8 彼の事情
「受け入れられるわけがないだろう……!」
アリオスは、自室で頭をかきむしる。
しかしながらそれらは全て自業自得と言われればその通りであり、だがしかし、決して彼だけのせいとも言えないことが積み重なってのことだった。
マリアンナを気にしたのは、確かに幼い頃から知る彼女が困っていたからだ。
同じ平民同士ということでどこか……同じ立場の人間がいるという、心強さがあった。
同時に、貴族社会で出自を揶揄され打ちのめされることも多い中、純粋に頼りにしてくれるマリアンナの存在に逃げていたのも、事実だ。
だが何よりももっとも大きな理由は、第二王子からの期待だった。
『ただマリアンナ嬢ともう少しだけ親しくなりたいだけだ』
『アリオスを護衛に選んだのは、別にマリアンナ嬢の幼なじみだからという理由じゃなく実力を重んじてのことだ』
『ぼくが公爵位を賜ったら、マリアンナ嬢と結婚したいと打診したんだ。もしよければアリオス、その時は君も一緒に来てくれたら嬉しい。騎士団長として……』
『マリアンナ嬢が困ることのないようにしたいんだけど、全部やってしまったらだめだからね。アリオス、手を貸してくれるだろう?』
第二王子のためにマリアンナの世話を焼く。
立派な淑女に。第二王子に相応しい貴族令嬢になってもらうために。
だが第二王子がそう『しろ』と命じたわけではない。
ただ、そうと取れるような言い方をしてきただけで。
でもそれは宮仕えをしていたアリオスにとって、命令されたも同然だった。
最初、マリアンナに声をかけたのは懐かしさと善意だ。
だがアリオスはもう自分が幼い子供でないことを理解していたし、年頃の男女の距離についても理解していた。
なにより彼は婚約者であるイリアネに対し、不安を覚えさせたくはなかったのだ。
だからこそ焦っていた。焦りすぎたのだと思う。
(確かに俺たちの間に愛はないのかもしれないが)
今後も貴族から支援をもらった人間として、貴族たちと平民の間を取り持てるよう良い働きを示さなくてはならない。
そのために、支えてくれる貴族の妻が必要であることは養父から教えられていた。
だが残念なことに年頃の令嬢はアリオスという男を、たかが一介の騎士であると認識し、将来性の見込みが少ないと判断して縁談は断られ続けたのだ。
とはいえ、いくつかは逆に申し込まれることもあった。
ただそれは、いわゆる瑕疵ある女性だったけれど。
たとえば、女性側の不義が理由で破談を迎えた人であったり。
また、なんらかの事情で寡婦となった女性であったり。
それからずいぶんと年上の女性であったり。
……と、まあ養親でも『これはちょっとね……』と退ける程度には条件の悪い縁談であった。
そんな中、フォルトゥナ家の令嬢が縁談を受けてくれたことによって、アリオス・グラーヴィスに運が向いてきた。
イリアネ・フォルトゥナは世間では〝冷淡姫〟とあだ名される女性で、その内面も表情と同じで冷淡だと揶揄されることが多かった。
美しい顔に魅惑的な肢体、それらで数多の異性を虜にし、多くの恋人たちを破局に導いた……などという噂もあった。
だが実際にアリオスが会った彼女は、ただ控えめで静かな女性でしかなかった。
口数が少なく、緊張しやすい性格なのだろうと見抜いたアリオスはゆっくりと距離を縮められればいいなと思ったものだ。
彼はイリアネのことを夜会で救ったなどという出来事はまるで覚えていなかった。
ただ純粋に、彼女と共にいることで何かが満たされるような気持ちになっていたのだ。
それなのに。
『……アリオス様、これは一つの提案なのですけれど――結婚は、もう少し先延ばしにいたしましょう』
あの日、彼女を責めるような言葉を口にしたことを謝罪したかった。
焦っていた自分が、彼女を傷つけた。
その事実はアリオスにまた別の焦りを生んだ。
アリオスは第二王子に認められたかっただけだった。
そうしたらきっと何もかもが上手く行くと信じていたのだ。
後ろ盾を得て騎士として立つのではなく、己の力で地位を掴み取れたらイリアネと対等になれるのではと考えた。
そして幼馴染みと、敬愛する主君が婚姻したらどれほど素晴らしいことだろうと考えた。
王子に逆らえなかった以上に、アリオスにはそういった気持ちがあることをイリアネに伝えたかった。
出会いこそ見合いだが、イリアネという女性をアリオスは妻に迎えたい。自分の力で。
だが、今はどうだろうか。
彼女と自分の間にあったあの穏やかな空間は、まるで巨大な氷の壁に阻まれているだ。
マリアンナとの関係を誤解された?
いいや、言葉を尽くし態度でも示してきたはずだ。
王子と早く結ばれてくれるよう願っていたから、ついイリアネの助言を制して社交をさせようとしたことは反省すべきことだが――異性として大事に想うのは、只一人だけだ。
己の愚鈍さに、愛想を尽かされた?
だとすればどうやって挽回したらいいのかアリオスには見当がつかない。
彼女は結婚を先延ばしにしたいと言った。
本来ならあと半年もしないうちに、質素ながらも式を挙げる予定であったのに。
『アリオス様は殿下の覚えめでたき騎士ですもの。今では高位貴族のご令嬢たちも貴方様から声をかけていただくことを待っていらっしゃる。……マリアンナ様がどのような道を選ばれるのかはわかりませんが、私は……』
彼女が全てを諦めるような表情で薄く笑みを浮かべたのを見て、アリオスは愕然とした。
まるで思いが伝わっていない、そう思ったところで――彼は自分の気持ちを、少しも言葉にしていなかったと改めて気づかされたのである。
結婚したい、それだけでは伝わるはずがなかったのだ。
この結婚には自分の気持ちが乗っかっている。
それも今ではかなりの重さで。
(でも今の彼女には届かない。全部俺が悪いんだけど)
見合いをして婚約をした。
だから結婚することは変わらない。
大事に思っているし、彼女だからこそ結婚したいと今は思っているが――それを『婚約者だし』と伝えていなかったのはアリオスの落ち度だ。
それを彼も自覚しているからこそ、遅まきながら行動を起こすべきだと慌てて養父のところに走り出すのだった。
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