鳥居の亀裂と、鉄棒の乙女
放課後の喧騒が、西日に長く伸びる影に溶けていく。
神楽坂零は、使い古された金属バットを右肩に乗せ、ゆったりとした足取りで校門に向かって歩いていた。
「あーあ、またやってるよ。零、お前まだそんな物騒なもん持ち歩いてんのかよ」
背後から飛んできた呆れ声に、零は長い黒髪をなびかせて振り返った。
そこには、隣家の幼馴染であり、この街にある神社の次期神主――水城 悠真が、鞄を肩にかけ、困ったような顔で立っていた。
「うるさいね。これは私のアイデンティティなの。あんたこそ、そんなひょろひょろで神主が務まるのかい?」
零が不敵に笑うと、通り過ぎる生徒たちが一瞬、その美貌に見惚れて足を止める。だが、肩のバットを見た瞬間に、蜘蛛の子を散らすように距離を置いた。
「余計なお世話。……いいか、お前は黙ってりゃ超美形なんだから、そんなもん捨てろよ。学校でなんて言われてるか知ってるか? 『殲滅の羅刹女神』だぞ。可愛さと鬼感が消えてないって有名なんだからな。こないだお前に告白したラグビー部の奴、振られたあとに絶望して自分で地面に頭ぶつけて『あーーー!』って叫びながらガイアを這いずり回ってたって噂だぞ」
「殴ってないわよ。私はマガツ以外は殴らないって決めてんの。……あのアホ、勝手に自爆してのたうち回ってただけだわ」
「……自爆かよ。お前の振る舞いが怖すぎて、脳がバグったんじゃねーの? ったく、お前にはまだ、その『マガツ』ってのが見えてんのか。子供の頃、俺が化け物に襲われたのを助けてくれた時から、一歩も変わってないんだな」
悠真は少しだけ懐かしそうな、それでいて危ういものを見るような目で零を見た。校門を出て、二人の家がある神社の方角へと歩き出す。
「女子高生なんだから、もう少し普通にしろよな。あーそうだ。お前ん家のおばさんに頼まれてたお札、用意できてっから。今から取りに来いよ」
「なんだよ」
零はニヤリと口角を上げ、悠真の顔を間近で覗き込んだ。
「お札を口実に誘い出しちゃって。……何、昔みたいに一緒に風呂でも入ろっか?」
「っ! バカ、いつの話してんだよ! 冗談でもこんなところで言うなよ! 俺が皆に殺される」
悠真が顔を赤くして怒鳴った、その瞬間だった。
神社の鳥居が目の前に迫ったところで、空間が、腐った肉が裂けるような音を立てて歪んだ。
「……っ!? 悠真、伏せな!」
境内の空気が一変し、夕焼けを食い破るようにどす黒い「亀裂」が虚空に走り出す。そこから、ぬるりとした紫の触手が溢れ出した。
「え……? なんだ、これ……っあ!」
「悠真!!」
零がバットを握りしめ、地面を蹴る。しかし、亀裂から噴き出した「禍」の衝撃波が、彼女を拒絶するように弾き飛ばした。
悠真の体が、目に見えない力に吊り上げられ、亀裂の中へと引きずり込まれていく。
『……ミツケタ……器……神の、血を引く……器……』
「禍津め……! あいつをさらってどうするつもりだ……!」
悠真の体が完全に闇に消える寸前、零はバットを握り直し、猛然と走り出した。
「返せ。……私のからかい相手を、勝手に連れて行くんじゃないよ!」
零は咆哮し、閉じかかった亀裂――異界の門へと、その身を投げ出した。




