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勇者になれなかった俺、配属先の「雑務課」で世界最強の組織を作ってしまう  作者: 限界まで足掻いた人生
雑務課 業務日誌総括

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第97話:仕事の限界

「多種族合同自治委員会」と銘打たれたその会議は、開始から数時間経っても、ただの一歩も前進していなかった。


執務室の大型テーブルを囲んでいるのは、スラムの四つの派閥を率いるリーダーたちだ。頑強な体躯に煤汚れた作業着を着たドワーフの長、古びたが手入れの行き届いたローブを纏うエルフの賢者、傷だらけの耳を苛立たしげに動かす獣人の戦士、そして、猜疑心に満ちた目で周囲を伺う人族の代表。


その中央で、俺は一枚の完璧な契約書を提示していた。


「……もう一度説明します。この『スラム相互互助規約』に基づき、ドワーフの技術で浄水設備を修理し、エルフが提供する薬草学の知識で疫病を防ぎ、獣人の物流網で食料を均等に配分する。そして我々雑務課が、そのすべての予算と公平性を保証する。これに従えば、来月にはスラムの乳児死亡率は三割下がり、平均摂取カロリーは二割向上します。数字上、拒否する理由はどこにもないはずだ」


俺の声は静かだが、確信に満ちていた。トウマが弾き出し、ミラが検証し、サニアが法的に整えた、非の打ち所がない黄金の再建計画だ。


だが、返ってきたのは沈黙、そして冷ややかな拒絶だった。


「理屈は分かった、事務屋。だがな」

ドワーフの長が、太い指でテーブルを叩いた。

「俺たちの先祖が精魂込めて作った城を、平和になった途端に『維持費が高い』と取り壊したのは、そこに座っている人族の役人どもだ。そのツラを拝みながら、仲良く握手して水を分け合えだと? 冗談じゃねえ。俺たちは泥水を啜ってでも、自分たちの誇りを守る」


「誇り、ですか」

エルフの賢者が、鈴を転がすような、しかし毒を含んだ声で続けた。

「我々の森が、都市開発の資材として切り出されるのを黙認したのは誰ですか。獣人の方々も、戦時中は我々の森を通り道として踏み荒らした。今さら共生など、美辞麗句が過ぎます。私たちは、自分たちの区画さえ侵されなければ、他がどうなろうと知ったことではありません」


獣人の戦士が唸り声を上げ、人族の代表が弁明という名の責任転嫁を始める。会議室は一瞬にして、数十年、数百年にわたる「不満の合戦場」と化した。


俺は黙ってその光景を眺めていた。手元の契約書が、ただの無機質な紙切れに見えてくる。


「係長……」

隣で控えていたサニアが、不安げに俺の袖を引いた。彼女の緻密な調整をもってしても、この感情の奔流を堰き止めることはできない。


部屋の隅で腕を組んでいた勇者が、溜息をつきながら歩み寄ってきた。

「おい、事務屋。こいつは計算機じゃ解けねえ問題だぜ。あいつらが抱えてるのは、予算の不足じゃなくて、心の傷だ。剣で斬ることもできなきゃ、魔法で癒すこともできねえ。平和がもたらした、最も厄介な毒だよ」


勇者の言葉が、鋭く俺の胸に刺さった。


俺は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。そこには、今日も変わらず美しい夕焼けが広がっている。だが、その光の下で、人々は「正しさ」ではなく「憎しみ」を選ぼうとしていた。


俺はふと、手元のペンを見つめた。これまでこの一本のペンで、国家を動かし、軍隊を止め、大陸の形を変えてきた。だが、今、その万能だと思っていた武器が、ひどく頼りなく感じられる。


「……気づいたよ」


俺は独り言のように呟いた。


「制度は作れる。規約を作り、法律を整備し、予算を配分し、物理的な不備を正すことは、俺たちの得意分野だ。事務屋として、世界最強のシステムを構築することは可能だ」


俺は振り返り、互いに罵り合うリーダーたちを真っ直ぐに見据えた。


「だが、感情は処理できない」


憎しみ、悲しみ、裏切られた記憶、そして誇り。それらは数字に変換できず、論理的な整合性も持たない。事務処理のフローチャートのどこにも、彼らの「心の痛み」を代入する項目は存在しなかったのだ。


「俺たちがどれだけ完璧な平和の設計図を引いても、そこに住む人間が『隣人を許さない』と決めれば、その設計図はただのゴミになる。平和の歪みっていうのは、システムと心の、この決定的な乖離のことだったんだな」


会議室に一瞬、静寂が訪れた。俺の言葉に、リーダーたちが毒気を抜かれたようにこちらを見た。


「係長、じゃあ……俺たちの仕事は、ここで限界なんですか?」

カイルが、泣きそうな声で問いかけてくる。


「……いや。限界を知ったところからが、本当の仕事だ」


俺は再び席に着き、ぐちゃぐちゃに書き殴られた会議の議事録を引き寄せた。


「感情が処理できないなら、感情が爆発してもシステムが破綻しない『遊び』を作るしかない。互いを許せなくてもいい。ただ、互いを利用することだけは許容できる、もっと泥臭く、もっと不完全な合意だ」


俺はペンを取り、洗練された契約書の裏に、走り書きを始めた。


「勇者、お前の出番だ。理屈じゃない部分を、お前のその『英雄の顔』で繋ぎ止めろ。サニア、ミラ、計画を修正する。効率を捨てろ。各種族のプライドを傷つけないための、遠回りで非効率な、だが『納得できる』プロセスを組み込むんだ」


事務屋の限界は、世界の限界ではない。

論理が通用しないなら、非論理的な妥協点を事務的に定義してやる。


「世界最強の部署を舐めるなよ。感情なんていう予測不能なバグも含めて、俺がこのスラムを、無理やりにでも管理し続けてやる」


ペンの音が、再び激しく響き始めた。

平和という名の不完全な器を、俺たちは何度でも、その歪みごと抱えて補修し続ける。


夜が降りてくるスラムの街に、雑務課の窓から漏れる明かりだけが、冷たく、しかし確かに灯り続けていた。

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