第36話:勇者という災害
事務室に戻った俺は、震える手で勇者の戦闘記録を精査した。ミラが命懸けで持ち帰った魔力観測の残滓と、トウマが集めた戦場跡の残留魔力。それらを突き合わせて浮き彫りになったのは、この世界の救世主が持つ力の、あまりに一方的で欠陥だらけの真実だった。
勇者の固有能力。その名は、因果強制勝利。
それは戦術や努力を介在させる余地のない、絶対的な理だ。一度戦闘が開始されれば、世界は強制的に「勇者の勝利」という結末へと収束する。そこに至るまでの過程、すなわち兵士たちの配置や地形の維持、魔力の消費といったあらゆる中間変数は、結末のために無視され、あるいは塗り潰される。
「……ありえない。計算が最初から破綻している」
俺の呟きに、リクが怪経な顔をして身を乗り出した。
「どういうことだ、係長。勇者様が勝つのは、王国にとっちゃ最善の出来事なんじゃないのか」
「違うんだ、リク。この力は勝利という結果だけを無理やり引き寄せている。その過程で生じるはずの歪みを埋めるために、周囲のエネルギーや因果が食いつぶされているんだ。勇者が一振り剣を振るうたびに、勝利に必要な代償が、無関係な兵士の命や大地の資源から勝手に支払われている」
だから地形が蒸発し、味方が巻き込まれ、生成の穴が活性化するのだ。勇者は戦術を学ぶ必要がない。どれほど無謀な突撃をしても、最終的には「勝ててしまう」からだ。彼にとって戦争は、望む結果だけを出力する壊れた装置に過ぎない。
「それじゃあ、勇者様が戦えば戦うほど……」
サニアが青ざめた顔で言葉を継いだ。
「ええ。勝利という対価を支払うために、世界そのものが削り取られている。魔王軍がどれほど兵力を増強しても、勇者は勝つ。そしてその勝利の歪みが、さらに強力な異形を生み出す糧として大地に吸い込まれる。皮肉な話だ」
俺は確信した。この世界は、勝ちすぎる力のせいで終われないのだ。
勇者の存在そのものが、戦争という不治の病を永続させるための、この世で最も巨大な欠陥だった。
「……止めるぞ、リク。サニア。俺たちは英雄を倒すわけじゃない。この狂った必勝の理を、事務的に解体してやるんだ」
俺は地図の上に、勇者の進軍ルートを赤く塗り潰した。救世主を戦場から引き剥がし、戦いに「敗北」や「停滞」の余地を取り戻す。それが、この地獄を終わらせるために俺たち雑務課が挑むべき、真の業務だった。




