6 冷淡姫は提案する
イリアネは翌日、いつもと変わらない様子でアリオスを出迎えていた。
実際には、いつもと変わらないどころか一睡もしていないが、そこは令嬢としてのプライドがあるので、普段と変わらないように見せているだけだ。
といっても、メイドたちにお願いして、いつもよりも化粧を濃くしてもらって誤魔化している点は否めないけれども――アリオスは幸いにして気づいていないようで、イリアネはそっと胸の内で安堵する。
「ある程度の事情はマリアンナ様のご両親にお手紙を送らせていただきました。改めての謝罪については、都合の良い日をお知らせいただけるようお願いもしております」
「……そう、か」
「かいつまんで説明させていただきますと、マリアンナ様はまだご令嬢たちの悪意に対して上手に切り抜ける術を身につけておいでではなかったということになるのかしら……」
イリアネとしては、嫌味の応酬といった程度のことだ。
それでもマリアンナにとってはさぞ恐ろしい世界に見えたに違いない。
自分を使って、他者を攻撃する。
それはあまりにも陰湿で、彼女のように真っ直ぐ相手に向かっていこうとする人にとっては得体の知れないもののように感じたのかもしれない。
イリアネにとってそうした、回りくどいやり口は貴族としてはよくある話で、第二王子に気に入られているマリアンナにとってこれは今後もついて回る光景だと割り切ってもらうしかないと思う。
といっても、あくまでそれは第二王子の妻になる覚悟があるなら、の話だ。
(……マリアンナ様は、真っ直ぐな人だから……今後もああいったことがあったら、きっと胸を痛めてしまうわね)
最初は、イリアネを無視していた令嬢たち。
親しげに話しかけられ会話をする中で、マリアンナはイリアネを気にしていたけれど動けずにいた。
それをイリアネも気にすることなく、絵画を楽しんで過ごしていたわけだ。
だが次第に令嬢たちはマリアンナが苦手な芸術作品や社交的な話題になるとついてこれなくなって余裕がなくなってくるのを見て、イリアネを下げ始めたのだ。
『イリアネ様は笑顔も少ないのに美しいから羨ましいわ。ねえ、ご存知だったかしら? あの方ったら男性からの目をいっつも集めておりますのよ』
『媚を売らなくてもあのスタイルですものねえ、殿方が好まれる体型と言うのかしら? そういうのは生まれ持ったものですものね、本当に羨ましいわあ。そうは思いません? マリアンナ様』
わかりやすい嫌味だなとイリアネは思ったものだ。
褒めているようで貶しているその様は、もう幾度となく耳にしているが今回は随分幼稚な言い回しだなと思ったところでハッとする。
すっかり余裕をなくして、冷静な判断がマリアンナにはできなかった。
そのせいで話の内容を精査する前に曖昧に頷けば――それは誤魔化し程度のものだったのだけれども、それでもマリアンナを取り囲む令嬢たちは大喜びして見せたのだ。
そして同調してみせたかと思うと、すぐにその笑みを悪意に染める。
『あんな冷たい様子だから婚約者も幼馴染みを優先するんですよね』
『ああ、マリアンナ様は第二王子殿下にもお声がけしていただける期待の淑女ですもの! 幼馴染みの騎士様が気にするのも当然ですわ!』
マリアンナを褒めるようにしてイリアネを貶す。
曖昧な肯定は、彼女もまたイリアネに対して思うところがあると認めさせたと彼女が気づいた時にはもう悪意の渦の中だ。
同時にマリアンナのことを、まるで男を手玉に取る女性かのようにも言っているのだ。
そこに彼女が気づいていたかはイリアネにはわからないけれども。
「ですがあの場はあれで良かったのです」
もしもあの時、曖昧な同調ではなく悪意を察知して初めから立ち向かおうとしていたら、今度はマリアンナが標的になっていたに違いない。
身の程知らずにも王子の庇護があるからと偉そうに、親は何を教えているのかなんて話になれば貴族家同士の問題にも繋がりかねなかったのだ。
マリアンナは自身を使ってイリアネを貶めようとした令嬢たちの思惑に、まんまと乗せられたのだと気づいた。
気づいて、己の至らなさが悔しくて泣いてしまったのである。
そんな純粋な彼女を、令嬢たちは『幼い』と揶揄した。
イリアネはそれを許せず、令嬢たちに嫌味を一つ二つ告げて――最終的に、マリアンナの肩を抱いてあの場を後にしたところでアリオスが迎えに来た……というわけであった。
(……マリアンナ様に及ばないくせに、か)
アリオスには告げない、告げられなかった、去り際に一人の令嬢からただぽつりと言われた言葉。
胸に刺さったそれを、イリアネはぐっと呑み込んだままだ。
この言葉だけは、アリオスに伝えるつもりはない。
でもその言葉が、頭から離れない。
何度も何度も、頭の中で繰り返される。
マリアンナがこのまま大成すれば――イリアネは、きっとアリオスにとって不要になるのだろうことは想像に難くない。
彼女が第二王子と結ばれれば、アリオスはその立役者になるだろう。
そして二人の庇護を受けたなら、もうフォルトゥナ家のような中堅どころの後ろ盾なんて必要ない。
むしろ、もっと高位貴族との縁を勧められることだろう。
それにもしもマリアンナが第二王子と結ばれなくても、彼女といることはアリオスにとって寛げることには違いない。
自分よりもマリアンナと結ばれることによって、彼女の養父母が後ろ盾になるのだからそれはそれでアリオスにとって良いことなのではないかと思えた。
「申し訳ございませんでした」
「どうして君が謝るんだ!」
「マリアンナ様を守れませんでしたわ」
「でも君は止めてくれていたのに、俺たちが、俺が無理を言って……!」
「それでも!」
アリオスは謝ろうとしてくれている。
それはわかっているのに、イリアネは声を荒げて制した。
「それでも……守れなかったんです。私が、傍におりましたのに。貴方様の、大切な方をお守りできなかったのは事実です」
「イリアネ嬢……」
そこにどんな感情が伴うのかなんて、イリアネは知らない。知りたくない。
だがマリアンナという女性は、アリオスにとって特別だ。
イリアネにとって大切な人であるアリオスの、大切な人。
そして彼女にとっても、大切な友人であるマリアンナ。
あんなに傷ついて泣いてしまう姿を見て、罪悪感を覚えるなという方が無理な話だったのだ。
「……アリオス様、これは一つの提案なのですけれど――」
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