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小さなキミともう一度

作者: 坂神美桜

ぼくは生まれたときから心臓に病気があった。

幼稚園や保育園には行かれなかったし、小学生になっても週に数時間ほどしか学校に行かれなかった。もちろん体育の授業に参加することもできなかった。

寒いと体調を崩すことが多く、誕生日はいつも病院で看護師さんたちが誕生会を開いてくれていた。それが普通なんだって思っていた。



もうすぐ11歳の誕生日がやってくる。

いつもならそろそろ体調が悪くなって入院してる頃だけど、今年は大丈夫そうだ。でも油断しないように気をつけないと...


数日後、体調を崩すことなく無事に誕生日の朝を迎えることができた。誕生日を家で迎えるのは生まれて初めてのこと。ちょっと不思議な気分だし、なんだか悪いことをしてるような気がする。


「奏太、誕生日おめでとう!」

「おめでとう!今日は奏太が食べたいもの、なんでも作るからね。なにがいい?」

お父さんとお母さんはすごく喜んでくれた。ぼくは家で誕生日を過ごしてもいいんだって思った。

「ぼく、カレーがいいな。柔らかい豚肉が入ってるやつ」

「お祝いなのにカレーでいいの?」

「うん。お母さんのカレーが大好きだから。あと甘い玉子焼きも!」

「ありがとう。それじゃあこれからみんなでお買い物に行きましょう。誕生日のプレゼントと、おいしい豚肉も買わないとね」


車で近くのショッピングモールに行くと、お父さんはぼくたちをペットショップへ連れて行った。

「奏太、動物を飼ってみたいって言ってただろう。だからプレゼントに犬を飼おうと思うんだ。一緒に遊んだり散歩をして、奏太が少しずつ体力をつけていかれればいいと思う。どうかな?」

「うれしいけど、でもぼくに世話ができるかなぁ。また入院しちゃったら散歩に連れてってあげられなくなっちゃう」

「大丈夫だよ。お父さんたちも一緒に世話をするし散歩にも行くから」

「病は気からって言うでしょ。世話をするんだっていう気持ちが奏太の体調を安定させてくれると思うわよ」

「そうか。うん、わかった。見に行ってみるよ」


お店に入ったときからずーっとこっちを見ている子がいるのに気づいていたから、まずはその子のところに行ってみることにした。

ぼくに向かって一生懸命前足を伸ばしてぴょこぴょこジャンプしてる。

ヨークシャテリア・女の子っていうプレートが貼ってあるその子の前で止まると『クゥーン』と小さく鳴いてじっと見つめてくる。

抱っこしてって言われている気がしたから、お店のお姉さんにお願いしてサークルから出してもらうことにした。


膝の上にのせてもらうと、その子は飛んでいきそうなほど尻尾を振りながらぼくの手にしがみつき、また『クゥーン』と鳴いた。

ほかのサークルを見回してもどの子とも目が合わない。みんなぼくを見ていない。でもこの子は初めからぼくを見ていてくれたんだ。

「お父さん、お母さん、ぼく、この子のお父さんになる!」

「ほかの子も抱っこしてみなくていいの?」

「うん。この子がいい!」


ペットショップから子犬を連れて帰るには、生後60日を過ぎてないといけないらしい。でもこの子はまだ生後50日ぐらいみたい。

「始めにちょっとお伝えすることがあるんですが、この子には、人間で言うアトピーのような皮膚炎があります。いまは飲み薬は使わず、殺菌効果のあるシャンプーで体を洗うことで感染や炎症を抑えられています」

よく見るとおなかの辺りに何カ所か、小さくて丸いカサカサした感じのところがある。

「成長とともにいつの間にか治ってしまうかもしれませんが、一生薬を飲み続けることになる可能性もあると獣医から言われています。それでもこの子を大切にしていただけますか?」

「もちろん大切にします。その皮膚炎以外にももしこの子に何かあったとき、必ず最適な治療を受けさせます」

この子は家族になるんだからみんなで絶対幸せにするよ、ってお父さんが言ってくれた。

ペット保険の説明も聞いて、お父さんが全部手続きをしてくれて、2週間後にお迎えにくることになった。

「お迎えの日までにこの子のお名前を決めてきてくださいね」

お姉さんにそう言われたけど、ぼくはもう決めている。この子の瞳を見たときに頭に浮かんだんだ。


「ちゃんとお迎えにくるから、そんなに寂しそうな顔しないでよ」

うるうるの瞳で見つめられるとぼくも寂しくなっちゃうけど、会えなくなるわけじゃない。この子はぼくたちの家族になるんだ。

今日はケージやベッド、この子のために必要なもの一式と、おいしそうな豚肉とケーキを買って帰った。


お母さんがカレーを作ってくれているあいだ、お父さんと一緒にあの子が安全に動き回れるように部屋の模様替えをし、ケージを置くための準備をした。


「奏太、お誕生日おめでとう。やっと家でお祝いできたわね」

「ありがとう。来年もその次もずっと家で誕生日を迎えられるように、ぼくがんばるよ」

「無理せず少しずつでいいんだからな。では、かんぱーい!」

やっぱりお母さんのご飯が1番だ。おいしいご飯を食べて笑っていられるのは、とても幸せなことだと思う。


翌日、ぼくは熱を出して寝込んでしまった。ちょっと動きすぎて疲れたみたいだ。

「熱が下がっても明日まではゆっくり休むのよ」

「...うん、わかった」



夜中から降り始めた雪がうっすら積もっている。

今日はあの子をお迎えに行く日だ。いっぱい着込んで寒くないようにしたし、あの子のためのキャリーケースの中には毛布を敷いた。


ペットショップにつくと、新しいお家が決まりましたって書かれたサークルの中であの子がぼくに向かってジャンプしている。

「ルナ、お迎えに来たよ」

手を伸ばすと一生懸命しがみついてきた。

この前のお姉さんが来て、

「お名前、ルナちゃんにしたのね」

って言いながらルナを抱っこさせてくれた。

「はい。最初に会ったときから決めてました。この子の瞳を見てたら頭に浮かんだから」

「かわいくて素敵なお名前ですね」

「なんだ、ちゃんと名前決めてたのか。考えておくとしか言わなかったから迷ってるんだと思ったよ」

「ルナちゃん、奏太をよろしくね」

『キャン!』と元気よく吠えて尻尾をブンブン振っている。まるで返事をしてるみたいだ。


家に帰ると、あっちこっち覗いたり匂いを嗅いだりして部屋中を探検して歩いている。

たまにぼくのところへ来て見つめてくる。頭をなでてあげるとまた探検に行く。

それを何回か繰り返すと、こたつに足だけ入れて座っているぼくの膝に乗ってきてあっという間に眠ってしまった。

知らない場所に来て動き回って、きっと疲れたんだろうな。

かわいい寝顔を見ながら背中をなでていたら、いつの間にかぼくも横になって居眠りをしてしまった。


「奏太、ご飯よ。起きられる?」

お母さんに呼ばれて目を覚ますとぼくはベッドで寝ていて、おなかの上でルナが丸くなって寝ていた。


「お父さん、ベッドに連れてってくれたの?」

「こたつで寝たら風邪引いちゃうからね。ルナもベッドに登ろうとして飛び跳ねてたから乗せてやったら、奏太にくっついてすぐ寝てたよ」


「さあ、ルナにもご飯あげて」

お母さんがルナ用のご飯も作ってくれていた。マットを敷いてご飯のお皿を置くと、ルナはお座りをしてぼくの顔をじーっと見てくる。よし、って言うとゆっくり食べ始めた。


お座りも待ても教えてないのにちゃんとできる。トイレだって自分でシートのところまで行ってた。

...ぼく、犬の飼い方とかしつけの本をいっぱい読んで勉強したのにな...


相変わらず体調を崩すこともあるけど、今までよりも外に出る時間が増えてきたと思う。お母さんとルナと一緒に散歩をして知らないお店を発見したり、こんなにいろんな花が咲いてるんだって気づいたり。

学校にいられる時間も長くなって、授業でわからなかったところをクラスメイトが教えてくれたり、好きなゲームや本の話をすることもあったりして初めて学校が楽しいって思えるようになった。



中学2年生になったぼくは、ほぼ毎日学校に通えている。体育は見学だし午前中の授業が終わったら早退することもあるけど、小学生の頃にくらべたらすごい進歩だ。


ルナは子犬の頃は黒かった毛が、キラキラと艶のあるグレーと薄い茶色に変わった。

体も大きく重くなったのに、相変わらず寝ているぼくのおなかの上に乗ってくる。苦しくて目が覚めちゃうからやめてほしいんだけどな...


朝起きると、珍しくルナがとなりにいなかった。探しに行くとケージの中で一生懸命おなかを舐めている。

「どうしたの?おなかかゆい?」

『クゥーン』と鳴いてぼくの前に来ておなかを見せた。

小さかった皮膚炎が、大きく真っ赤になっている。

「お母さん、ルナの皮膚炎がひどくなってる!」

「えっ!それじゃあ午前中に動物病院へ連れていくわね」

「うん」

「奏太はもし調子がよくないと思ったら無理しないで帰ってきなさい。ルナが心配でストレスがかかったら、心臓にもよくないから」

本当はぼくもルナと一緒に行ってあげたいけど、そのために学校を休むわけにはいかない。

「ルナ、ちゃんと診てもらってくるんだよ」

ルナの頭をなでていい子にするように言い聞かせ、ぼくは学校へ向かった。



「だいぶおなかがかゆいみたいで、ずっと舐めているんです」

「あらら、結構炎症が広がっていますね。まず炎症を抑える薬を1週間飲ませましょう。かゆみ止めの薬も出しておくので、どちらも1日1回、夜に一緒に飲ませてください」

飲ませ方の説明書も入れておいてくれるそうだ。

「舐めると炎症がひどくなってしまうので、エリザベスカラーをつけましょう。視界が狭くなるので、どこかにぶつからないように出来るだけ様子を見てあげてください。1週間後にもう1度診せてくださいね」

ピンクのエリザベスカラーをつけてもらい、診察は終了した。



「ただいま。ルナはどうだった?」

ルナが玄関まで走ってきて、ぼくの足に飛びつこうとして思いきりぶつかった。

あ、これ、本で見たエリザベスカラーってやつだ。

「おかえり。着替えたらこっちに来てね」

「いたた...ルナがぶつかってきたよ...」

「視界が狭くなるからぶつからないように様子をみてあげて、って獣医さんに言われたわ」

「そうかぁ、出来るだけ見てるようにするよ」

お母さんから診察の時のことを聞いて、薬を受け取った。飲ませ方は本で読んで知ってたから、どれがルナに合う飲ませ方か、1つずつ試してみよう。


どっちも小さな錠剤だったから、1粒ずつおやつの中に隠して食べさせた。小さめのおやつなら丸呑みするからこれで大丈夫そうだ。

「早くかゆみが取れるといいね」

『ワン!』

やっぱりルナはぼくの話を理解してるんじゃないかと思う...


1週間後、お母さんがルナを動物病院へ連れて行ってくれた。

「炎症は治まっていますね。今日からかゆみ止めの薬だけにしましょう。1ヶ月分出しておくので今まで通りに夜飲ませてください。エリザベスカラーは1週間後に1度外してみてください。まだ舐めてしまうようならもう1度つけてくださいね。また1ヶ月後に診せてください」


学校から帰るとルナの様子を教えてくれた。

「薬が減ってよかったね。エリザベスカラーも早く取れるといいな」

『ワン!』

やっぱり返事、してるよね...


1ヶ月後の診察の時には、無事エリザベスカラーなしの生活に戻っていたけれど、かゆみ止めの薬はたぶんずっと飲み続けることになると言われてしまった。

「はじめからそうなるかもって言われてたし、ルナ自身はおやつをもらえるわけだし、あんな小さな薬1つでかゆみもなく快適に過ごせるんだから、どうってことないだろ」

「でも、薬代とか高いよね」

「そんなの、奏太が心配することじゃないよ。奏太とルナが元気に過ごせるようにするのがお父さんとお母さんの仕事なんだ」

「そうよ。子どもがお金の心配なんかしなくていいのよ」

「うん。ありがとう」


お父さんとお母さんは、いつもぼくのことを大切に思ってくれている。

ふたりの子に生まれて本当によかったと思う。



中学3年生の夏休み前、ぼくは定期検診で主治医の先生から手術をすすめられた。

「体もだいぶ大きくなって体力もついてきているし、心臓の状態も安定しているから、これなら手術に耐えられると思うよ。どうするかはご両親と相談して決めればいい。だけど、奏太くんが嫌だと思うならやめたほうがいい。奏太くんの気持ちが1番大事だからね」

「手術したら走れるようになりますか?」

「走れるし、体育の授業にも参加できるようになる。無理をしすぎなければみんなと同じように生活できるよ」

「それなら、手術受けます!」

ずっとルナと一緒に外で遊んだり走ったりしたいと思ってた。いつもののんびり歩く散歩もいいけど、それだとルナは物足りないんじゃないかと思ってたんだ。

「奏太はルナと走り回りたいのよね」

うぅ...やっぱりお母さんにはバレてた...

「先生、奏太のことどうかよろしくお願いします」

「わかりました。夏休み中なら学校を長く休まなくて済むと思うけど、どうする?」

「それでいいです。少しでも早く元気になりたいです」

「よし、それじゃあ入院の予約していってくださいね。体調崩さないように気をつけるんだよ」

「はい!」



体調を崩すことなく入院当日を迎えた。

「ルナ、しばらく会えないけどいい子にしてるんだよ。ちゃんと元気になって帰ってくるから」

下を向いて小さく『クゥーン』と鳴いたあと、ぼくの顔を見つめて『ワン』と吠えた。


入院中はお父さんとお母さんが毎日スマホにルナの写真を送ってくれた。

ちゃんといい子にしているし、ぼくがいなくてもぼくのベッドで寝てるんだって。


いよいよ手術当日。

お父さんから伏見稲荷大社のお守りをもらった。

なにかの本で写真を見て、なんとなく惹かれた千本鳥居のポストカードを机に飾ってある。お父さんはそれを見てわざわざ送ってもらったみたい。

看護師さんから、お守りは滅菌の袋に入れてそばに置いてくれるって聞いたから、ルナの写真も一緒に入れてもらうことにした。


「奏太、がんばるのよ」

「うん、でもぼくは寝てるだけだから...」

「それもそうだな。目が覚めたら早く回復できるようにがんばるんだよ」

「うん。いってくるね」



夢を見ていた。ぼくはルナと一緒にフリスビーで遊んでる。お母さんがカレーを作ってくれてる。お父さんは...なにしてるんだろう。なにか焼いてる...?

「奏太、もうすぐできるから手を洗って」

「はーい」

天気もいいし、運動したあとに外で食べるご飯ってすごくおいしい。

キャンプってこんなに楽しいんだ。また来たいな。



「奏太」

「奏太、終わったよ」

お母さんとお父さんの声が聞こえて目を開けると、2人がぼくを心配そうに見つめていた。

「ぼくね、楽しい夢を見てたよ。お父さん、なに焼いて...た...」

夢のことを話そうとしたけど、すごく眠くて目を閉じてしまった。

「まだ麻酔がしっかり切れていないので、うとうとした状態がもうしばらく続くと思います。でも手術はうまくいきましたからね。また明日会いに来てあげてください」

「ありがとうございました。明日はもう少し話ができますか?」

「できると思いますよ。あ、そうだ。奏太くんはいつもルナちゃんに会いたいと言っていました。明日、可能ならルナちゃんの写真を持ってきてあげてください。きっと励みになりますから」

「わかりました。必ず持ってきます」



翌日、お母さんがルナの写真を持ってきてくれた。

ぼくのベッドで寝ているところ、おやつをねだっているところ、シャンプーしたてでなんか細ーい生き物になってるところ。

どれもかわいい。早く会いたい!


「昨日、夢を見てたって言ってたのよ。お父さんがなにか焼いてたとかなんとか...」

「そんなこと言ったんだ。全然覚えてない。でも夢を見たのは覚えてるよ。みんなでキャンプに行って、お父さんがアルミホイルに包んだなにかを炭の上に置いたの。なに焼いてたんだろう...」

「楽しい夢を見てたのね。次の休みの日にお父さんと一緒にくるから、なに焼いてたのか聞いてみたら?」

「でもぼくの夢の中のことだからなぁ...教えてくれるかなぁ」

「とりあえず聞いてみたら?さあ、そろそろ帰るわね。また明日くるから」

「うん、ありがとう」


ICUは面会時間が30分だけって決まってるんだって。でも明日には病棟の個室に移れるから、ルナのことをいっぱい聞いてみようと思う。



個室に移ったぼくは、ベッドの上で起き上がる練習を始めた。頭がふらふらして気持ち悪くなりそうで1分も起きていられない。先生は1週間後には歩けるようになるって言ってたけど、ちょっと信じられないよ...


「ルナは毎日玄関で奏太の帰りを待っているのよ。夜、電気を消すと今度は奏太のベッドに移動するの」

「そうなんだ。あんまり長く会わないと、ルナに忘れられちゃうような気がして心配だったんだ」

「大丈夫よ。絶対忘れたりしないから」


ルナの皮膚炎は落ち着いてるとか、ペースト状のおやつを盗み食いしようとしてお父さんに怒られたとか、いろいろ聞かせてもらってるとあっという間に時間が過ぎていった。



翌日はお父さんも来てくれた。

「お!奏太、起き上がれるようになったか」

「うん。もう歩く練習してるよ」

「それはよかった。そうだ、お父さんになにか聞きたいことがあるんだって?」

「あ、あのね、手術の時にね、みんなでキャンプに行ってる夢を見たんだ。その時お父さんがアルミホイルに包んだなにかを炭の上に置いて焼いてたんだけど、あれ、なに焼いてたの?」

「それはきっと焼き芋だな。炭で焼いた焼き芋はおいしいぞ。来年の夏休みにキャンプ行ってみるか」

「やった!楽しみだね」


長時間起き上がっていられるようになると、ぼくは受験勉強を再開した。

病棟の先生たちがちょこちょこ見に来てくれて、わからないところを教えてくれた。

おかげで過去問題をスラスラ解けるようになった。



予定より長くなったけど、9月中旬に退院することができた。

1ヶ月後の診察で異常がなければ学校に行けるようになる。


家に入るとケージの中でルナが吠えている。いそいで出してあげると思いっきり飛びついてきた。尻尾をブンブン振ったり、ごろんとおなかを見せてきたり、大歓迎してくれた。

「ただいま。待っててくれてありがとう」

すると今度は散歩用のリードを咥えてきた。

「夜、涼しくなったら行こうね」

『ワン!』


ルナは小さいときから、ぼくのとなりにぴったり並んでペースを合わせて歩き、絶対に引っ張ったりしなかった。ほかの子がやってるみたいに電柱に近づいていったり、なにかに気を取られたりすることなく、たまに『大丈夫?』っていう顔でぼくを見上げてきたり、『ちょっと休憩』って言ってるみたいにぼくの前でお座りをする。

それは今も変わっていない。

ぼくはもう元気に歩けるけど、やっぱり心配してくれている。ぼくがルナを守らなきゃいけないのに、逆に守ってもらってるみたいだ。



ぼくは無事学校へ行けるようになり、高校受験を終え、中学校を卒業した。

春休み中、ルナと動物病院の手前の交差点で信号待ちをしていると、ぼくたちの後ろをちょっと小柄なおじさんが通り過ぎた。するとそのおじさんは咥えていたたばこを、火が付いたまま周りも見ずにポイッと投げた。

危ない!と思った瞬間、たばこはルナの後ろ足を直撃した。驚いたルナは車道へ飛び出しそうになったけど、間一髪で抱き上げ、病院の受付で事情を話すとすぐに診てもらうことができた。

幸い、たばこの火は直接皮膚に当たらなかったらしい。怪我もなくホッとして診察室から出ると、サラリーマン風のお兄さんから声をかけられた。

さっきの出来事の一部始終を見ていて、たばこを投げたおじさんを捕まえてくれたらしい。

しかも交差点を渡ったところの交番からお巡りさんもそれを見ていて、すぐにお兄さんの応援に行ってくれたみたい。

お母さんにも来てもらい交番で話をすることにした。今回は怪我もなかったから治療費の問題もないし、訴えたりもしないことになったけど、おじさんは歩きたばこの罰金を取られ、お巡りさんにめちゃくちゃ怒られてたな。

お兄さんは仕事があるからと言って行ってしまったので、しっかりお礼ができなかったのが心残りだ。



高校生になると、普通に学校へ通い、体育の授業にも出られるようになった。

運動神経が悪くて、初めてのスポーツに悪戦苦闘してるけど...


「奏太は明日から夏休みだよな。土曜日だし、キャンプの道具を買いに行こう」

「うん!」

『ワン!』

「ははは!ルナも返事したよ。ちゃんと話聞いてるんだな」



「本当にキャンプに来られるなんて思ってなかったよ。やりたいことはいっぱいあるけど、きっとぼくにはできないんだって諦めてた」

「これからやっていけばいいじゃないか。やりたかったこと、全部ノートに書き出してごらん」

「実はさ、これ...」

ぼくはリュックの中からノートを取り出しお父さんに渡した。

「ん?未来ノート?なんだ、こんなにしっかりまとめてたのか。よし、夏休み中にすぐにでもできることからやっていこうか」

「ありがとう!」

『ワンワン!』


テントのそばには小川が流れいて、小さな魚や川底の砂がキラキラと輝いている。まわりは緑に囲まれていて涼しく、とても気持ちのいい場所だ。

「そろそろご飯の準備、始めるわね。奏太はルナと遊んであげて」

「はーい!」

ぼくたちはフリスビーで遊ぶことにした。ルナは赤いものに興味を示すからこれを選んだんだ。

「ちゃんと取ってくるんだよ。えいっ!」

赤いフリスビーを追いかけて走っていく。ルナってあんなに走るの速かったんだ。

いつもはぼくのペースで歩いているから、やっぱり物足りなかっただろうな。

しっかり咥えて持ってきたフリスビーをぼくの手に乗せる。

何回くりかえしても、尻尾をブンブン振って『もっともっと』っていってくる。

そろそろ休憩しようと思ってたら、お母さんに呼ばれた。

「もうすぐご飯できるから、手を洗ってきて」

さっきからカレーのいいにおいがしてて、おなかの虫が鳴きっぱなしだ。

あ!お父さんがアルミホイルで焼き芋焼いてる!

あの時の夢と同じだ。お父さんたちに夢で見たこと全部話したから、きっとそれを再現してくれてるんだ。

あの楽しい夢が正夢になった。


「ルナ、はいご飯どうぞ」

お母さんにハイタッチして食べ始めた。

ルナはご飯をくれる人によって違う方法で『いただきます』のあいさつをする。

お母さんにはハイタッチ。お父さんにはお手。ぼくには『ワンワン!』って2回吠える。

「カレーも焼き芋もおいしいね。ルナも焼き芋おいしい?」

『ワン!』


次の日もいっぱい遊んで2泊3日の初キャンプは終わった。


お父さんから、宿題を早く終わらせたらいいことあるぞ、って言われて、必死になって片付けている。次々とおもちゃや散歩用リードを持ってやってくるルナをかわしながら...


「宿題は進んだか?」

「うん、あと少し」

「それなら今度の週末、お礼参りに行こう」

「お礼参り?」

「手術の時に守ってくれたお守りを返して、神様にお礼をするんだよ」

ってことは、伏見稲荷大社!? 千本鳥居が見られるの!?

「やった!ありがとう!」

ん?まてよ?

「ルナは?」

「残念だけどペットホテルでお留守番」

そうだよね。伏見稲荷はペットを連れて入れないもんね...



初めての京都。観光地に行くこと自体が初めてで、とにかく人の多さに驚いた。

でも糺の森っていう場所はすごく広くて自然がいっぱいで、時間がゆっくり流れているようでとても気持ちのいいところだった。


そして1番の目的だった伏見稲荷大社。

最初に本殿でお参りをして、いよいよ千本鳥居へ。実際に来てみると本当に魅力的な場所だった。神域?っていうのかな、とにかく神聖な場所って感じがする。

早朝だから人もまばらで、すてきな家族写真が撮れた。机に飾ったポストカードと入れ替えよう。ルナの写真も一緒に入れられるフォトフレームってあるかな...


「奏太が大丈夫なら、山頂まで行ってみるか」

「うん、行きたい!」


写真を撮ったり、階段の真ん中に座っている猫をなでたりしつつのんびり登っていき、四ツ辻という場所で視界が開けて京都の町を一望することができた。遠くのほうに小さく京都タワーが見える。こんな場所まで自分の足で登ってこられるなんて思ってもみなかった。


「あっ、山頂って書いてある!」

「がんばったな、奏太」

「うん、自分でもびっくりしてるよ」

涙が流れてきた。お父さんたちに見られたくなくて後ろを向いたけど、どうしても止めることができなかった。

大丈夫だよって言ってたけど、本当は手術が怖かったし、麻酔から覚めたあとは痛くて苦しくて大変だったんだ。


山頂の『上社神蹟』でお参りをして、次に行きたかった場所へ向かうことにした。


「着いたよ、薬力社。もし登ることができたら、ここでゆで卵を食べたかったんだ」

「ゆで卵があること、知っていたの?」

「うん。伏見稲荷のこと、少し調べてきたんだ。これはここのご神水でゆでているんだって」

「それはご利益ありそうね。買ってくるから座ってて」


おいしいゆで卵を食べて力をもらい、途中の眼力社でもお参りをして下山した。

納札所にお守りを納め新しく稲荷守をいただき、本殿で山頂まで行くことができたお礼をして伏見稲荷をあとにした。


初めての経験をして、楽しい思い出がたくさんできた夏休みだった。

そういえば眼力社で『願力ノート』を買ってきたんだ。別名、夢ノートって言うらしい。ぼくは未来ノートに書いたことを、この願力ノートに書き直そうと思った。もちろんキャンプのことや京都旅行のことも書いておくつもりだ。



今まではできないと諦めていた夢を少しずつ叶えて、願力ノートもだいぶ埋まってきた。ぼくは今、高校、大学を卒業し総合商社のペット用品を扱う部署で働いている。


休みの日、ルナはぐったりしていておやつをあげても食べようとしない。

すぐに動物病院へ連れて行くと、検査の結果、膵炎をおこしていることと肺と肝臓に影があることがわかり、まずは膵炎の治療のため入院することになった。

ぼくが帰ろうとすると寂しそうな瞳で見つめてくる。だけど起き上がる元気はないらしく、横になったまま少しだけ頭を上げている。

明日も来るからと言って頭をなでると、ルナは安心したように眠ってしまった。

昨日まで元気に走っていたし、ご飯もおやつももりもり食べていたのに...

ほんのわずかでもきっとなにか異変があったはずなのに、気づいてあげられなかったことがとても悔しい。


平日は母が毎日様子を見に行ってくれて、入院から1週間後、ぼくも一緒に面会に行った。

「血液検査の数値は入院時と変わらず、治療の効果はほとんどみられません。このまま続けても回復の見込みはないと思います」

「それは...」

「飼い主さんが治療を望むなら私たちもできる限り尽力します。ですが、ルナちゃんはこのまま入院していても...もしかしたら一人で最期を迎えることになるかもしれません」

ぼくは頭の中が真っ白になった。でもルナをひとりぼっちにはさせたくないと思った。

「もし連れて帰ったら、あと...あとどれくらい一緒にいられますか?」

「それはルナちゃんの体力次第です。短ければ数日かもしれません」

そんな...

ルナはまだ生きたいと思っているかもしれない。

ぼくのわがままかもしれない。

だけど最期は家で、みんなと一緒に過ごさせてあげたかった。

寂しそうな瞳を見たら、ここにおいていくなんて考えられなかった。

「ルナ、おうちに帰ろうか」

尻尾をピクピクと動かし、頭を上げて起き上がろうとしている。

『一緒に帰る』って言ってるみたいだ。


家に帰りしばらく横になってぐったりしていたけれど、ちょっとづつもぞもぞ動いて、そのうちゆっくりふらふらと歩きぼくにくっついてきた。

膝に乗せると安心したように眠ってしまった。頭や体をなでていると、たまに尻尾を振っているようにぴくぴく動く。


父とぼくが仕事に行っているあいだは、母がずっとみていてくれた。

ぼくはできる限り定時で帰り、少しでも多くの時間をルナと過ごすようにしていた。


もうほとんど動けなくなっていたある日、みんなが揃ったタイミングでルナが頭を上げ『クゥーン』と小さく鳴きゆっくり瞳を閉じた。

退院から2週間後のことだった。


ルナがいなければぼくは元気になれなかったかもしれない。もしかしたら、もうここにいなかったかもしれない。

ルナは幸せだと思ってくれていただろうか。

今までの思い出が頭の中を駆け回り涙が止まらなかった。

「ルナは最期までがんばったのよ。奏太が『よくがんばったね』って笑顔で送りだしてあげなきゃ」

「そうだぞ。奏太が泣いてたらルナは心配でゆっくり休めないだろ」


母がルナの体を拭きブラッシングをし、遺髪をとっておいてくれた。

ぼくは葬儀の手配をし、一睡もできないまま翌日の葬儀を終えた。

片手に乗るほどの小さな骨壺をかかえ、なにも考えられずひたすら泣いていた。

しばらくは気持ちの整理ができず、本当に苦しかった。



あれから2年が過ぎた。

母に頼まれ買い物に出たぼくは、なんとなくいつも通らない道を歩いていた。

最近新しくできたらしい公園にさしかかったとき、ふと聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

気のせいだろうと思いそのまま通り過ぎようとするとまた声が聞こえた。

「公園の中かな...」

誰もいない公園に入ると、奥の花壇のほうから鳴き声が聞こえる。

『クゥーンクゥーン』と、まるでここにいるよって言っているみたいに一生懸命鳴いている。その声がルナの声と重なり、ぼくの心臓は周りに音が聞こえそうなほどバクバクと鳴っている。

ラナンキュラスの花のあいだを覗いていくと小さなキャリーケースが置いてあり、その中で黒い何かが動いている。蓋を開けよく見るとヨークシャテリアの赤ちゃんだった。

キュンキュン鳴きながらぼくの手に必死にしがみついてくる。

「ルナ!」

思わす叫んでしまった。亡くなったルナも子犬の頃は黒い毛だったし、同じようによくぼくの手にしがみついてきてたから。

キャリーケースの中には結構水が溜まっていて、昨夜降った雨が入ったんだとしたらこの子はその前からここに置き去りにされていると言うことだ。

ぼくはいそいで動物病院に連れて行くことにした。

途中で母に連絡し、荷物を取りに来てもらえるように頼んだ。


「生後3週間ぐらいの女の子ですね。体温が低いので処置室であたためていますが、ほかは特に問題ないでしょう。体温が上がれば連れて帰れますがどうしますか?」

「もちろん連れて帰ります!」

すごい早さで母が返事をしたので、ぼくは驚いてなにも言えなかった。

予防接種の時期や届け出に必要なものなどの説明を聞き、ぼくが抱いて連れて帰った。

「お父さんにも連絡しておくね」

「えぇ、連絡しちゃうの?なにも知らずに帰ってきてどんな反応をするか見たくない?」

まるでいたずらを仕掛ける子どもみたいに楽しそうにしている。

「うーん...それじゃ連絡しないでおくよ」


子犬はちゃんと自分で水を飲みに行くし、1度教えたらトイレシートの場所も覚えた。

ぼくの後ろをちょこちょこくっついて歩いたり、前足を上に伸ばして飛びついてきたり、ぼくの隣で眠る姿まで、ルナとそっくりだ。



『キャンキャン!』

「おぉ、びっくりした...え?ルナ...?え?」

「ふふ、絶対こういう反応すると思ってたのよ」

「お母さん、わかってたんだ...」

お父さんに今日の出来事を一通り話すと、

「飼わないって選択肢はないだろ。で、名前は?」

「名前かぁ」

そういえば公園でルナって叫んだ瞬間、尻尾の振り方も手にしがみつく力も一層強くなった。単純にぼくの声に反応したのか、ルナっていう名前に反応したのか...

「ルナ!」

『キャンキャン!クゥーン』

子犬は尻尾を振りながらぼくの足に頭をすりすりしてきた。

「返事してるみたいだな。自分はルナだって思ってるんじゃないか?」

「やっぱり...公園でもルナって言ったら反応したんだよ」

「きっとルナが生まれ変わって戻ってきたんだよ」

「そんなことあるかなぁ。でも、そうだったらうれしいよね」

「そうだな。よし!この子は今日からルナだ」



ヨークシャテリアなのに垂れた耳も、先のほうがクルンとカールした黒い毛も、鳴き声も、仕草も、どれを取ってもルナとしか思えない。

「ルナ、もしかして本当に帰ってきてくれたの?」

『キャンキャン!』

小さな尻尾をぶんぶん振りながら手にしがみついてくる。

返事をしてるの?本当に帰ってきてくれたの?

ぼくはうれしくて泣きながらルナをそっと抱きしめた。

「おかえりルナ、会いたかったよ」

『キャンキャン!クゥーン』

願力ノートに「もう一度ルナを大切に幸せに育てる」と書き足した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 『ぼく』の視点ということもあって、子供の頃から大人になるまで傍に寄り添ってくれていたルナがどんなに大きな存在か痛いほどに伝わってきました。 なので具合が悪くなってしまってからは、読むのが辛…
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