な揶揄いを受けた。
その後はウイスキーを2杯ほど嘗めながら時間を潰した。
JRから流れてきた振替乗車組でパニックになっているであろう名鉄の混雑が、少しでも緩和するのを待つためだ。
ちなみに友人は早々に腹をくくっており、「明日は会社を休んで、この後カラオケで朝まで寝る」と言っていた。
頃合いを見て店を出て駅へ向かうと、目ろみが当たって電車は空いており、難なく帰路につくことができた。
自宅周辺に到着すると、玄関先に積まれた土嚢や塀に残された泥の跡から、どうやら膝下あたりまで冠水していたらしき形跡が見て取れた。しかし、午前0時を過ぎる頃にはすっかり水が引いており、インフラと治水のありがたさを痛感する。
行きつけのコンビニの店長に話を聞くと、店の中まで浸水して大惨事だったそうだ。
ハラハラしながら確認した駐車場の愛車も、奇跡的に無事で胸を撫でおろした。
今年は全国的に大雨に見舞われる年だ。この調子だと、冬の大雪も今から少し恐しい。
この度の大雨および全国各地の災害により被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
被災地域の皆様の安全と、一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。




