第88話:危機回避
ミラがモニターを操作すると、大陸地図を覆っていた不気味な赤色の警告灯が、次々と穏やかな緑色に変わっていった。
「係長、主要な被災地における最低限のカロリー摂取量、および飲料水の確保が完了しました。餓死者の発生報告は、現時点でゼロです」
ミラの報告に、張り詰めていた執務室の空気が一気に緩んだ。未曾有の干ばつという、大陸規模のシステムエラー。俺たちはそれを、情報の透明化と物流の再編という事務的な力で押さえ込んだのだ。
トウマが眼鏡を拭きながら、手元の集計表を閉じた。
「物流網の稼働率は九割を維持。各国の備蓄拠点を強制的に連結したことで、局所的な食料の偏りを事務的に解消できました。計算上、次の収穫期まで耐えられる在庫は確保されています。無駄な廃棄も一切出していません」
サニアもまた、山のような署名済みの合意書を整理しながら頷いた。
「不当な価格吊り上げや買い占めを狙っていた商人たちも、国際条約に基づく罰則と、我々の圧倒的な供給量の前には沈黙せざるを得ませんでした。法的な不備を突く余地を完全に塞いだ成果ですね」
窓際で外を眺めていたカイルが、安堵したように息を吐いた。
「勇者様たちの救助部隊も、最後の孤立村への給水を終えて帰還するそうです。一人の犠牲者も出さずに大干ばつを乗り越えるなんて……本当に、奇跡みたいです」
俺は冷めきったコーヒーを飲み干し、椅子に深く背を預けた。
「奇跡じゃない。ただの管理だ。不備を見つけ、数字を並べ替え、必要な場所へ必要な分だけ送る。それを徹底した結果に過ぎない。英雄が魔王を倒すよりも地味だが、救った命の数は計算上、過去のどの戦争の勝利よりも多いはずだ」
平和な時代において、世界を救うのは英雄の一撃ではなく、無数の事務官たちが積み上げた正確な処理の集積だ。俺はモニターに並ぶ膨大な「異常なし」の文字を見つめた。
「平和を維持するコストは高いが、破綻させるコストに比べれば微々たるものだ。さて、危機は去ったが、事後処理の山が待っているぞ。カイル、まずは各支部への感謝状と、支援物資の清算書類をまとめろ」
「うっ……分かりました! 喜んでやります!」
カイルの返事には、かつての迷いはなかった。
ペンが紙の上を走る音だけが、静かな夜の執務室に響いていた。一つの巨大な不備を修正し終えた達成感と共に、俺たちは次の日常へと戻っていく。




