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四章 静寂の門、狂気の研究室

あらすじ

悪魔の少年シーナは、異形の腕をつけられたことにより町から追い出される。

追い出されたシーナは、銀狼族のシルバ、堕天使のマナエルと出会う。

三人は、シーナの因縁の相手がいる人の国に入り、目標のために動いていく…

 黒鉄の門をくぐると、肌寒い風が吹いた。

 そこに広がるのは、無数の煙突と機械の音が支配する灰色の街、軍国セク・メイトの中心地だった。

 高く積まれた煉瓦の建物、規則正しく並ぶ兵士たち、舗装された広い道。

 外の村々とは比べ物にならない整然とした景観に、三人は足を止めそうになる。

「うわ…なんか、空気が重い…」

 マナエルが眉をひそめる。

「緊張しすぎるな。周囲から浮いたら、それこそ怪しまれる」

 シルバが低く言いながら、周囲に自然な目線を送る。

 シーナは無言で歩いていた。眉間に皺を寄せ、顔を伏せ気味に、何かを思い出そうとしている。

「…この通りは…たぶん…研究棟のある方角、だったと思う」

「“たぶん”って…」

 シルバが少し呆れたように言う。

「…ごめん。あのときは…ずっと檻の中だったし、逃げるときも必死で…ちゃんと、道を見てなかった」

 シーナは唇を噛む。

 マナエルが心配そうに覗き込む。

「でも、煙突があるって言ってたよね?それ、まだ見えてないの?」

「…ああ、あるにはある。ただ…この都市、似たような建物が多すぎる。煙突の形とか、地面の模様とか…もっとちゃんと覚えてれば…」

 声がかすれる。自分の記憶への苛立ちと、自分への怒りが滲んでいる。

 シルバが少しだけ歩みを緩め、ぽつりとつぶやく。

「まぁいい。ここまで来れたんだ。ゆっくり探そう。ここじゃ誰も急いでるように見えない」

「…うん」

 シーナは息を吐くと、再び周囲を見渡す。

 ふと、道の端に並ぶ屋台に目が留まった。

 銀色のパックに入った栄養食品や、缶詰、携帯加熱機のような道具…外では見なかったものばかりが並んでいる。

 マナエルが目を丸くする。

「あれ…兵士の保存食?お金払えば、誰でも買えるのかな?」

「市民用の訓練所もあるって聞いたことある。たぶん、街全体が軍の一部ってことだな」

 シルバの声に皮肉が混じる。

 そんなやりとりを聞きながら、シーナは少し歩調を遅らせた。

「…あの角…たぶん、そこを曲がって…給水塔、あったはず…でも、違ったらまずいな…」

「記憶と違ったら戻ればいい。急がず、見間違えず、でしょ?」

 マナエルが笑みを添えて励ます。

「…そうだね」

 シーナはわずかに笑い返す。だが、握る拳にはまだ力がこもっていた。

 三人は沈黙の中を歩き続ける。

 記憶を頼りに、しかし確信には至らぬまま、灰の街の奥へと…静かに、確かに、進んでいく。

 軍国セク・メイトの街は、まるで一つの大きな機械だった。

 兵士も市民も、歯車のように無駄のない動きで通りを行き交い、決められた場所以外で立ち止まる者はいない。

 三人はそんな流れに自然と溶け込むように、足を進めていた。

 マナエルが小さな声でつぶやく。

「ほんとに、全部きっちり決まってるんだね…歩く道も、話す場所も、決まってるみたい」

「空気まで管理されてる気がするな。あいつら、俺たちに目もくれない…それが逆に怖いな」

 シルバが周囲を警戒しながら言う。

 シーナは顔を伏せ、何かを確かめるように通りの角や壁を見ていた。

「…この路地の先。給水塔の影に、狭い通用口がある…たぶん、あのときも、そこから逃げた…」

 路地を曲がると、灰色の塔の影が静かに伸びていた。

 その奥に、確かに無骨な金属の扉がある。周囲の視線を気にすることもなく、三人は自然な足取りで扉の前へと進む。

 マナエルが低くささやく。

「ほんとにここが…?」

「間違いない。あのとき、この扉の感触、すごく冷たくて…それだけは、ちゃんと覚えてる」

 シーナの手が、金属の取っ手に触れる。ひやりとした感覚に、シーナはほんのわずか肩を震わせた。

 無事に兵士の服装をしていたおかげで、誰にも怪しまれることなく、三人は研究施設の中へと入っていく。


 内部は驚くほど静かだった。白いタイル、無機質な照明、閉じられた扉の列。

 逃げ出してから時間は経っているのに、何一つ変わっていないその空間が、シーナの胸に冷たい圧力をかける。

「…ずっと、ここに閉じ込められてたんだな…」

 シルバが目を細めて言う。

「…うん。でも、今度は違う。今度は、逃げるためじゃない」

 シーナは奥の通路を見つめる。

 マナエルが小さくうなずく。

「じゃあ…行こう?あの時の“出口”じゃなくて、今度は“答え”を探しに」

 三人の歩みが、無音の研究棟の中に響いた。

 今度は、確かに、自分たちの意志で…

 白い廊下には、腐臭こそないものの、空気が異様に重かった。

 左右の実験室の扉が開かれるたびに、三人は言葉を失う。

「…なに、これ…」

 マナエルが、顔を覆いながらつぶやいた。

 一つの部屋には、金属の枷をはめられた獣人の遺体が、十体以上横たわっている。

 別の部屋では、何に使われたのか不明な管と、血のような液体が詰まったガラス筒が床に転がっていた。

「全部…失敗作、ってことか」

 シルバの声が沈んでいる。

「…こんなに…こんなにやってたの…」

 シーナの視線は、ある一点に釘付けになる。奥の部屋に置かれた、鋼のベッド。

 ベッドの周囲には、拘束用の革ベルトと、注射器の残骸。天井にはライトの焼け焦げた跡。

「ここ…ここで、おれは目を覚ました…あの腕がついてて…!」

 そのとき、金属の靴音が廊下に響いた。誰かが、すぐ先の角を曲がっている。

 三人が廊下を抜けると、そこには、一人の女性の背中があった。

 白衣は膝まで裂け、薬品のシミと血痕にまみれている。

 だが、女性の髪はどこまでも艶やかで、背筋はまっすぐ。まるでそれが「美しさ」であるかのように、完璧に整えられていた。

 女性は、何かの標本に語りかけていた。

「ねえ、今日の“解剖”は楽しかった? きっと次は、もっといい結果が出るわ。次の素材…もっといい子たちが来るから。ね?」

 標本は、心臓のない小さな異形の死体だった。

 マナエルが息を呑む。

「あの人…もしかして…」

「…間違いない」

 シーナが低く呟いた。

「Dr.リコリス…おれに、この腕をつけた…」

 リコリスが、ぴたりと動きを止める。

「…ふふ。懐かしい声が聞こえたと思ったら…やっぱり、戻ってきたのね、シーナちゃん」

 リコリスがゆっくりと振り返る。

 その顔は、化粧ひとつないはずなのに、異様な美しさをたたえていた。

 瞳は笑っているのに、表情はまるで変わらず、瞳孔だけがぎょろりと三人を見据えている。

「いい子に育ったわね。腕の調子はどうかしら?」

 リコリスは優雅に指を組み、まるで旧友と再会したかのように、柔らかく笑った。

「シーナちゃん、その腕…やっぱり綺麗ねぇ」

 リコリスの視線は、シーナの異形の左腕に釘付けだった。

「硬質化した魔導骨格と、融合筋繊維の滑らかな動き…完璧じゃない?あのとき、あのタイミングで、あんたにそれを移植できたワタシ…ほんと、奇跡だったと思うわぁ」

 シーナは黙ってその言葉を聞いていたが、拳を強く握りしめる。

「この腕のせいで…おれは村から追い出されたんだ…!」

 声が震えている。

「皆、おれを“化け物”って…目も合わせてくれなかった…!」

 だが、リコリスは悪びれた様子もなく、薄く笑う。

「あらあら。けれど、その腕があったから、生き延びてこれたんでしょう?その腕がなかったら、森で野犬にでも食われてたかもよ?それに…お友達ができたんでしょう?」

 リコリスはマナエルとシルバに目を向ける。

「ワタシの才能のおかげで、大事な仲間ができたのよ? もっと感謝してよぉ?」

「…!」

 その瞬間、シーナの異形の腕が、低く唸るように振動した。

 表面がかすかに脈打ち、黒い紋様が筋のように浮かび上がる。

「シーナ…腕が…」

 マナエルが声をかける。

「…大丈夫。暴れないよ」

 シーナの瞳はリコリスを真っ直ぐ見据えている。

「だけど…こいつは“おれの怒り”に応えてるだけ…そうでしょ…?リコリス」

 リコリスの笑みがわずかに深くなった。

「ふふ…いいわ、その顔。怒って、苦しんで、腕に支配されて、壊れていく君が…最高に“芸術的”よぉ」

「…おれは、壊れたりしない」

 シーナは一歩、前へ出る。異形の腕が、静かに力を溜めている。

 その様子を、リコリスはまるで陶芸家が焼き上がる作品を見つめるように、恍惚とした目で見ていた。

「ねえ、シーナちゃん。本当は、あなたにはもっともっとたくさんの“実験”を受けてもらうはずだったの。古代の記録に残っている“本物の悪魔”。神すら怯え、世界を焦土に変えた存在…あなたには、その“再現”になってもらう予定だったのよ」

 シーナの目が見開かれる。

「…なにを、言って…?」

「でも、途中で逃げられちゃったからねぇ。残念だったわぁ」

 そう言って、リコリスはくるりと背を向け、大きな装置の前で停止する。

「でもねぇ、“適応個体”が出たのは収穫だったの。あなたの腕が、ちゃんと融合して、拒絶反応も出なかった。だから今度は…“もっと強い個体”に試してみたのよ」

 ゴウン…と機械が動き、奥のカプセルの中にぼんやりと赤い光が灯る。

 その中には、半身を金属に覆われた歪な人影。

 人の面影はかすかに残るが、右腕は異様に肥大し、目は虚ろ。

 そして、脚部は機械の脚へと変わり、地面を踏みしめるたびに低い金属音が響いた。

「これが…“実験結果”…っ!?」

「ええ。“異形兵”よ。もう自我も要らない。人としての価値も、不要。ただ、戦って、殺す。それだけの“完璧な兵器”。あなたが完成してくれたから、こうして“量産”が見えてきたの♪」

 シーナは言葉を失う。

 だが、すぐにその前に立ちふさがったのは、シルバだった。

「くだらないな…!じゃあ、まとめて壊す!」

 リコリスが手を振る。

「行きなさい、“最初の子”。ワタシの芸術を見せてあげて…!」

 異形兵が金属の脚を鳴らし、突進を始めた。

 その後ろで、リコリスの魔導器が起動音を鳴らし始める。

 異形兵が、金属質の脚で床を叩くようにして歩み出るたび、足元に細かな亀裂が走った。右腕がギィイイィンと音を立て、ゆっくりと鎌のように変形していく。

「来るよっ!」

 マナエルが叫ぶと同時に、異形兵の全身が青白い光を帯びた。次の瞬間、放電が周囲の空気を震わせ、鋭い音が耳を打った。床に敷かれた金属片が小さく跳ねる。シーナは身を屈め、素早く左側へと滑り込んだ。シルバもまた対角から飛び出し、正面から籠手を構える。

 異形兵の鎌腕が振り下ろされる。その一撃は床を深く抉り、破片が飛び散った。だが、その攻撃を紙一重でかわしながら、シルバが言う。

「この硬さ…並みじゃないな」

「だけど…やるしかない」

 シーナが低く呟き、異形の腕を振りかぶった。うなりを上げた腕が、異形兵の左脚を叩く。しかし脚部の金属は厚く、手応えは鈍い。

「いっけえぇ!」

 マナエルの魔法が空気を裂いて飛ぶ。束ねられた風の矢が、異形兵の胸元を叩いた。

 その瞬間、胸のプレートが左右に開く。

「えっ…?」

 現れたのは赤く発光する筒。そして…

「ボォオオッ!!」

 炎が奔流となって吹き出した。マナエルが咄嗟に飛びのき、辛うじて直撃を避けるも、熱風が頬を焼いた。

「マナエル、下がってて! あの炎の筒…あそこが弱点だ!」

「了解!」

 シルバが背後から突進する。異形兵の右腕が鈍器状に変形し、横薙ぎに迫る。

「ぐっ…!」

 激突。シルバの身体が壁際まで弾かれ、床を滑って止まる。歯を食いしばって起き上がったシルバの肩が、小刻みに震えている。

 異形兵が立ち止まり、全身から何かを噴出した。油のような液体が床に広がる。

「まさか…油!? 火がついたら…!」

 案の定、再び胸が開き、炎が放たれる。床が火に包まれ、広がった油が燃え上がった。

「くっ…!」

 三人は急いで後退する。

 火の向こうに立つ異形兵の機械の脚が、尚も沈黙を破って進み出る。

「電気も火も油も…どれだけ詰め込んでんだ、あれ…」

「でも、少しずつ分かってきた。放電のとき…動きが鈍くなる」

 シーナの目が異形兵の背後を捉える。そこに、肉と金属の繋ぎ目…粗い結合部があった。

「あそこが、弱い…!」

 マナエルが魔法弾を放ち、異形兵の視線を引き付ける。シルバが背後に回り、シーナも対角線上に動いた。

 再び放電が起きる。しかし、その動きは確かに鈍っていた。機械の音がうなる中、シルバの拳が炸裂する。

「そこだっ!!」

 背部の装甲が裂け、金属と肉の結合が露出する。異形兵がバランスを崩す。

 その瞬間。

「ふぅん。やっぱりこの子だけじゃ、あなたたちには足りないのねぇ」

 甘く響く声とともに、背後の端末に手をかざしたDr.リコリスの姿が浮かび上がる。巨大な魔導装置が稼働し、天井には魔法陣が幾重にも展開される。

 研究室内を覆う焦げた空気に、再び火花が弾けた。異形兵が火炎を吐き出し、マナエルが風の魔法でそれを逸らす。放電が空を裂き、シルバがタイミングを見計らって、鈍った動きの異形兵の隙を突いた。

「こいつ、しぶといな…!」

 シルバが舌打ちし、鞭に変形した籠手を異形兵の膝関節に叩き込む。肉と機械の継ぎ目が裂け、火花と共に膝が崩れた。

「じゃあ、ワタシも加勢してあげる」

 リコリスが滑り出るように姿を現した。白衣の裾が翻り、その手には不気味な金属の球が握られていた。

「はい、静かにしてね…粘着音爆弾ッ!」

 甲高い音が空気を切り裂き、爆ぜた瞬間に粘着性の泡と振動波が周囲を覆った。音と共に視界を歪ませる爆音に、シルバとマナエルが一瞬立ち止まる。

「くっ…動きがっ…!」

 その隙を見逃さず、リコリスは銃のような装置を構えた。銃口から細く光が漏れ、小さく起動音が鳴る。

「熱線小銃、改良型。ちょっと痛いわよぉ?」

 バシュン!赤熱の線が空気を裂き、シーナの足元を掠めて床を焼いた。次の瞬間、リコリスは笑いながら続ける。

「シーナちゃん、その腕がねぇ、本当に綺麗なの。見ててゾクゾクするわぁ。ねぇ、どうしてそんな顔するの?怒ってるの?」

 シーナは無言で前に出た。目はリコリスを真っすぐに睨みつけ、異形の腕がわずかに震えている。

「この腕のせいで…全部壊れたんだ…おれの村も、家族も…」

「でもぉ?生きてるわよねぇ?友達もできたじゃない。ワタシの“作品”としては、大成功だわぁ♪」

「…黙って!」

 シーナが地を蹴った。異形の腕がうなりを上げ、床を砕きながらリコリスに向かう。しかし、リコリスは滑らかに身を引き、別の装置を放り投げた。

「おっと、これで冷静さを取り戻してね?」

 次の瞬間、煙幕と閃光が炸裂。視界が奪われた中、シーナの動きがわずかに止まる。リコリスの声が煙の向こうから響いた。

「あなたの怒り、もっともっと膨らませて。見せてよ、“悪魔”の真価を…!」

 その言葉に、シーナの全身がビクリと震える。異形の腕が脈打つように赤黒く輝き、肩から背中にかけて、まるで皮膚の下から何かが這い出ようとするかのように、筋肉が隆起し始めた。

「シーナ…?どうしたの…!」

 マナエルの叫びが響くが、シーナは答えられなかった。胸の奥に湧き上がる怒りと悲しみが混じり、形にならない熱が内側で暴れていた。

「…く、ぅ…」

 異形の腕が膨張する。脈打つたびに、まるで骨と肉が変質していくような痛み。だが、不思議と恐怖はなかった。ただ、すべてを終わらせたいという思いが、一点に向かって収束していく。


 その瞬間、全身が光と闇の混合色に包まれ、空気が一変する。マナエルもシルバも、一歩後ずさった。

「これ…シーナなのか…?」

 シルバが息をのむ。シーナの体にはまだ見ぬ異変が起きていた。だがその顔は、どこか穏やかだった。静かで、ただまっすぐに前を見据えていた。

 リコリスだけが笑っていた。

「さぁ、見せてちょうだい。“完成品”の真の姿をね!」

 黒い魔力が空気を圧縮し、研究室の天井が軋む。

 その中心に立つのは…変わり果てたシーナだった。

 肌は異形の腕と同じ、不気味な黒に染まっていた。光沢も血色もないその色は、生物的というよりも、もはやこの世界の物ではなかった。だが、シーナの姿は人のままだ。細い体には、無駄のない強靱な筋肉が浮かび、内側からは、澄んだ魔力が奔流のように巡っているのが感じられた。

 その目は、青く。

 澄んでいるのに底知れず、見返した者の魂を凍らせるような光を宿していた。

 そして、額から角が生えていた。

 黒曜石のような質感を持った二本の角が、左右に一対。

 まさしく、神話で語られる「鬼」にも似た、“悪魔”の証。

 左腕…かつて異形の腕と呼ばれたそれは、今や黒い炎に包まれていた。炎は燃え上がるのではなく、静かに、冷たく、周囲を侵蝕するように揺らいでいた。

「…これが、シーナ…?」

 マナエルが息を呑む。圧倒されて声を失ったまま、ただその姿を見つめることしかできない。

「ふふ、あはっ…!あはははははっ!!」

 狂ったような歓声を上げたのは、リコリスだった。

 リコリスの目は喜びに満ちていた。狂気と執着が混じった瞳が、シーナを貫く。

「見て!見て見て見て!これよこれぇ!完璧すぎるわ、シーナちゃん!あなたは、ついに、“本物の悪魔”になったのよォォォォ!!」

 シーナは何も答えなかった。ただ、ゆっくりと左腕を振る。

 ドォン!

 その一振りだけで、シルバとマナエルが苦戦していた異形兵の身体が砕け散った。黒い炎がその体を呑み込み、機械の残骸も、肉も、音も、塵一つ残さず消えていく。

「っ…!!」

 リコリスの身体が震えた。それは歓喜ではなかった。

 ようやく、リコリスは“理解した”のだ。目の前にいるのは、自分の欲した完全な存在などではなく…”完全に自分を否定する存在”だと。

「ま、待ってシーナちゃん。あなたは…わたしの、傑作で…」

「…そうだな。おまえの“望んだもの”だ。だからこそ、これで終わりだ。」

 冷たい声が、響いた。

 リコリスが慌てて小銃を構える。熱線が発射され、シーナの胸元を正確に捉える。だが…

「…っ、効かない…!?」

 熱線は、黒い肌に触れた瞬間に、消えた。吸い込まれるように、魔力に呑まれていく。

 リコリスは、なおも何か装置を起動しようとした。しかし…遅かった。

 次の瞬間、シーナの左腕が音もなく、リコリスの胸を貫いていた。

「…あ、あぁ…あぁ…」

 リコリスは、自分の胸に突き刺さった黒い炎を見下ろし、息を震わせた。炎は肉を焼かず、臓器を焦がさず、ただ「存在」を侵していた。

「こんな…はず、じゃ…っ」

「おまえが欲しがったものに、倒されるんだ。静かに…終わって…」

 リコリスの顔から、すべての感情が抜け落ちていく。

 狂気も、歓喜も、誇りも、焦燥も…全てを、己の“傑作”によって奪われた。

 リコリスの身体が、地面に崩れ落ちると同時に、黒い炎も静かに消えた。


 研究室には、もう声も音もなかった。

 立ち尽くすマナエルとシルバの前に、“悪魔”の姿となったシーナが、ただ静かに立っていた。

 その姿はあまりに異質で…しかし、確かにシーナそのものだった。

「…シーナ…なの…?」

 マナエルが、恐る恐る声をかける。

 隣で、シルバも息を飲みながら構えるように立ち尽くしていた。

 だが。

「…うん。おれだよ」

 応えたのは、いつも通りの、穏やかで少し低いシーナの声だった。

 その瞬間、張り詰めていた空気が、ふっとほどける。

「…よかった…ほんとに…!」

 マナエルが涙混じりに胸をなで下ろし、シルバも警戒を解いたように一歩前に出る。

「けど…シーナ、その姿は…?」

「なんであんな力を出せたんだ?」

 二人の問いが、立て続けに飛ぶ。

 シーナは少しだけ黙ったあと、視線を落として口を開いた。

「…あの腕、ずっと、怒りとか、悲しみとか…そういうのに反応してた。リコリスに会って、抑え込んでた感情が、全部一気に溢れたんだ。…たぶん、それで“目覚めた”んだと思う」

 マナエルが小さく息を呑む。シルバの表情も陰った。

「それに…おれ、自分でも気づかないうちに、この腕に“馴染んで”たんだ。きっと…」


 そのときだった。

 ブゥウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥンンッ!!

 重く、沈むような低音の警報が、研究室の壁の奥から響き渡る。

 赤い非常灯が回転し、無機質な女の声が構内に流れた。

「侵入者ヲ確認。全兵士ハ直チニ正門前ニ集結セヨ。繰リ返ス…侵入者ヲ確認。全兵士ハ直チニ…」

「くっ、見つかったか…」

 シルバが籠手を構え直す。

「このままじゃ囲まれちゃう…!どうする、シーナ?」

 マナエルが焦ったように問う。

 シーナは、変わらぬ表情で、だが静かに言った。

「…研究データと装置を壊す。ここを、二度と使えないようにしてから逃げる」

 その言葉と同時に、次の戦いの気配が、研究室の外からじわじわと迫ってきていた。


五章に続く

キャラクター紹介

名前:Dr.リコリス

種族:人間

性別:女

性格:歪んだ愛情を研究対象に注ぐ。命を数として扱い、異形化・兵器化の研究を推進する。研究のためならば、研究対象の感情は後回しにする。マッドサイエンティスト。

目標:生物兵器の量産化。歴史に存在した生物の再現。

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