第37話:雑務課、戦場を止める命令を出す
執務室の机には、王国の紋章が刻まれた重厚な公印が置かれていた。俺は、これまで積み上げてきた管理権限のすべてをこの数枚の書状に込めるべく、一気に筆を走らせた。
発せられたのは、王国軍の歴史上、最も後ろ向きで煩雑な軍令だった。
討伐直後の現場は現状を維持し、管理官の到着まで一切の立ち入りを禁ずること。魔物の残骸回収は、指定された資材管理官の立ち合いのもと、一点ごとに目録を作成しなければならないこと。そして、勇者およびその直属部隊は、あらゆる戦闘行為の前後において、詳細な行動記録と、その一振りが周囲の地形や環境に及ぼした影響の報告書を提出すること。
これらは戦いを禁ずるものではない。ただ、戦った後の事務処理を、戦いそのものよりも遥かに重く、苦痛なものに変えるための罠だった。
「正気か、係長! こんなことをすれば、前線の進軍速度はこれまでの半分以下に落ちるぞ!」
執務室に飛び込んできたリクが、手にした命令書を机に叩きつけた。彼の背後からは、軍内部のあちこちから上がっているであろう、怒号にも似た不満の声が漏れ聞こえてくる。
「半分で済めばいい方だ。現場の兵士たちは、魔物を一匹倒すごとに数時間の書類仕事と、現状保存という名の待機を強いられることになる。功を焦る将校たちにとっては、地獄のような通達だろうな」
俺は冷徹に、けれど確かな手応えを感じながら答えた。サニアが横から、兵士たちの疲弊を心配するように眉をひそめる。
「軍内部からは大ブーイングよ。勇者様を支持する派閥からは、管理職の越権行為だっていう抗議文が山のように届いているわ。あなたの名前、今ごろ最前線でどれだけ呪われているか分かっているの?」
「それでいい。これまでは、勝てば官軍で済まされてきた戦場という名の不始末を、すべて公式な不備として突きつける。勇者が剣を振るえば振るうほど、彼らの周囲には処理しきれないほどの事務的な負債が積み上がっていくんだ」
俺の狙いは、物理的な制止ではない。戦争という熱狂を、冷たい官僚主義の泥沼に沈めて冷やすことだ。
「俺は戦うなとは言っていない。ただ、管理責任者として、正しく後始末をしろと言っているだけだ。それができないのなら、彼らには剣を振るう資格も、大地を削る権利もない」
ペン先を紙に押し当てると、乾いた音がした。勇者がもたらす理不尽な勝利を、俺は膨大な紙の束で包み込み、窒息させてやるつもりだった。
「……これが、事務屋の戦い方ってわけか。性格が悪いな、あんた」
リクが呆れたように、けれどどこか感心したように笑った。
王国の英雄たちが掲げる正義がどれほど眩しくとも、俺が作り出した事務の迷宮を突破することはできない。熱狂に浮かされた戦場に、かつてないほどに退屈で、苛立たしい沈黙が訪れようとしていた。




