17 冷淡姫、勇気を振り絞る
そこからは、イリアネも予想していたとおりの話が続いた。
第二王子がマリアンナに恋心を抱き、当時は彼女もそれを嬉しく思っていたこと。
マリアンナがあの性格なので世話を焼いていたアリオスが第二王子の目に留まり、護衛騎士にまでなったこと。
そして双方から恋の相談を受けていたこと。
「……実力だけじゃなく、マリアンナと幼馴染みという運があったからだと陰口をよく叩かれたな」
「そんなこと……」
「正直、ないと言い切れないのが悔しいところだ」
イリアネも言い切れなかった。
いいや、むしろそれがきっかけとして殆どを占めていたに違いない。
今現在では王子がアリオス個人の実力と人柄を好ましく思い、認めてくれているとしても、だ。
運も実力のうちとは言うものの、王族の……何より国の未来を担う王子の護衛騎士は、騎士たちにとって誉れだ。
それを平民出身のアリオスにその座を奪われたとやっかむ輩はどこに行ってもそのことを面白おかしく語るに違いない。
結局のところ、彼が実力で黙らせるしかないのが現実だ。
それはイリアネが伯爵家という立場故に、より高位な貴族家の人間に〝冷淡姫〟と揶揄されても言い返せなかったのと同じことであった。
イリアネは諦めて、黙ることを選んだ。
でもアリオスは歯を食いしばって前を歩もうとした。
(……そうね、そうやって前を見る姿に、惹かれたんだわ)
言葉少なく誠実な人だから。
彼に対してそう思っていたイリアネは、彼が常に養親を気遣い、生家を気にして――彼らに誇ってもらえる騎士でありたいと語り、そしてその通りに生きようとしている姿を尊敬していたのだ。
尊敬し、恋している。
だからこそ、彼の期待に応えられなかった自分が――あの時、一方的に責められたことが辛くて、イリアネはまた辛い現実から目を背けたのだ。
何も知ろうとせずに。
「俺が、勝手に一人で焦ったんだ。焦った結果、台無しにした」
「いいえ! そんな……」
結果として思い描いたものはただの空想だっただけだ。
マリアンナは恋に恋をしていただけだし、王子は恋をしていても現状を変える力はなかった。
もしあのまま続けていたら、マリアンナが結局耐えきれず、破局を迎えた可能性は高い。
ただそれもこれも、あくまで予想にすぎない。
今の現状は、誰のせいかなどと言えるものではないとイリアネは言いたかった。
「イリアネにも、婚約者だからと甘えすぎていたよな。いや、違うな……なんて言えばいいのか。俺はもっと、きちんと言葉にして、相談して、その上で頼れば良かったんだと思う」
何度か言い淀みながら、アリオスは言葉を紡ぐ。
それでもまだ彼の中では納得できていないのか、難しい顔をしてああだとかううだとか何度か唸って、綺麗に整えた髪をぐしゃりと崩してしまったという表情になった。
「ああ、くそ……かっこつかねえなあ!」
「えっ」
「すまない、イリアネ。俺は元々こういう口調で、令嬢たちだけじゃなく貴族を相手にするのに相応しい言葉遣いを覚えろって言われているんだが……だめだ、お綺麗な言葉じゃあんたに俺の本音を伝えられる気がしない」
目を瞬かせるイリアネを前に、アリオスは崩れた前髪を鬱陶しそうに書き上げて、深呼吸をしていた。
「イリアネ・フォルトゥナ嬢、俺はあんたと夫婦になりたい。勝手に重圧を感じて一方的に突っ走っちまう俺は、きっとこれからも失敗するだろうけど……いや、できる限り直す! 頼れる夫になる! だから……」
「アリオス様……」
「だから、俺を見捨てないでくれるか。貴族たちに認められるための結婚だとかそういうんじゃなくて、俺は……俺やマリアンナみたいなやつを相手にも真っ向からきちんと向き合ってくれるイリアネに、惚れたんだ。だから……夫婦になりたい」
飾り気も何もない、ただの真っ直ぐな言葉だった。
だがそれはこれまでのアリオスとの会話のどれよりも、真摯なものであるようにイリアネには聞こえた。
アリオスのその言葉は、愛を囁くにはあまりにも不格好で無骨で、貴族としては褒められたものではない。
だからそこには物珍しさや新鮮さ、そういったものもあってイリアネの目を引いたのかもしれない。
だがそれ以上に、イリアネは――彼がただイリアネを求めてくれた、そのことが一番嬉しかった。
(我ながら単純だわ!)
「イリアネ?」
徐々に理性に感情が追いついて、イリアネの頬が赤く染まっていく。
それを目にしたアリオスが驚いたように目を瞬かせる姿に、彼女はより羞恥を覚えて顔を手で覆い隠した。
それでも、彼は踏み出してくれたのだ。
いつまでも足踏みして前に出られない、イリアネの手を引くように。
ならば、それに応えたいとイリアネは勇気を振り絞った。
「……私も」
「え?」
「私も、お慕いしております」
か細い声で、彼女はそう告げる。
今はまだこれが精一杯だけれど、それでも彼女のその誠意はアリオスにまっすぐ届いたようで満面の笑みで抱きしめられたのだった。




