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勇者になれなかった俺、配属先の「雑務課」で世界最強の組織を作ってしまう  作者: 限界まで足掻いた人生
雑務課 業務日誌総括

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第95話:勇者の現場

スラムの空気は、王都のそれとは根本的に異なっていた。焼けた廃材の臭い、行き場を失った汚水の異臭、そして何よりも、剥き出しの生存本能が放つ熱気が、肺の奥まで重く入り込んでくる。


かつて魔王を討ち、大陸に平和をもたらした伝説の勇者は、今、その巨大な剣を背負ったまま、燃え盛るバリケードの前に立っていた。だが、彼の手にあるのは武器ではない。雑務課が発行した避難経路図と、声を張り上げるための拡声魔導具だった。


「慌てるな! 老人と子供を優先しろ! 雑務課が用意した臨時居住区への道は、リクの部隊が既に確保している。俺の指示に従えば、誰一人として怪我はさせない!」


勇者の声は、戦場を震わせたあの咆哮と同じ響きを持っていた。暴徒化しかけていた群衆も、その圧倒的な存在感に圧され、少しずつ整列を始めていた。暴力による鎮圧ではなく、秩序への誘導。それが係長から彼に与えられた、平和な時代の任務だった。


勇者は、倒れかかった家屋から這い出してきた一人の老婆を抱え上げ、安全な場所へと運ぶ。その筋肉質な腕は、かつて数多の魔物を屠ってきたものだ。今は、泥にまみれた弱者を救うために使われている。


一通りの誘導が落ち着き、勇者が額の汗を拭った時のことだった。


足元に、一人の少年が立っていた。泥で顔を汚し、サイズの合わないボロボロの服を着た、十歳にも満たない子供だ。少年は、英雄の象徴である聖剣の柄をじっと見つめていた。


勇者は、恐怖を与えないように腰を落とし、視線を少年の高さに合わせた。


「大丈夫だ、坊主。もう怖いことはない。あっちに行けば温かいスープと、柔らかいベッドがある。俺たちが保証する」


勇者は精一杯の優しい笑顔を作った。だが、少年の瞳に宿っていたのは、感謝でも憧れでもなかった。それは、すべてを諦めた大人のような、冷たく乾いた視線だった。


少年は、小さく、しかしはっきりとした声で問いかけた。


「……お前、戦争の時はどこにいたんだ?」


勇者の動きが止まった。周囲の喧騒が、その一瞬だけ遠のいたような錯覚に陥る。


「……え?」


「俺の父ちゃんも、母ちゃんも、戦争で死んだ。村が焼けて、逃げ出す時、誰も助けてくれなかった。お前は、悪いやつをやっつけた立派な勇者様なんだろ? 世界を救った英雄なんだろ?」


少年の言葉は、一発の弾丸よりも深く勇者の胸を貫いた。


「だったら、なんであの時、俺たちのところには来なかったんだ? 魔王が死んでも、俺たちの家は戻ってこない。お前が勝ったせいで、俺たちはこんなゴミ溜めみたいなところで生きてるんだ。……お前、あの時どこで何をしてたんだよ?」


勇者は答えることができなかった。


あの時、自分はどこにいたか。魔王城の最深部で、世界の命運を賭けて戦っていた。全人類の未来のために、聖剣を振るっていた。それは間違いなく正しいことであり、賞賛されるべき英雄的行為だったはずだ。


だが、その英雄の背後で、どれだけの小さな命が、救いの手も差し伸べられずに消えていったのか。


魔王という「巨大な悪」を倒すことに全力を注ぐあまり、その影で発生していた「無数の悲劇」に、自分は一度も目を向けてこなかったのではないか。


勇者の脳裏に、これまでの戦いの記憶が走馬灯のように駆け巡った。守ったはずの民衆の笑顔。だがその中には、今日出会ったこの少年の姿はなかった。


「……すまない」


絞り出すような声で、勇者は言った。


「俺は……遠くを見ていた。目の前で泣いているお前たちのことに、気づけなかった」


少年は鼻で笑い、勇者の差し出した手を拒むようにして、列の奥へと消えていった。


残された勇者は、しばらくの間、泥だらけの地面を見つめたまま立ち尽くしていた。背負った聖剣が、これまで感じたこともないほど重く感じられた。


夕闇がスラムを包み込み、雑務課が設置した魔導灯が一つ、また一つと灯り始める。


平和とは、誰かにとっての勝利であり、同時に誰かにとっての喪失でもある。


勇者は再び拡声魔導具を手に取り、避難誘導を再開した。だが、その声からは先ほどまでの覇気は消え、代わりに、取り返しのつかない過去への贖罪のような、静かな響きが混ざっていた。


戦場で剣を振るうことよりも、一人の子供の問いに答えることの方が、はるかに難しい。

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