第87話:総動員
大陸全土を襲う未曾有の干ばつに対し、俺は「総動員体制」の発令を承認した。かつての戦争で軍隊が動員されたように、今は事務官と物流、そして情報網が、一つの目的のために結集しようとしている。
執務室の壁一面に投影された大陸地図には、網の目のように張り巡らされた「雑務課支部」のネットワークが青く点灯していた。
「各支部の自律稼働を開始。現地の貯水状況、農作物の被害予測、住民の健康状態、すべてのデータが中央へ集約されています」
ミラの指先が、空中に浮かぶキーボードを叩き続ける。彼女が構築した情報網は、今や大陸という巨大な生命体の神経系として機能していた。
「トウマ、輸送効率はどうなっている」
「物流網を完全に水優先に切り替えました。魔導コンテナを用いた『水の定期便』が、一時間ごとに主要都市へ到着しています。また、サニアさんが調整した緊急水利権に基づき、上流の国々からの放流量もリアルタイムで監視・制御しています」
トウマが冷静に報告する。それはかつての軍事遠征をも上回る、緻密で大規模な資源移動だった。
「係長、現場からも続々と報告が入っています! 勇者様の救助部隊が、物流の届かない山奥の村々へ小型の浄水装置を運び込んでいます。俺たちの作ったルートが、確実に命を繋いでいます!」
カイルが興奮した様子で端末を指し示した。
「落ち着け、カイル。英雄の活躍を支えているのは、お前がさっき承認した通行許可証と燃料割当表だ。現場が動けるのは、この部屋で数字の整合性が取れているからに他ならない」
俺はネクタイを締め直し、次々と舞い込む決済要求を捌き始めた。
平和な時代の総動員とは、誰かに銃を持たせることではない。大陸中のリソースを、最も必要としている場所へ、最も効率的な経路で届けることだ。
「これほど巨大な組織が、一つの不備を直すために完璧に連動している。……事務屋冥利に尽きるな」
俺は皮肉を込めて呟き、次の指示を飛ばした。
「全支部へ通達。一滴の水の無駄も、一円の予算の不備も許さない。この干ばつという巨大な赤字を、俺たちの事務能力で黒字に叩き叩き直すぞ」
事務屋たちの静かな戦いは、今、最高潮を迎えていた。




