第32話:潜入と傍観
ミラの手引きにより、俺たちは魔王軍が実効支配する北方の渓谷地帯へと足を踏み入れた。係長への昇進に伴い、俺の権限は王国内部だけでなく、国境を越えた交渉の場においても「公的な窓口」としての重みを持つようになっている。
潜入の目的は、敵陣営の中でも和平を望むとされる「共存派」の実態調査だ。ミラが事前に接触していた連絡員を通じて、俺たちは彼らの駐屯地を一望できる岩陰に身を潜めた。
眼下に広がる光景は、俺が想像していた魔軍のそれとは大きくかけ離れていた。
そこにあるのは、血気に逸る魔物たちの姿ではない。長引く戦いと終わりのない徴兵に疲れ果て、虚ろな目で武具を研ぐ兵士たちの群れだ。彼らの装備は、兵器生成派から供給される「生きた武具」に侵食され、持ち主の生命力を吸い取っているようにも見えた。
「……あれが、共存派の現実よ」
ミラの囁きに、俺は無言で頷いた。彼らは戦争の無意味さを誰よりも理解している。しかし、組織という巨大な枷に縛られ、逆らうことも、逃げ出すこともできずにいる。
俺は懐から、王国軍後方支援統括本部、雑務課係長の公印が押された書状を取り出した。
これまでの俺なら、ただ傍観し、情報を集めることしかできなかっただろう。だが、今の俺には「管理職」という盾がある。事務的な手続きを隠れ蓑に、敵対勢力の内部へ合法的な圧力をかける手段を手に入れたのだ。
俺はミラに合図を送り、共存派の指揮官が一人でいる幕舎へと近づいた。
「夜分に失礼する。王国軍の雑務課で係長を務めている者だ。……貴殿たちの兵站における、深刻な不具合の修正案を持ってまいりました」
突然の侵入者に剣を抜こうとした指揮官に対し、俺は威圧するのではなく、極めて事務的な、淡々とした口調で言葉を継いだ。
「貴殿らの上層部、特に生成派は、兵士の命をただの消耗品としか見ていない。その非効率な運用を是正する用意が、我々にはあります。これは和平の打診ではない。……単なる、管理体制の最適化の提案です」
俺が提示したのは、戦場からの遺体回収を王国側が代行し、生成派への素材供給を断つ代わりに、共存派の兵士たちへ「安全な休息」を保障するという、奇妙な契約案だった。
戦争を止めたいという想いは、もはや青臭い理想ではない。
組織の綻びを突き、利害を操作し、敵の存在意義を内側から削り取っていく。
それが、管理職という椅子を手に入れた俺の、具体的かつ冷徹な行動方針だ。
共存派の指揮官の目に、戸惑いと、それ以上の期待が混じるのを俺は見逃さなかった。




