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勇者になれなかった俺、配属先の「雑務課」で世界最強の組織を作ってしまう  作者: 限界まで足掻いた人生
雑務課 業務日誌総括

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第94話:線の外の人間

事務机に置かれた一杯のコーヒーが、激しい地響きと共に表面を波立たせた。窓の外、西側の空には黒い煙が細く立ち上っている。それはかつての戦争の硝煙ではなく、行き場を失った者たちが放った怒りの残り香だった。


ミラが感情を排した声で、状況のアップデートを告げる。


「報告します。西地区廃棄物集積場付近で発生した暴動は、現在も拡大中。参加人数は約三千名。彼らは我々が開始した『廃棄物再利用支援』の受け取りを拒否し、配給車両を転倒させています」


隣で端末を叩いていたカイルが、信じられないといった様子で声を上げた。


「どうしてだよ。せっかく係長やサニアさんが、予算を削られた中で必死に食料や資材を届けたっていうのに。どうして彼らはそれを壊すんだ?」


「理由は単純だよ、カイル」


俺はペンを置き、モニターに映し出された暴動のライブ映像を指差した。画面の中、怒れる群衆が掲げているのは、ボロボロの布に書かれた殴り書きの言葉だった。


『俺たちは数に入っていない』


サニアが苦しげに唇を噛んだ。


「……私のミスです。支援計画を立案する際、効率を優先するあまり、明確な身分証や居住実態の証明が可能な者を優先してリストアップしてしまいました。ですが、あのスラムの深部には、戦乱で戸籍が完全に消失した者や、どの国からも帰属を拒否された『無国籍者』が数万人単位で存在していた。彼らは今回の支援枠から、事務的に、自動的に、除外されてしまったのです」


平和という名の巨大なパズルを完成させる際、どうしても形が合わずに余ってしまうピースがある。俺たちが引いた『支援の境界線』の外側に置かれた人々にとって、届かない支援物資は救いではなく、自分たちが存在しないものとして扱われているという、冷酷な宣告に他ならなかった。


「彼らはパンが欲しいんじゃない。自分たちがこの世界の一部であることを、数字として認めてほしいんだ」


俺は立ち上がり、コートを羽織った。


「係長、どこへ行くんですか。あそこは今、危険です。勇者様でも抑えきれないほどの殺気が渦巻いています」


カイルの制止を片手で制し、俺はリクに目配せを送った。リクは無言で頷き、影のように俺の背後に回る。


「リク、現場の指揮官に伝えろ。武力による鎮圧は厳禁だ。彼らは敵じゃない。ただの『未登録のバグ』だ。そしてサニア、至急、新しい規約を一枚書き上げろ。タイトルは『臨時身分登録に関する特例措置』。身分証がないなら、今日から俺たちが発行してやる。指紋でも、魔力特性でも、何でもいい。この大陸に足をつけて生きているという事実を、俺が全責任を持って『数』に加える」


「……ですが、それでは予算がさらに爆発します」


サニアの指摘に、俺は皮肉な笑みを浮かべた。


「予算の不備は後で財務省の役人の首を絞めて捻出する。それよりも、五万人の『存在しない人間』が暴走して平和というシステムを物理的に破壊する損害額を計算しろ。どっちが安上がりか、子供でも分かるはずだ」


現場に到着すると、そこは混沌の坩堝だった。ひっくり返された馬車、散乱した備蓄食料。そして、ボロボロの服を纏った男が、槍代わりの鉄パイプを突き出しながら叫んでいた。


「俺たちの名前はどこにある! どの書類をめくっても、俺たちの存在は一文字も書かれていない! 国を救った英雄様も、平和を管理する事務屋様も、俺たちのことだけは忘れてやがる!」


その男の前に、俺は丸腰で歩み寄った。リクが緊張感を漂わせるが、俺は構わず男の目を見た。


「忘れてなどいない。ただ、お前たちの存在を定義するためのインクが足りなかっただけだ」


俺は懐から、まだ白紙の登録証の束を取り出した。


「お前たちが誰で、どこから来たかは問わない。だが、今この瞬間、お前たちがこの場所にいて、明日も生きるために食料を必要としているという事実を、俺が『確定事項』として処理する。俺は英雄じゃないから、お前たちの過去を清算することはできない。だが、事務屋として、お前たちの明日を予算の中に組み込むことはできる」


男の力が、わずかに抜けた。


「……名前を、書いてくれるのか? 俺たちを、数に入れてくれるのか?」


「ああ。俺の帳簿に、一人の漏れもなく書き込んでやる。それが世界で一番厄介な部署、雑務課の仕事だからな」


暴動の熱気が、急速に静まり返っていく。怒りの原因は飢えではなく、無視されることへの恐怖だったのだ。


俺は現場の瓦礫の上に腰を下ろし、ペンを走らせ始めた。一人、また一人と、名前のない人々が列を作り始める。


事務屋の戦いは、戦場よりも長く、泥臭い。だが、この一本の線が、彼らを『絶望の外側』から『平和の内側』へと引き戻す唯一の絆になるのだ。


夕闇が迫る中、俺はひたすら数字と名前を刻み続けた。世界最強の部署の業務に、また一つ、途方もない重みの仕事が加わった瞬間だった。

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