二章 堕天の羽、裁きの剣
あらすじ
悪魔の少年シーナは、元々住んでいた悪魔の町に戻ることに成功した。
だが、異形の腕に町の悪魔たちが怯えてしまい、町から追い出される。
追い出されたシーナは森へと入り、銀狼族のシルバと出会う。
シルバと共に行動し、人の国へ歩みを進める…
森を抜けた風は、どこか乾いていて、樹々のざわめきよりも広がる草原の音が耳に心地よく届いた。
三日を過ごした緑の世界が背後に沈み、代わりに開けた空が二人を包み込む。
「ようやく出たな。」
シルバが空を仰ぎながら、肩をほぐすように腕を回す。
シーナも深く息を吸い込んだ。森の中では感じなかった、開放感と少しの緊張が胸に広がる。
そんなとき、シルバがふと前方を指差した。
「見ろ、あの丘の上…何か、建物みたいなのが見える。」
それは、朽ちた石柱や苔むした壁が点在する、古びた遺跡のようだった。
「獣の気配がない…」
シーナが静かに言う。
「たしかに。あれだけ開けてるのに、鳥の鳴き声すらない。何か“聖域”みたいなもんかもな。獣が避ける場所ってことは、しばらく休むにはちょうどいい。」
「…高い場所だ。人の国の方角も見えるかも。」
二人は互いにうなずき、遺跡を目指して丘を登り始める。
草を踏む音、遠く風の音だけが聞こえるなか、半ばほどまで登ったときだった。
空が裂けたような音と共に、遺跡の中心に一筋の光が降りた。
それはただの光ではなかった。眩いというより、何かを“選び取る”ような、力の意志を帯びた輝き。
思わず足を止めたシーナとシルバは、しばし見入った。
「さっきまで、何もなかったはずだ。」
「…遺跡に何かが起きてる。確認しよう。」
再び足を動かす二人。丘の上、静寂の聖域に降り注ぐ光の正体を確かめるために…。
遺跡の頂に降り注ぐ光は、まるで天から地へと引かれた糸のように、まっすぐに降り立っていた。
眩い輝きの中心に、二つの影が揺らめく。
「何か…出てくるぞ」
シルバの声が低くなる。シーナも頷き、遺跡の壁の陰へ身を沈めた。
やがて、光の中から一歩ずつ現れたのは、二人の天使だった。
先に現れたのは、全身を包むような白銀の鎧に身を包んだ天使。顔の上半分は仮面か布で覆われ、目元が見えない。
背中には、絹のように純白の翼が二対伸びていた。手には細く鋭い槍と、紋様の刻まれた円形の盾。まるで聖騎士のような姿。
続いて現れたのは、少し若い印象の天使だった。短く切り揃えられた茶色の髪が風に揺れ、鎧は着けておらず、白と黒の混じった大きな翼が背中にある。
その顔立ちはまだどこか幼さが残っていて、青年と呼ぶにはわずかに早いかもしれない。けれど、その瞳には、どこか哀しげで…何かを強く押し殺しているような光が宿っていた。
「…天使、か」
シルバが小さく息をのむ。
「こんな場所で…何を…」
シーナも囁くように呟く。
二人の天使は遺跡の中央、柱の根元に立ち、互いに何かを話しているようだった。
風が吹き、翼の羽がさらさらと音を立てて揺れる。だが、その声までは届かない。
「…動くなよ」
「…わかってる」
遺跡の影で息を潜めながら、シーナとシルバは目を逸らすことなく、二人の天使を見つめていた。
やがて、その会話の断片が、風に乗って耳に届き始める。
白き騎士のような天使の声が聞こえる。その声は、鉄と銀が擦れるように冷たく、だが澄んでいた。
「マナエル。…反逆により、お前を追放、および排除する」
その言葉に、もう一人の天使…まだ若さの残る少女が、はっと顔を上げた。
白と黒の翼が揺れ、マナエルの胸の内の動揺を物語っている。
「…やっぱり、そう来るのね」
茶色の髪の少女マナエルは、静かに呟いた。
その瞳に浮かぶのは、怒りでも恐れでもない。覚悟。
「あなたが来るってことは、そういうことだって…わかってた。でも…」
言いかけた言葉を飲み込み、マナエルは一歩、前に出た。翼が広がり、風が巻き起こる。
「…わたしは、“わたし”の選んだ道を、曲げない」
白銀の騎士天使は、仮面の下から微かに息を吐き出した。
それはため息にも、哀しみの残響にも聞こえた。
「ならば、剣を交えるしかない」
騎士天使が槍を構え、盾を持ち上げると、空気が張り詰めた糸のように震える。
「マナエル。命の保証はしない」
「わたしも、遠慮はしないよ」
瞬間、遺跡に風が走り、翼が空を切る。
二人の天使が、地に翼を広げて、激しくぶつかり合う。
その光景を、シーナとシルバは影から固唾を呑んで見守っていた。
白と黒、秩序と反逆。二人の天使の戦いは、静かに、しかし確実に世界の空気を変えていく…
風が唸りを上げる。マナエルが広げた翼から放たれた風刃が、木々をなぎ倒すほどの勢いで迫る。しかし…
「…軽い」
騎士天使は風刃を軽く受け流し、白銀の盾を構えたまま前へ歩を進める。その一歩一歩が、マナエルの心を押し潰すように近づいてくる。
マナエルは再び翼を広げ、今度は上空へと飛び上がる。宙に浮かびながら、両手を前にかざすと、光の粒が集まり、数十の矢となって空中に並ぶ。
「行かせない…!あなたにわたしを、裁かせない…!」
放たれた光の矢が雨のように降り注ぐ。
だが。
「この程度の“光”では、私は揺るがない」
騎士天使が掲げた盾が光を弾き返し、その隙に槍が鋭く伸びた。マナエルの脇腹をかすめ、赤い光が瞬く。
「…っ!」
その場でぐらりと揺れるマナエルの身体。傷は浅いが、精神の消耗が激しい。
「なぜ…そこまでして、わたしを“排除”しようとするの…? わたしは、ただ…!」
騎士天使の声が、静かに、しかし確実に断ち切るように放たれる。
「“反逆”とは、命令を拒むことだ。それ以上でも、それ以下でもない。私の任務は、“拒んだ者を処理する”こと。たとえそれが、かつての“仲間”であっても」
「そんなの…!」
「それが“秩序”だ」
マナエルは目を見開く。風が乱れ、結界が軋み、胸の奥から何かが溢れそうになる。
「…誰も…わたしの気持ちを、聞いてくれない…」
マナエルの放つ風の刃が、白銀の盾に弾かれ、光の矢もすべて槍の回転と共に切り払われる。
「…やっぱり、あなたには敵わないのか…」
マナエルの肩が上下し、足元がふらつく。すでに何度も槍で斬られ、魔力の残量も限界が近い。だが、それでも逃げなかった。
「…どうして…わたしの…願いは…!」
騎士天使の槍がマナエルの光の矢を打ち砕き、風の刃が肩を裂く。倒れかけたその体を、結界の残響がかろうじて支える。血が滲む指先、揺れる瞳。だがその奥には、なおも消えぬ意志の光があった。
「わたしは…この世界を、変えたいだけなのに…!」
涙と共に叫んだ瞬間、空がうねった。世界の気配が変わる。
ドンッ!
雷鳴が落ちたわけでもないのに、地が振動した。遺跡の空間を覆うように、暗い圧が広がっていく。
「…これは」
騎士天使が一歩後ずさる。見下ろしたその先で、マナエルの翼が、黒く、重く変貌していく。
白に混じった薄墨が、やがて全体を覆い尽くす。肩から羽ばたいた一振りが、まるで闇を纏ったように風を巻き上げる。そして、マナエルの左目が、赤く、不気味に輝いた。
「…わたしは、あきらめない。天から追われても…力が変わっても…わたしの願いは変わらない…!」
その姿は、もはや聖なる存在とは言いがたかった。だが…美しかった。意志が、希望が、痛みと共に燃えていた。
マナエルの足元から雷が走る。空気が焦げ、黒い魔力が吹き上がる。放たれた闇の弾が騎士天使の盾を弾き、続く雷槍が光の結界を貫く。たしかに、天使だった頃よりも攻撃が通っている。
「…でも…それでも…!」
マナエルの足が止まりかけた。攻撃は届いている。だが、形勢はまだ覆らない。騎士天使の動きに、まったく迷いがないのだ。魔法と槍と盾…戦いの技術で、マナエルの覚醒にすら追いついてくる。
そのときだった。
「…マナエルって子も…おれたちと、同じかも」
静かな呟きが、遺跡の影から聞こえた。
光と闇の間に一歩を踏み出したシーナの瞳が、マナエルをまっすぐに見ていた。シルバも、肩を並べるように進み出る。
「追われて…傷ついて…それでも、諦めてない」
「だったら、助ける理由は十分だ」
シルバが爪を鳴らし、シーナが魔力を練る。
突如現れた二人の影に、騎士天使とマナエルの動きが止まった。
「…何者だ」
騎士天使の声は鋭く、槍の切っ先が即座にシーナとシルバに向けられる。だがその動きに、二人は動じない。
マナエルもまた、一瞬の驚きの後、視線を向ける。
「あなたたちは…なんで…」
シーナは静かに、けれどはっきりと応えた。
「…おれたちも…棄てられた。おれは…腕のせいで町を追われた。シルバも、血のせいで裏切られた」
「誰が天使で誰が人で誰が獣かなんて関係ない。戦ってでも、平等な世界を目指す。…お前がそれを諦めてないってのは、さっきので分かった」
「…だから、手を貸す」
「文句は後で聞く。それより、今はこいつを止めるのが先だろう?」
シルバが言いながら、腕の籠手をしなるように変形させ、鞭状にして振るった。
ビシュッ!
しなやかに伸びた鞭が、槍を突こうとする騎士天使の腕を絡め取るように邪魔する。
「…マナエル、下がって!」
同時に、シーナが放った雷魔法が盾の裏側を狙い撃ち、騎士天使の体勢がわずかに崩れる。その隙にシルバの鞭がマナエルの腕を掴み、瞬時に引き寄せて攻撃範囲から脱出させた。
「…あなたたち…」
マナエルの赤い片目が揺れる。だがその震えは、恐れではなかった。
「ありがとう。でも、わたしも…あなたたちを守る」
雷が走る。マナエルは再び前へ踏み出した。今度は、一人ではなかった。
騎士天使の眉がわずかに動く。騎士天使が、動きを変える。槍が、魔法が、三者を相手にする構えに転じた。
だが、その切り替えのわずかな遅れが、命取りになり始める。
鞭が槍を巻き取り、シーナの雷魔法が盾を外側に弾き、マナエルの闇魔法が脚をかすめる。
少しずつ、だが確実に…追い詰められていく。
騎士天使の視線が、わずかに揺れる。戦場の状況を読み切った騎士天使は、槍をくるりと回し、すっと踏み込んだ。
「…あの悪魔の魔法使い、体が細く、飛び道具も持たない…おまえから倒そう」
狙いは、シーナ。
シーナに集中攻撃をしかけようとしたその瞬間…
「させるか!」
鋭い一撃。シルバの鞭が間合いを裂き、槍の突きを逸らす。
その隙を狙い、マナエルの魔法が横から飛来した。
だが…
「ふっ」
騎士天使は素早く盾を傾け、その魔法弾を反射するように弾き返した。
魔力を纏ったそれは、真っ直ぐにシーナの方へ…
「っ!」
シーナは身をよじるが、避けきれない。魔力の塊が、シーナの異形の左腕にまとわりつく…そのとき。
腕が、光る。
まとわりついた魔法が、まるで生き物のように異形の腕に吸収され、再構成されていく。
「…これは…」
手のひらに、魔力の脈動が走る。魔法と肉体が混ざり合い、拳に力が満ちる。
…魔法拳。
かつて拒んだこの腕に、いま自らの意志で力を込めることができる。
「おれの腕は…おれのものだ…!」
吼え、跳びかかるシーナ。拳が、閃光とともに炸裂する。
「っ…!」
騎士天使はすんでのところで体を後方に跳ねさせ、魔法拳が鎧を貫くのを防ぐ。
だが…それが罠だった。
「待ってたぜ」
後方で待機していたシルバが、鞭を鋭く振るい、翼を絡めとろうとする。
その反対側からは、マナエルが両手に闇の魔力を収束させ、雷の奔流を撃ち放つ。
「もう、誰にも…わたしの意志を否定させない!」
闇と雷が交錯し、爆ぜる。
騎士天使の白銀の鎧が裂け、苦悶の息が漏れた。槍を杖のように地につき、片膝をつく。
だが、倒れない。
光の柱が再び空から降り注ぐ。
「…記録した。おまえたち三名を…天の秩序に仇なす存在として…」
鋭い視線が三人を刺す。
「次は…必ず、消す…」
言い残し、騎士天使は光の中へと姿を消した。
静寂が戻る。丘の上に、風が吹いた。
戦いが終わり、辺りには焦げた草の匂いと、光の余韻がかすかに漂っていた。
シルバが素早くシーナのもとに駆け寄る。
「シーナ!さっきの、あの拳…新しい技か?見事だったぞ!」
シーナは少し目を伏せ、左手を見つめた。異形の黒い腕は、まだかすかに魔力の残光を放っている。
「…たぶん、この腕が…自分のものだって思えたからだと思う」
呟くように言いながら、ちらりとシルバを見た。
「シルバと縁ができたから…この腕とも、ちゃんと向き合えた気がする」
シルバはわずかに目を見開き、そして笑った。
「へぇ…そういうもんなのか。ま、これからも頼りにしてるぜ、“魔法拳”!」
「…名前、それでいいの?」
「ほかに思いついたら変えればいいさ!」
二人のやりとりに、柔らかな空気が流れる。
やがて、シルバがふと視線を向けた。
少し離れた場所、遺跡の石壁に背を預けて、マナエルが一人空を見上げていた。翼の片方は黒く染まり、彼女の表情には、言葉にできない迷いが滲んでいる。
シルバは軽く息を吐くと、そのまま近づいていく。
「そこの天使…いや、えっと…マナエルっていったか?」
マナエルは、はっと顔を上げる。驚いたような目。
「俺はシルバ。狼の獣人だ。いまは、こいつと旅してる」
と、後ろのシーナを顎で示す。
シーナも歩み寄り、軽く手を上げた。
「おれ…悪魔のシーナ」
マナエルは一瞬戸惑い、けれど小さく微笑んだ。
「えっと…天使のマナエルです。さっき…ちょうど、天界を追われて、堕天しましたが…」
最後の言葉に、少し苦笑が混じった。
その笑みに、シーナとシルバはお互い目を合わせ、頷き合った。
傾き始めた太陽が、森の奥をオレンジ色に染めていく。戦いの余韻を感じさせる遺跡も、どこか穏やかな雰囲気に包まれていた。
そんな空の色を見上げながら、シルバがふとマナエルに声をかけた。
「…そろそろ夕方だな。今日はここで休んだほうがよさそうだ。あんたも、一緒にどうだ?」
マナエルはわずかに驚いたように目を瞬かせた。
「わ、わたしは…」
言いかけて、周囲を見渡す。もはや、天へ帰る光の道もなく、自分の行き先はどこにもない。
「…行くあて、ないんです。だから…ご一緒させてください」
「よし、決まりだな」
シルバが笑い、シーナがちらりとマナエルを見た。
「…敬語、いらないよ。おれたち、同じ場所にいるんだし」
「えっ、あ…じゃあ…わかった。うん。ありがとう、シーナ、シルバ」
マナエルの口調が、少しだけほぐれた。
小さな輪のなかに、少しずつあたたかい火が灯るような、そんな感覚。
「んじゃ、メシの準備をはじめよう。俺は火を起こしてくる」
シルバが近くの木々へ向かって歩き出す。
「…おれ、材料見てくる。マナエル、道具並べるの手伝って」
「う、うん、わかった」
マナエルは頷いて、シーナのあとについていく。
シルバは火を扱いやすい地面を探し、石で囲いを作って風よけを整えていた。手際よく枯れ枝や小枝を並べ、火打石で火を起こす準備を始めている。
その間、マナエルは近くの平らな石を選び、包みを開いて鍋や皿、ナイフなどを丁寧に並べていく。姿勢はまだ少しぎこちないが、動きはどこか嬉しげだった。
シーナは荷物を広げながら、食材を一つ一つ確認していた。
「…干し魚と、干し肉、水…魚から食べよう。早めに消費したいし…」
目線だけを上げて、近くのマナエルに声をかける。
「マナエル。このあたりに…食べられるもの、ある…?」
マナエルは少し考えてから、ぱっと顔を明るくした。
「もしかしたら…畑だったところが、まだ残ってるかも!」
「…どうして、わかるの?」
マナエルは一瞬ためらったが、静かに口を開く。
「…ここ、昔は天使の集落があったの。小さいときに習っただけだけど…たしかこの辺りに畑があったはず。手入れされてないだろうけど…何か残ってるかも」
「…そう」
シーナは短く答えながら、マナエルをじっと見つめた。その表情に、ほんの少しだけ、敬意のようなものが混じっている。
マナエルは少し照れくさそうに笑って、立ち上がる。
「ちょっと見てくるね。あんまり離れないから!」
「気をつけろよ。もし妙な気配があったら、すぐ戻ってこい」
シルバが火口に火を落としながら、背中越しに声をかける。
「うん!」
白と黒の入り混じった翼がふわりと揺れ、マナエルは軽やかに森の奥へと駆けていった。
マナエルが森の中へと消えたあと、しばし静かな時間が流れる。火を囲うようにして、シルバとシーナが腰を下ろしていた。
シルバがふと手を止め、笑いながら言う。
「マナエルが習った知識を活かして食材を集める。俺が調理場所を整えて、料理しやすいように材料を揃える。そして…」
シルバは指をシーナに向けて、決め台詞のように言い切った。
「シーナが料理をする!」
シーナは一瞬まばたきしてから、小さく吹き出す。
「…へぇ。そういう相性も、悪くないんだね…」
「悪くないどころか、いいチームだと思うぜ?」
シルバは胸を張って笑ってみせる。シーナはその横顔を見て、なぜか心が少し軽くなるのを感じていた。
そのとき、森の方からバタバタと足音が近づいてきた。
「戻ったよー!」
マナエルが、両手いっぱいに赤や黄色の木の実を抱えて現れる。顔にはうっすら汗を浮かべていたが、どこか誇らしげな様子だ。
「やっぱり果樹園、残ってた!少し荒れてたけど、まだまだ実がなってたよ。明日の朝も食べられそう!」
「…ありがとう。助かるよ」
シーナは短く礼を言い、マナエルから木の実を受け取る。
それから、腰を上げて鍋のそばに立つ。
「じゃあ…始めるね」
シーナの異形の腕が、自然な動作で包丁を取り、干し魚と木の実を手際よく切り分けていく。
火がぱちぱちと鳴り、野菜と果実の香りが、ゆっくりとあたりに広がっていった。
焚き火の炎が穏やかに揺れる中、シーナは静かに干し魚を並べて焼いていく。
「…今日は、干し魚を一枚ずつ。全部、違う味にしてみる」
小声でそうつぶやくと、下ごしらえしておいた木の実を種類ごとに分け、焼いている魚の上にそっと添えていく。甘酸っぱい香りの実、少し苦みのある実、爽やかな香気のある葉付きのもの。
じゅう、と油が木の実に染み込んで音を立て、次第に香りが魚へと移っていく。
やがて焼きあがった魚を、それぞれ異なる木の実と共に皿に盛りつけ、三人の前に並べた。
「木の実香る焼き魚、できたよ」
シーナが言うと、シルバが「待ってました!」と身を乗り出す。
「おぉ…すごい。魚なのに、匂いが全部違う!」
「本当だ…これは、甘い香り…こっちは、ちょっとすっぱそう?」
マナエルも目を輝かせながら皿を覗き込む。
三人はそれぞれ一口ずつ魚を口に運ぶ。
「…ん。うまいな、これ」
「うん!干し魚ってもっとしょっぱいだけかと思ってたけど、こんなに味が変わるんだね!」
シーナは無言のまま、自分の皿を見つめていたが、やがて小さく「…よかった」とつぶやいた。
焚き火を囲んで三人の影が揺れる。しばしの間、戦いも追放も忘れて、ただ静かに、夕餉の時間が流れていった…
食事を終え、焚き火の炎が静かに揺れる中、シーナは無言で皿を集めて水場へと向かった。火の光に照らされる横顔は、どこか落ち着いていて、食後の余韻が感じられる。
シルバは、焚き火のそばに残ったマナエルに視線を向ける。
「なぁ、マナエル。ちょっと、今後の話をしようぜ。…シーナも、片付けしながら聞いてくれ」
少し声を張り、シーナの背に向かって言うと、マナエルもそっと頷いた。
「俺は…もともと、獣人の中でも、ちょっと特別な血を持ってるらしくてな」
シルバの声に、焚き火の薪がパチリと音を立てる。
「昔は仲間だと思ってた奴に裏切られてさ。利用されるだけされて、家族まで危険にさらされた」
マナエルが驚いたように目を見開く。
「でも、ただ恨んでばかりじゃ前に進めない。だから俺は、どんな種族でも…特別な力があってもなくても、みんなが“平等に暮らせる世界”を作りたいんだ。小さいことかもしれないけど、それが俺の目標だ」
ちょうどそのとき、皿を拭き終えたシーナが戻ってきた。
「…聞いてた。おれも、話す」
静かに腰を下ろし、シーナは自分の異形の腕をそっと見下ろした。
「…人の国で、勝手に実験されて、この腕にされた。逃げ出したけど…この腕を見た悪魔たちに、怖がられて追い出された」
炎の明かりに、シーナの影が長く伸びる。
「だから、おれは人の国に復讐する。奪われたもの、全部取り返すために」
シルバが頷き、マナエルに向き直る。
「だから、俺たちはそれぞれの目標のために人の国を目指してる。倒すべき相手が同じってわけだ」
言葉に少し間を置いてから、シルバは静かに問いかける。
「マナエル…よかったら、あんたも来るか?」
焚き火の火音だけが一瞬、沈黙を埋めた…
マナエルはしばらく焚き火を見つめ、そして、ぽつりと語り出した。
「…元々、天使は空から地上を見守って、必要なときに降りて交流し、世界の情勢やバランスを保つのが役目だったんだ。だから、この辺りにも天使の集落があって、今では遺跡みたいになってるけど、聖なる力が残ってて、聖域になってるの。」
その声には、悔しさと悲しさが混じっていた。
「でも、どうせ平和だからって地上を軽視する、怠惰な天使が増えてしまった。あるいは『地上の小さな争いなんて、神聖な我々が手を貸す必要はない』っていう、傲慢な天使たちも…」
一瞬、言葉が詰まった。
「…この前の戦争だって、天使が動けば、あんなに大勢が死ぬことはなかったと思う。でも、彼らは動かない…。なら、わたしが動かなきゃって、そう思ったの。」
マナエルの声には、確かな意志が宿っていた。
「天使は、過度に地上に干渉してはならないっていう掟があって、それに逆らった私に、幹部が排除に来た…さっきの騎士天使。」
小さく息をつき、マナエルは告げた。
「わたしの目標は”世界を改変"すること。…世界を、本質から変えて、まともなものにしたいの。」
その言葉に、焚き火の炎が少しだけ強く揺れたように見えた。
沈黙が落ちた後、マナエルはゆっくり顔を上げた。
「わたしは天使を追い出されたし、きっとあの天使たちはどうやっても動かない…だから、わたしもついて行く!一緒に人の国を倒して、そこから世界の改変の一歩にするの!わたしは小さいことからいろいろ学んできたから、この知識、役に立つと思うけど?」
シルバは満面の笑みで答える。
「もちろんだ、歓迎する!」
シーナもうなずきながら、やわらかく笑った。
「嬉しいよ…マナエル…」
しばらくして、マナエルは少しあくびをしながら、まぶたをこすった
「いろいろあったし…少し安心したら眠たく…なっちゃった…」
それを見たシルバが、軽く笑って答える。
「そうだな。なら、早く寝ることにしよう」
焚き火の炎が静かに揺れる中、三人はそれぞれの寝場所につき、穏やかな夜が訪れるのだった。
翌朝。空はまだ淡く、森の中に差し込む陽の光が木々の葉を優しく照らしていた。
三人は出発の準備を終え、焚き火の残り火のそばで採れたての木の実を手に朝食をとっていた。
シルバがぽつりと口を開いた。
「今日も人の国を目指していくわけなのだが…」
シーナは木の実をかじりながら、周囲を見渡す。
「…平原と山…山の間の道しか行き先はない…?でも、捕まってたときに見た建物は見えない…」
その時、マナエルが元気に手を上げた。
「わたしに任せて!人の国の名前は“軍国セク・メイト”。シーナの言った山の間を抜けるルートで合ってるよ。きっと、そこから行けば入口に近づけるはず!」
シルバが笑って立ち上がる。
「じゃあ、今日も進もう。目指すは“軍国セク・メイト”…!」
三人は荷物を担ぎ、それぞれの歩幅で森を後にする。柔らかな朝陽に背を押されながら、彼らの旅は、新たな段階へと踏み出していった。
三章に続く
キャラクター紹介
名前:マナエル・アルフィーネ
種族:堕天使(元天使)
性別:女
性格:優しく、癒し系の存在。世界を改変するという覚悟を背負っているが、年相応の女の子らしいお転婆な一面も見せる。
外見:短い髪で、後ろ髪は首あたりまで。垂れ目で、柔らかな表情を持つ。
天使の翼を持っていたが、堕天使となりその翼の一部が黒ずんでいる。
目標:世界を改変し、戦争を終わらせ、より良い未来を築くこと。