9 冷淡姫、謁見する
ある日、イリアネは王城に招かれていた。
正直なところ心当たりはあるので、気が重いが断れるはずもない。
「よく来てくれた、フォルトゥナ嬢。すまないな、わざわざ来てもらって……ああ、今日は公式でもなんでもないから楽にしてくれ。堅苦しい挨拶もしなくていい」
「……ありがとうございます」
ひらりと振られた手と気安い言葉に、イリアネは困惑を隠しきれない。
だが何も言わないのもいかがなものかと彼女はただそう応えた。
第二王子から呼び出されたのは、アリオスに結婚の先延ばしを申し出て一週間ほど経った頃だった。
あの提案の後にアリオスは彼女に考え直してくれるよう、謝罪やイリアネと婚姻したい旨を言葉にしてくれたがどうにもイリアネには受け入れがたかったのだ。
イリアネはアリオスとの面会を避けるようになり、アリオスもまた仕事がある以上彼女にかかりっきりになるわけにもいかず、状況は膠着したままであった。
アリオスの事情も、状況も、イリアネはよく理解していた。
その上で追い詰められていたからこそ、彼女を責めるような……八つ当たりの言葉も出てきたのだと、イリアネも理解している。
だが忘れてはならないのは、イリアネがいくら穏やかで物静かで、表情に出にくいからといって彼女はまだ社交界に出てさほど経っていないうら若き淑女なのだ。
しかも顔立ちや無表情さから達観しているように見えるだけで、内面はとても繊細で傷つきやすい娘であったからなおのこと拗れてしまった。
人々の噂に立ち向かう勇気も持てず、静かにやり過ごしていた――それが拍車をかけたことは否めない。
とはいえ立ち向かうこともまた容易なことではなく、自身の心を守るために守りに徹した結果が〝冷淡姫〟の呼び名であることを思えばこの状況はなるべくしてなったとしか言いようがない。
彼女は、有り体に言えば傷ついていたのだ。
アリオスの気持ちも、周囲の状況も理解した上で『これ以上傷つきたくない』と逃げに入ったのである。
しかし幸いながらマリアンナの養親であるヴァンデッシュ家から、イリアネからの手紙を受けて彼女に落ち度は何もなく、わざわざ謝罪も、訪問して経緯の説明をする必要もないと連絡があったことだろうか。
むしろマリアンナが迷惑をかけてすまなかったという謝罪と、丁寧な対応に対する感謝、そしてこれからもいやでなければ義娘と友人関係を続けて欲しいという真摯な言葉までついていてイリアネはそれにどれほど救われたことか。
そこにはマリアンナからの手紙も同封されていた。
あの日のことを何度反省しても足りないと痛感したこと。
申し訳なくて顔向けができないが、イリアネと友人でいても恥ずかしくない振る舞いをしてみせるから待っていて欲しいということ。
そうしたらまた改めて謝罪をさせてもらいたい。
……そう書かれた手紙に、イリアネも不覚にも泣いてしまいそうだった。
そんな時に第二王子からの招かれたのだ。
心当たりがないなんて言えるはずもなかった。
(……個人的にご挨拶をしたのは、これが初めてだわ)
イリアネは噂のこともあって、社交を最低限に留めている。
しかしながら大々的な夜会などには出席をせざるを得ず、そうした場には王家からも誰かしらが顔を出していることがある。
そこで第二王子の姿を見ることはあったし、父親に連れられてフォルトゥナ家の一員として挨拶をしたことはあるが、それ以上のことはない。
(どうして呼ばれたのかしら。……まあ、間違いなくアリオス様かマリアンナ様、どちらかの話なのでしょうけど……)
提案に対してアリオスは受け入れがたいと何度も繰り返していた。
イリアネに固執しなくとも今の、第二王子の護衛騎士に選ばれたアリオスならばいくらでも良い人がいるはずだという彼女の言葉にもアリオスは強くそうじゃないと言っていた。
フォルトゥナ家への誠意なのか、イリアネに対しての申し訳なさからくるものなのか、いずれにせよそこまで固執しなくてもいいのにとイリアネは苦笑する。
そうした真面目なところが好ましいと思っていたが、今になってみれば厄介だ。
(……私のことを、少しは好ましいと思ってくれてもいるのだろうけど)
そしてこの件はきっと第二王子の耳にも届いていることだろう。
アリオスはここ最近、何かと忙しそうにしているそうだから。
護衛騎士である彼がそれだけ行動をしているのであれば、主人である第二王子が知らないはずがないのだ。
それともマリアンナのことだろうか?
彼女と王子の恋愛は順調だったと思うが、先日の件で彼女が臥せっていることを心配して話を聞かせてもらいたいと言われたら、どう答えるべきなのかとイリアネはぼんやりとそんなことを考える。
「実は今日ここに来てもらったのは他でもない」
「はい」
真面目な顔をする王子を前に、叱責を受けるのだろうかとイリアネも背筋を正す。
だが少しの沈黙の後、王子はふいっと視線を逸らした。
「……そなたと話をしてみたくてだな」
「……はい?」
「アリオスはその……わたしのせいで忙しくなってしまって。マリアンナのことについて、相談できる相手が誰もいなくてだな……」
「相談、ですか?」
先日の件を聞かせろでもなく、相談と言われてイリアネは目を瞬かせる。
王子は困ったように笑った。
そしてどうかマリアンナに、今も待っていると伝えてほしいと言われて――イリアネは、ただただ困惑するしかなかったのだった。