1-6 決戦前夜
ブリドリッド王国で竜騎士とドラゴンの襲来という大事変と時を同じくして、トリオン公国の領内にある砦ーブルーダム城塞ーにて、北の大国ロンバルト帝国の大軍勢と、サートリオン4王国は対峙していた。時は決戦前夜。だが、味方軍の中にも不穏な空気が流れていた。
ブリドリッド王国、サード王国、トリオン公国、イルム教国の四カ国が立する国土の全体をサートリオン半島という。古からこの四国をして、半島の名を取りサートリオン連合、もしくはサートリオン四カ国同盟といった。
サートリオン半島は、南北に縦長の地形であり、その北から順に、トリオン公国、サード王国、イルム教国が位置し、ブリドリッド王国は正確には半島の西南の島に立する島国であった。
このセインデリア世界の構成は、地続きのひとつの大陸、超大陸アトランティスと、それを包む大海とで構成され、サートリオンの位置する地方と真反対の方角に宇宙まで届く、巨大な世界樹セインデリアが存在している。
サートリオン半島の首元、その北方には広大な樹海が広がっている。この樹海は、細かく分類すると5つにわかれている。5つの樹海には、それぞれドラゴンの支配地、竜の結界が乱立している。
いわく人々は、畏怖の念と地図上の黒い部分をして…暗黒地帯と呼んだ。
暗黒地帯には、わずかだが、まるでそれぞれの結界を国境のように分つがごとく、細く長い道が網目のように存在していた。
それらの道のはじめは、ロンバルト帝国の行商人が発見しだといわれ、長い年月の末にサートリオン各国や森のほとりにある大小さまざまな村や町との交易の道として発展していった。
だが、あるとき、一人の行商人の嘘によってロンバルト帝国側より、ときの帝王によってサートリオン半島へと遠大な軍事道として再開発された。
それが今から150年前のことであった。
以来、帝国帝王の六世代にもわたって随時に遠征が為された。小競り合いから大きな戦いまで、それは数え切れないほどのおびただしい戦が続いている。
だが、そのいずれの戦も、サートリオン連合軍は、樹海の開口部にあたるトリオン公国の領地内に堅固な城塞を建造し、一切の攻防を制してきた歴史があった。
今回の戦は、これまでの戦の規模を大きく上回る様相を呈していた。
ロンバルト帝国軍はおよそ130万人の規模の大軍をもって、暗黒地帯を通り抜け大挙して進軍してきたのである。
サートリオン四カ国は、すぐに同盟国全体で協議し、火急的すみやかに共同出征を決定した。ブリドリッド王国軍35万、神聖イムル教国軍3万、トリオン公国軍28万、サード王国軍45万、計111万が動員された。
全軍合わせてもロンバルト帝国軍に遠く及ばない総兵力に、連合国の軍民全てに動揺と不安が蔓延していた。
トリオン城塞ブルーダム 北塔 ー 夜半 ー
サード国王 ホスロウ二世とブリドリッド国王リチャード・マーク・セイレスが語りあっていた。
「サード国王陛下…」
「何だ何だ、仰々しい。わしとお主の中ではないか。今は誰もおらぬ。ホスロウと呼ぶがいい。わしもお主のことをリチャードと勝手に呼ばせてもらう。ならば良いだろう。」
ホスロウは酒を片手にして上機嫌であった。開戦は恐らく明日の夜明けと予想されていた。何故ならば既にロンバルト帝国軍の陣容が明確になっており、今日になって活発な動きが急速に高まっていたためである。
開戦の使者はこない。
それはお定まりのことであるが100万人を超える大軍は、この150年間で三度目となる。
まさに大戦である。
そのため、明らかすぎる戦闘態勢のため、さすがに今回は古式にのっとり使者がやってくるだろう、とサートリオン軍の幹部たちの誰もが思っていたのだった。
だが、その様子は一向になく、そのことが底知れない帝国軍の思惑に感じられて仕方がなかった。
「ではホスロウ王、なぜ、そのように陽気なのだ?」
リチャードは真顔に聞いた。
ホスロウは笑みを浮かべていった。
「何、単純なことよ。先ずはあの大軍をして、恐怖せぬもの、不安に思わぬものは誰もおるまい。とするならばだ。将兵は動揺しきり浮き足立つものだ。だとしたなら国王たるもの悠然としておらねばな。」
そう言うと、手に持っている大きな杯に入っている酒をゴクゴクと一気に飲み干した。
「ふー、この果実酒は濃いな。トリオン産だがいけるわい。わが王国の三本の酒造家に並んでも見劣りせん。どこの酒造家が作っておるのだろうな?」
「トリオンならどこも同じだ。国自体が商家だ。強いて言うなら、王家認可の酒家か豪商メディティ家のどちらか、といったところか。それよりも、少々飲み過ぎているように見受けるが・・・。」
リチャードの話を他所に、ホスロウは次の果実酒の瓶の蓋をあけていた。
すでに5本目であった。
「お主は逆に生真面目だな。一杯やらんのか?」
リチャードは手で断りを入れ、部下たちとともに勝利の美酒をと約束しているのでなと笑顔で言った。
「そうか、それは致し方ないな。まあ心配無用だ、この程度は嗜む程度酔ったうちになど入らぬよ。わしが出来上がっているように見えるのはリチャード、お主に会えたことだ。待望の御子が誕生したと聞いたのでな。男か?女か?どっちだ?」
「ああ男だ、元気な男児だ。」
リチャードは照れたようにいった。
「そうか男児か!では、エレーナ王妃は息災か?」
「ああ、息災だ。毎日、和子に翻弄されてはいるが。」
そういいながらリチャードは、エレーナがフォーマルハウトをあやしている微笑ましい光景を脳裏に描いていた。
「ウハハハハ!それは至極上々、結構、大いに結構なことだ。男児で嫡子といえば生まれながらにそうでなくてはな。腕白ぐらいでちょうどよいのだ。世継ぎもでき、これでブリドリッド王家は安泰だ!ブリドリッド王国が安泰ならば、サートリオン全体も安泰だ。万事がめでたい。我が愚息レイモンドと良い友人関係になってほしいものだ。ウハハハハ!」
陽気に笑っているホスロウは、急に真剣な表情になった。
「だが…先ほどの軍議のことだが、お主はどう思う?」
「どうとは?」
リチャードも慎重に答えた。
「いや、そう警戒するでない。イムルの時代遅れの神官どものいうことは、いつものことだ。もともと狂信的な部分もあるため、サードとしては、必要以上にあまり親交を温めないことにしている。」
リチャードは、先ほどの大軍議での大祭主の芝居がかった態度を思い出した。ホスロウは続けた。
「和平の講和をまずはすべきなど、現実がまるでわかっておらん。わざわざ話し合いをしにロンバルトから危険な暗黒地帯を抜け、130万の大軍を率いてくるわけがなかろう。講和の話し合いの前に、こちらの使者の無意味な犠牲を生むだけだ。理屈だけで国が守れるなら、そんなに平和なことはない。ロンバルト兵に、その首すじに切っ先が突きつけられても同じことが言えるなら、ならば自ら大祭主が率先して使者となって行くがいい。」
ホスロウは廊下にまで響くように声高に言った。
リチャードがなだめるようにいった。
「いや、使者はすでに出したらしい。」
「何?」
「講和の使者を出したといったのだ。」
「何だと?いつのことだ。」
「もう幾日も前のことだという。」
「大軍議のときにそのような話はひとつもなかったではないか?お主はどこでそれを?」
「大軍議の直前にトリオンの宰相から聞いた…ホスロウ王にも話していることだ、と今の今まで勝手に思っていた。だが使者団は、一向に帰還する気配がないとも付け加えて聞いたが。報告せず、すまなかった。」
「いや、それは大した話ではない。気にするでない。ただ宰相か?あの男か…わしに言わない、ということは何か後ろめたいことでもあるのか?イムルとトリオンで何か策謀があるのか…」
ホスロウは渋い顔をあからさまにした。
「だがイムルも何故そのようにこだわる。なんの意図がある。そして、もうひとつ腑に落ちぬのがトリオンだ。商業の国トリオンはすぐに利益利益という。戦となれば交易がままならず、その上、主戦場はここトリオンだ。反対こそあってよいものだが…今回は、何というかな…、まるで戦になることのほうを喜んでいるようにみえて仕方ないわい。」
リチャードは一旦腕ぐみしてからいった。
「明媚で温厚なトリオン公が血生臭い戦利を得ようなどとても考えられぬ。いかに病床にあって気弱になられたとしてもそのように短絡にお考えにはならぬお方だ。」
「そこよリチャード!トリオン公はもう御年だ。今回の戦場にもお越しになることはできぬ。嫡子もおらぬ。それゆえ彼奴がきたのよ。その彼奴がどうにもうさんくさい。」
リチャードは先ほどの大軍議を思い出した。
「早いな、さすがブリドリッド国王。」
トリオン城塞ブルーダムの大軍議の間に今はブリドリッド国王とその配下の将と文官と合わせて8名、サード国王と将と文官15名が集結していた。
家臣たちはそれぞれが、それぞれの国の塊に居並び整列している。
サード国王は、入室後すぐにリチャードへと声をかけたのだ。
リチャードは振り返った。そこには漆黒で豪壮な鎧をまとった大男サード国王ホスロウが立っていた。
リチャードが一礼すると、ホスロウはよいよい5年ぶりだな、と笑顔で手を振った。
ホスロウは、齢六十歳を超えるが年齢を全く感じさせない、はつらつとしていて頑強な肉体の持ち主で、戦となれば必ず陣頭指揮にたつ勇猛さをもっている。
だが普段は一転して常に陽気で社交的な態度、一国民にも気さくにも声をかける人格の持ち主である。
老若男女分け隔てのない、その姿勢から圧倒的に家臣だけでなく国民全体から慕われていた。
「わしが一番手と思うていたが初陣をとられてしまったな。さすがは疾風迅雷のブリンガーペガサスを率いるブリドリッド王だ。ワハハハハ大いに結構。」
と大きく両腕を広げた。
対してリチャード・マーク・セイレスは齢三十代後半で、精悍な顔立ちで美しく、均整のとれた体躯である。
従来ブリドリッド王族は美形で、知勇兼備の一族である。
リチャードの特徴としては、髪が炎のように逆立った青黒い髪であることと、ペガサスのトップライダーとしても随一の乗り手である。
戦場においては、その勇猛で華麗な戦いぶりを形容して獅子王の字で、サートリオン中で揶揄され多くの騎士から尊敬を集めていた。
その時、大軍議の間に1人の男が入室してきた。
目つきの鋭い男だった。
ホスロウとリチャードの双方が同時に押し黙った 。
男は2人に近づき一礼した。
「貴公は?」
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたしはトリオン公国宰相でダルク・メルドマンでございます。」
ホスロウが尋ねると男は淡々と形式的にいった。
そして人を値踏みするような目と薄暗い話し方で、口元だけが作り笑いをたたえていた。
それがホスロウにまず悪印象を与えた。
「宰相よ、大儀である。以前の宰相殿は確か…」
ホスロウがいうとサード国務大臣ワイスウェルが「5年前まではアスレー宰相でした。」とすぐさま間を取り持った。
「そうだアスレー殿だ。して、アスレー殿はどうなされたのだ?」
ダルクは、おずおずとサード国王とブリドリッド国王の顔を見渡して反応を伺うように説明した。
「国の恥ではございますが、アスレーは今、獄の中におります。」
「何と?」
その場のものたち全てが驚き、ざわついた。
「トリオンで何事かあったというのか?」
今度はリチャードが質問した。
ダルクは少しせせら笑いをしたように感じた。
「はい、わが主君トリオン・ド・パルマーニは皆様ご存知のことと思いますが、長く病の床にありこの度の戦に参じることも叶いませぬ。それと同様、以前からこの状況が国内の大きな課題となっておりました。つまりは必然的に権力は、宰相の手に集中される状況でした。アスレーは王の不在を良い事にして、王の側近重臣をないがしろにして、政で専横の限りをつくしました。高級官吏もそれを真似て賄賂をとりはじめ、あの豪商メディティ家のような生活をはじめました。逆らうものには極刑もじさぬ。そんな恐怖に国は支配されておりました。わたしもその弾圧されたものの1人でした。ですが…聡明なるわが王は、それを察しわたしに対して、新たに宰相を、と下知を下し、アスレーとその一派を一気に更迭一掃し、このほど獄へと送りました。」
ダルクは一気にまくしたてた。
気持ちが高揚し顔が紅潮していた。悦にいった様子が見てとれた。
ホスロウはおよそこの政変が起こる前に、当のアスレーから内通があり、この経緯を事前につかんでいた。
だが、いまダルクが話した事実はそれとはまるで逆であった。どちらを信じるかわからないが、どちらにしてもその疑惑の人物がトリオン国軍を握っていることにホスロウは不安を感じていた。
「それで?トリオンは戦ができる状態なのか?いざ開戦して将兵がカカシでは、我等の命がいくつあっても足らぬ。そうは思わぬか、セイレス王よ。」
ホスロウから促されたが、リチャードは口を開かなかった。
開戦は明日に控えており、いかようにもし難い状況であったからだ。
「ご心配ありませぬサード陛下。トリオンの精鋭たち、指揮系統は健在、我が28万軍とブルーダム城塞はすでに万全です!」
「28万だと? ブリドリッドとサードの国軍は、すべて正規軍だが、トリオンの正規兵は8万程度だ。その他は先ごろ徴兵した民衆たちではないか。数の上ですでに我が連合はロンバルトに最初から劣っている。その上トリオンもイムルも戦力にならぬでは戦になるものか。」
「サード国王、地の利は我等にあり。ブルーダムを中心に陣形を整え、わがブリンガーとサードの虎の子のフィオナ騎士団を中心とした戦術をめぐらせれば善戦は間違いない。長期戦に持ち込めば、相手は出征兵だ。兵士の疲労もたまり、兵糧がつきれば退陣にもちこめるはずだ。」
リチャードが荒ぶるサード国王をやわらげた。
「サード陛下…ブリドリッド陛下のお言葉どおり、何を恐れることがありましょうや?いかに大軍を率いてこのサートリオンに進撃しようとも、決して我らが敗れることはありますまい。」
二人に割って入るようにダルクが皮肉めいていった。
冷めかけたホスロウの熱情に再び油を注いだ。
もともと皮肉めいて陰湿な話し方が、周囲の人間を逆なでしやすい気質をダルクは備えていた。
さらにダルクの国王気取りの尊大な態度が、いまは拍車をかけホスロウは抑えきれなくさせた。
いかに他国であったとしても身分は王位と宰相でありそこには階層の開きがあった。
さらに軍事力は決定的に異なり、こと戦となればサードは連合第1の戦力を保有しており、その王の考えを無視しては、サートリオン連合軍は成り立つものではないからだ。
「なぜそう言い切れるのだ?何を根拠に断言できる!他国とはいえ、今は戦時中。妄言を吐くのであれば、将兵を惑わすものとして事と次第によっては処断するぞ!」
ホスロウが声をあらげると、配下の将兵たちが一斉に自らの剣の柄に手をかけた。
本当にダルクを切る気はないが、主君の威勢を押す臨機の行動である。
リチャードには、すぐにそのことはわかったがトリオンの配下はそれを察しきれず、呼応して殺気を持って応戦の構えをとった。
「やめよ!何を血迷う、この痴れ者たちが!」
ダルクはトリオン将兵をすぐに一喝した。
「申し訳ございませぬサード陛下。そしてサードの将師の方々よ。わたしの言葉が足りないと存ずる。開戦の前に相争うは敵に利するだけであろう。どうかおさめられますよ。」
ダルクの申し出に、ホスロウが一息をついて、将たちに合図を送ると、全員が再び起立直立した。
「さすがは名だたるサードのフィオナ騎士団。素晴らしい統率ですな。それに引き換え、ただの威圧と殺気の区別もつかんとは愚か者どもめ。トリオン騎士団の恥知らずが!」
ダルクはトリオンの騎士たちを侮蔑、罵った。
それが数十回続いた時、リチャードが遮るようにいった。
「ダルク宰相、先ほどの自信はいずれの理由によってか?」
「それは…」
ダルクが話そうとした矢先、広間の扉が大きく開いた。
全員が一斉に注視した。そこには、杖をついた老人とローブをまとった従者たちが居並んでいた。
「これはこれは、、、イムル大祭主様。お待ちしておりました。これで四国がそろいましたな。それでは大軍議を始めましょう。おっと、大祭主様お耳を。」
ダルクが少し耳打ちすると、老いた老人の鋭い眼が光っているように見え、その後一度大きくうなづいた。
そして唐突に、何かの力をもっているかのように大きくゆっくりと、大祭主は宣言した。
「こたびの戦は負けるが定めと神託に出ておる。」
広間がざわついた。
「だが、マルドゥク、、、竜の炎を使えば勝利に変わる!マルドゥク、マルドゥクを使うのじゃ!」
決戦は明日であった。