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幼なじみの檻

作者: 霜月エマ
掲載日:2026/03/02

私、奈緒の日常は、心臓を針で刺されるような痛みを、バカ笑いでコーティングすることで成り立っていた。


「おい奈緒、また数学赤点だろ。お前、脳みそにカビでも生えてんじゃねーの?」


「うるさいな、ハル! 私は芸術肌なの! 10点だって立派な数字でしょ!」


そう言って私の頭を乱暴に撫で回すのは、幼なじみのハルこと、佐々木陽太。


ハルは学年でも指折りの人気者で、スポーツ万能、顔もいい。そして何より、彼には学園の「高嶺の花」と呼ばれる完璧な彼女、美玲さんがいた。


ハルが美玲さんと付き合い始めたと聞いた日、私は部屋で一人、声を殺して泣いた。でも、翌朝にはいつもの「ガサツな幼なじみ」の仮面を被って、彼に声をかけた。


「おめでとう、ハル! 美玲さんなんて、お前には勿体なさすぎるけどね!」


そう言わなければ、彼の隣にいられなくなると思ったから。


彼が美玲さんの話をするたびに、私は自分の指先を爪で突き刺しながら、笑顔で「へー、リア充爆発しろ!」と返し続けた。それが、私が彼と一緒にいるために支払う「入場料」だった。


異変は、彼らが付き合って半年が過ぎた頃から始まった。


最近のハルは、どこかおかしい。以前よりも頻繁に私を呼び出し、下校も、放課後のファミレスも、塾の帰りも、常に私の隣にいるようになった。


「ハル、美玲さんはいいの? 今日、部活のあとにデートだって言ってたじゃん」


私が探るように聞くと、ハルはスマホをポケットに放り込み、冷めた目で私を見た。


「あー……。あいつ、うるせーんだよ。誰とどこにいたか、一々報告しろってさ」


「それは彼女なら当然でしょ」


「奈緒は言わないじゃん。俺がどこで何してても、笑って『おかえり』って言うだろ。……俺、そういうのがいいんだわ」


ハルの目が、じっと私を見据える。その瞳の奥には、以前のような快活さはなく、底の見えない暗い沼のような色が混ざっていた。


私は背筋に冷たいものを感じながらも、「何それ、私を都合のいい女扱いすんな!」と、またいつものように笑って誤魔化した。


ある日の放課後、ついに決定的な瞬間が訪れる。


美玲さんが、真っ赤な目で私を呼び出したのだ。


「奈緒さん、お願い。ハルを……陽太くんを返して。彼、最近私といても、ずっとあなたの話しかしないの。あなたのSNSをチェックして、あなたが誰と話してたか、何を食べてたか、そればっかり……」


震える美玲さんの声に、私は愕然とした。


ハルが私に執着している? そんなわけがない。私はただの「平凡な幼なじみ」で、彼は私をバカにして楽しんでいるだけのはず。


混乱したまま教室に戻ると、そこには薄暗い夕闇の中、私の席に座って私のノートをめくっているハルの姿があった。


「ハル……、美玲さんが泣いてたよ。ちゃんと話し合ってきなよ」


私が努めて冷静に言うと、ハルはゆっくりと顔を上げた。その表情を見た瞬間、私の足が止まった。


彼は、私のノートの一ページを、愛おしそうになぞっていた。そこには、私が授業の合間に無意識に描いた、彼の横顔の落書きがあった。


「奈緒……お前さ。俺のこと、ずっと好きだったんだろ?」


心臓が跳ねた。バレていた。隠し通してきたはずの、私の醜い独占欲が。


ハルは立ち上がり、私の逃げ道を塞ぐようにゆっくりと歩み寄ってくる。


「気づいてたよ。お前が美玲の話をするたびに、一瞬だけ、泣きそうな顔をするの。……それを見るのが、たまらなく快感だったんだ」


「え……?」


「最初は、お前のその健気な顔を拝みたくて付き合っただけなんだわ。でもさ、気づいたら逆だった。お前が俺を見てない一分一秒が、耐えられなくなった」


ハルの手が、私の首筋に触れる。冷たい。でも、逃げられない。


彼は私の耳元で、獲物を仕留めた獣のような、低く甘い声で囁いた。


「美玲とはさっき別れた。あいつ、俺が奈緒の落書きをスマホのフォルダいっぱいに保存してるの見て、引いてたよ」


「ハル、それ……ストーカーじゃ……」


「なんとでも言えよ。俺、お前がいなきゃ生きれない身体にされちゃったんだわ。……お前がずっと俺を甘やかし続けたせいだぞ、奈緒。責任、取れよな?」


ハルの腕の中に閉じ込められたとき、私は気づいた。


私が「離れるのが辛いから」と差し出し続けた優しさは、彼という怪物を育てるための餌に過ぎなかったのだ。


彼は私の顎を持ち上げ、逃げ場のない視線をぶつけてくる。


「これからさ、学校でも家でも、俺以外の男の名前、二度と口に出すな。もし出したら……どうなるか、分かってるよな?」


幼なじみという名の檻。


それは以前からそこにあった。ただ、私が「友達」という名前をつけて、中から鍵をかけていただけだったのだ。


ハルは満足げに、私の唇を塞いだ。


それは幼なじみのふれあいとは程遠い、すべてを奪い、自分の一部に書き換えようとする、暴力的なまでの執着の味だった。


私は恐怖に震えながらも、心のどこかで深い安堵を感じていた。


もう、美玲さんの影に怯える必要はない。


この歪んだ檻の中で、私はようやく、彼の「一番」になれたのだから。

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