第60話:平和の始まり
執務室には、絶え間なく書類をめくる音と、印章を突く音だけが響いている。
勇者は机の上に山積みにされた、復興支援の申請書や物資の配分表を眺め、深く溜息を吐いた。
「おい、係長。正直に言わせてもらうが、これは戦争より忙しいな」
勇者は椅子に深く身体を預け、疲れ切った表情で天井を見上げた。
「魔王軍と戦っていた頃の方が、まだ身体は楽だった気がするぞ。あいつらは倒せばそれで終わりだったからな」
俺はペンを止めることなく、手元の分厚い予算報告書を次のページへめくった。
「当たり前だ。壊すのは一瞬で済むが、維持するのは終わりのない作業だからな」
勇者は苦笑いしながら、自分の手に残ったペンだこを見つめた。
「……平和ってのは、こんなにも面倒なものなのか。もっとこう、穏やかで何もしなくていいものだと思っていたよ」
俺は新しい書類に署名を書き入れ、静かに答えた。
「平和ってのは管理コストが高いんだ。誰かがこうして数字の不備を埋め、利害を調整し続けなければ、あっという間に崩れ去る。極めて脆弱なシステムに過ぎないからな」
勇者はしばらく沈黙した後、再びペンを握り直した。
「なるほどな。なら、その高いコストの一端を俺が担うのも悪くない」
窓の外からは、復興工事の槌音が規則正しく聞こえてくる。
それはかつての戦場の爆音ではない。人々の生活を再建するための、静かで力強い音だった。




