16 冷淡姫は痛感する
身勝手な男の言い分だとアリオスは言った。
アリオスは本当に普通の平民家庭に生まれた。
近所からいわゆる〝ガキ大将〟と呼ばれる程度にはやんちゃな少年。
拾った枝を振り回してガキ大将なりに自分より年下の子供たちを庇ったりしているうちに、気づけば兵士への道を目指していた。
町の子供によくある話であった。
兵士になるためには剣術の道場に通うのが一般的だ。
この国では予備役の兵士や、退役兵が道場を任されることが殆どで、不向きな子供たちは早々に道場を辞めるよう促す。
ここでまず篩いにかけられているというわけだ。
そして残った子供たちはそのまま道場で研鑽を積み、剣術大会などに参加してその才能を周囲に示しつつ、最終的には道場からの推薦を持って国家の安全を担う兵士になるのだ。
大会に出場するのは実力がある子供たちだけだ。
各道場からのお墨付き、原石と呼べる子供たちである。
私兵に迎えようとする貴族もいれば、養子に迎えようとする貴族もいる。
中には裕福な商人などもいるわけだが、研鑽と同時に彼ら自身を売り込む場でもあった。
運が良ければ兵士たちよりワンランク上の騎士を目指せる。
騎士になるには貴族家からの推薦を持って試験に挑まねばならない。
兵士も給料はいいが、騎士になれば格段に跳ね上がる給金を考えれば家族に楽をさせてやりたいと願う子供たちはより研鑽に励むのだ。
アリオスもその一人だった。
彼はとある大会で最年少の優勝を果たし、今の養父母に認められることとなる。
そこから生活は一変した。
成人一歩手前の彼は貴族家の養子になったことで、まず学びを急がねばならなかった。
貴族の一員となったからには責任を負わずとも品位は求められる。
加えて、武人としての才を認められてのことだったので訓練もあった。
「それはもう、忙しい日々だったな」
今になってみれば社交デビューなんてよくできたものだとアリオスは笑った。
付け焼き刃のマナーでは周囲から笑われていたかもしれないが、それすら感じないほど緊張したと語る彼に、イリアネもただ静かに頷く。
「俺の生家は、グラーヴィス家から支援を受け、生活が楽になった。なんとしてでも恩を返さなくちゃなと思ったよ」
貴族としての言葉遣い、慣習、礼儀作法、ダンス……学ぶことはたくさんあった。
大人たちに交じり訓練をし、騎士になるための試験を突破したことはアリオスにとって恩返しの始まりに過ぎなかったのだ。
騎士の試験を突破しても、出自が平民であるということは変わらない。
貴族の養子になるほどの実力者として寛容に受け入れる者もいれば、実際にアリオスという青年に接して態度を決めた者もいる。
そして出自だけを見て、当然のように見下してくる者も一定数いた。
そんな連中に屈しないためにも、アリオスは常日頃から気を張って暮らしていたのだ。
貴族たちに認められる功績を、振る舞いを。
気をつけなければ、アリオスの失態はグラーヴィス家の恥となる。
恩返しどころか、その逆になっては意味がない。
そういう意味で社会貢献する養親とは違い、養子となった平民の子供の立場は、とても……とても危ういものであった。
その才能をもって認められたのだから、何かの役に立たねばならない。
少しのミスも許されない――わけではないが、それが命取りになる可能性は否めない。
そうやって自身を追い込んでしまう者は少なくない。
本来であれば手の届かない役職にまで手を伸ばせるかもしれない、そんな千載一遇の機会を失うわけにはいかないと誰もが必死に足掻くのだから、仕方のない話だったのかもしれない。
結婚は、そんな養子たちにとって己の弱い立場を強める、大事な契約の一つでもあった。
養親となってくれた貴族家の横の繋がりを作る役にも立つし、養親に何かあっても婚家が次の後ろ盾となってくれる。
その代わり恩返しをしなければならない相手も、期待をかけられることも、二倍になるのが……それでも得た配偶者とその配偶者との間に子に恵まれれば、それが新たなる支えになると言われている。
「……俺は、グラーヴィス家に恩返しがしたいとずっと思っていた。幸い俺には剣の腕があった。でも、それだけじゃもう上にはいけないと感じていたのも確かなんだ」
「そんな……」
アリオスの剣の腕は確かだった。
王宮の騎士隊に所属することは、平民の一兵士に比べることができないほどの大出世だ。
だが、アリオスは更に高みを目指したかった。
実家にたくさんの援助をくれて、跡目を継ぐ子がいるのに目をかけてくれたグラーヴィス家の夫婦。
跡目を継ぐグラーヴィス家所縁の青年も、アリオスにとても親切だった。
だから、アリオスはできることをしたかった。
そんなアリオスに、グラーヴィス家の面々もそれならばと見合い相手を探してくれたのだ。
「幾人も断られて、その理由が元平民だから……と知って、悔しくなりました。そんな中でフォルトゥナ家が承諾してくれて、イリアネが会ってくれた」
初めは、噂に聞く〝冷淡姫〟の気まぐれに違いないとアリオスは期待などしていなかった。
そのことを詫びられて、イリアネはどうしていいかわからずただ頷く。
二人は、店からそれほど遠くない公園に足を踏み入れていた。
ベンチにエスコートされ、アリオスがハンカチを取り出し支度してくれるのをイリアネはぼんやりと見ているしかできない。
「……どうぞ」
「ありがとうございます……」
イリアネにとってアリオスはどこまでも紳士だった。
それこそ、平民からの養子縁組だと言われていなければ、わからないくらいだと思うほどに。
それほどに彼は努力してきたのだと、イリアネはようやく知った気持ちになっていた。
それほどまでに、彼のことを知ろうとしていなかったのだと痛感したのだった。




