六朝元老1話その2
六朝元老1話その2
坂井秀樹は、日本実用射撃同好会と木の板が掲げられている民家の引戸を開けた。
岐阜市内の古びた住宅街。
昭和の建物で、若干傾いている。
「近岩さん。坂井です。こんにちは?」
坂井も高城も近岩には、競技射撃で世話になっている。
六朝元老 王義夫と親交が有り、許湖岳を知っていた。
奥から……上がって……と声がする。
「おじゃまします」
坂井は、トロフィーと楯や賞状で埋まった和室に入る。庭に面している。戸の上側にガラスがはめられており、庭の木々が風に揺れている。
近岩は木製のテーブルで、サイホンのコーヒーを飲んでいた。テレビにビデオカメラが接続され、ライフル射撃の様子が流れている。
「坂井。これが、シィーフゥーュエだ」
「シー?」
「許湖岳」
「発音できません」
「シーフーエで良い」
ビデオの射手は、どう見ても女性だった。
「まぁ飲め。ヤジマんとこに、豆取り寄せさせてさぁ、オレがブレンドしてローストした。プレミックスはムラなくローストできないって奴がいるが、腕がねえだけさ」
薄手のコーヒーカップに、コーヒーが注がれる。
「勝手に男だと思ってました」
「父親が産まれる前に男と決めつけて、名付けたらしい。中国人に言わせると、かなり変な名前らしい。父親にはアテネで申し訳ない事をした。本射後の試射は違反。誤って引き金を引いたのを見ていなかった。発射音だけで試射として失格にした。観客のビデオで誤射と知ったが失格は取り消せなかった」
シーフーエの射撃姿勢はただ者ではなかった。
「六朝元老の弟子と聞いてますが、実際どうなんです?」
近岩はコーヒーを飲む手を止めた。
「六朝元老。王義夫は。恐れてたな…」
「恐れる?」
「射撃の神の手を持っている。しかし、神をも恐れぬ心根も合わせ持っている。シーフーエは、必要と有れば。神をも撃ち抜くであろうとね」
「それで。天安門事件で85キル…」
「去年。習金平を狙撃した犯人が捕まってない。シーフーエなら外さないと言う事で容疑者から外された。実際には影武者が頭を撃ち抜かれた」
「それが。今度は中南海の仕事をするのは?」
近岩は、コーヒーを飲み干した。
「死刑を免れる為は違うな」
「他に理由が?」
「用が済めば、天安門事件の裏切り者は処分されると本人も知っている…」
振り子時計が午後4時を告げる。
「…シーフーエは、10年前。アメリカ陸軍のマークスマンだった。高城が右足を負傷しながら指令部を制圧した時、そこに居た。自分を越える者がいるとは思わなかった。彼と1対1で撃ち合ってみたいと、上官に願い出たそうだ」
「高城と撃ち合う為に、わざと拉致された?」
「憶測だが…もしそうだとすると。厳しい事になる」
坂井を近岩は見た。
「………」
「高城は。神を撃ち抜かない。情が有る。情が有る方が、すべてが甘くなる。甘い方が負ける」
近岩は、突然金属板を頭に持ち上げた。
キンッ
坂井は跳弾を避ける為に、ダイブする。
バンッ
今度は貫通した。
近岩の頭部がなくなった。
坂井は落ちてきたエアピストルを握った。
庭に面した戸が、砕け散る。
庭に女が立っていた。
「高城麟太郎に伝えて。近岩与左之助の死体は、私からの招待状。受けなければ、次の招待状を送ると」
「どうすれば受けられる!よくも近さんを殺したな!許さないぞ!」
「あなたには無理。高城以外に私は殺せない。高城自身が、私を見つければ良い。高城麟太郎なら、私を見つけられる」
「狂ってる。お前は狂ってる」
「近岩与左之助もね。1992年アテネオリンピック。私の父を中国人であると言う理由で失格にした。入賞も出来なかった父は自殺。私を狂わしたのは近岩。自業自得」
シーフーエ。許湖岳は消えた。