1-2 竜騎士
竜騎士と思しきその男は、南の城壁に立っていた。黒い影が城の上空を行き来している。
男はそれに、少し驚いた様子だった。
…いや、奴なわけがない。何を恐れる。奴は、地上のことなどに関心を持たぬはずだ…
男は、もう一度黒い影の形を確かめた。
…ふっ、あれはやはりリンドブルムではないか…
言いながら、男は少し自嘲気味に笑った。
「それにしても、リンドはよく働く。この都市を壊滅しつくすまでは到底おさまらない、そんな勢いがある。」
言いながら男は、燃える城下の森へと視線を投げた。
先ほどよりさらに炎上し広がっていた。
「獅子王リチャードの軍に、この状況もいずれ伝わっていくことだろう。子どもの命とこの王城、王都の崩壊。これ程のことを、一度に突きつけられては、いかに勇猛な機動力で名高い、あの騎馬隊をもつブリドリッド軍といえども、まともな戦をすることなど到底できまい。つまりは、いかに四国の連合とて片翼が折れては敗北も必死。これで我が契約が完了したも同然だ…フハハハハ。」
すべての方位から風が逆巻き、吹き荒れていた。ときおりドラゴンリンドブルムの咆哮がいりまじる 。風と風の隙間から巨大な影が、この城へと落ちていた。
「そこのもの動くな!!!」
緑の竜騎士を、クレイトンと近衛兵30数名が取り囲んだ。
「第二衛士長!この不審のものをとらえよ!」
「はっ! 全員、抜刀ーーーーーーー!!かかれ!!!」
一斉に衛士たちが剣を抜き、竜騎士より先駆け数名単位で切り掛かった。
ガキッと鈍い金属音がした。
次の瞬間、屈強な衛士たちの剣と鎧が粉々にうち砕かれ、そしてまるで紙屑のように空中へと舞い上がり、
1スタディオンはあろう高い城壁の外へと放り出され次々と落下していった。
「何!?」
この一瞬の衝撃的な出来事に後続の衛士たちは思わず後ずさった。何しろ竜騎士は、まったくその場から動いてない。指一つとして、そのまま微動だにしていないのだ。その底の見えない力を、その場にいる誰もが不気味に感じとった。
だがひとり、衛士長は我へと返り、
「ひるむな突撃せよ!波状破軍の陣!」
と叫んだ。
この陣は数名単位の一点集中攻撃を連続で行うブリドリッド騎士団が編み出した集団的近接戦法のことである。
厳しい訓練により精錬した剣技の幾つもの刃が、この不気味な賊へと届いた。
仕留めた、と衛士の誰もが思った。
誰が見ても素晴らしい連携の早業であった。
だがその刹那・・・
全ての衛士が、膝から崩れ落ちた。
そして時間差で、何百年と朽ちることなく厳しい風雪にも耐え続けた頑強な城壁の一部も同時に数カ所崩れさった。
崩れた城壁の幾つもの瓦礫は、さらに飛散して弾け飛び勢いが増して、次々と残った衛士とクレイトンへと直撃した。
それは、竜騎士が繰り出した目には見えない何かの、その破壊の衝撃の強さを物語っていた。
クレイトンは、右肩に城壁の破片が突き刺さり骨が折れ、その場へとうずくまってしまった。
クレイトン様ーーーー!
10ステップ先から声をかけたのは、ベルラインだった。
彼女は竜騎士の去った半刻をして、やっと自分を取り戻すことができた。周りで息のある他の侍女たちを正気へと戻した。そして、すぐに担架を探し当て、眠ったように意識のない王妃を侍女たちと共に丁寧に乗せ、激しい炎と煙を避けて、やっとここまで出てきたところであった。
ベルラインは、優れた洞察力で状況をみてとった 。
城下の森は炎に包まれ、それらの炎はさらに、この大風によってまるで炎のドラゴン、伝説の邪竜ドラコーンのようにのたうち回っていた。
そして竜騎士との戦闘の結果と一目でわかる城壁の一部が破壊され、衛士たちが無惨にも打ち倒されていた。
「クレイトン様!」
再度、クレイトンに呼びかけ、王家のものの秘技である口唇術を使った。
ー その男は竜騎士です、殿下が人質に ー
ーなんと竜騎士とは?それに王子殿下も。エレーナさまはご無事か?ー
ーご健在ですー
「ならば、任せよ。」
クレイトンは、一声漏らすと鋭い目を凝らし、竜騎士の片手にもった布のくるみが王子であると悟った。
そのために竜騎士は剣を使わなかったのだ。何かを決し、彼は渾身の力で立ち上がった。
そしておずおずといった。
「いずこかの国の竜騎士様とお見受けいたす。そうと知らず我らが不敬の罪、なにとぞお許しを聖母竜ティアマトの名において我がブリドリッドの門をたった今より開きましょうぞ。」
クレイトンが神妙にして呼びかけると、竜騎士はこの城に入って初めて自ら会話に及んだ。
「ほう、ここまで暴虐を尽くした我を歓迎するとな?聖母竜の名による竜騎士が掟か?」
男は腕にはめている黄金のティアリングをさすった。
「その名が出れば、我が力封じたと思うたか人間よ。」
その男は竜騎士と認め、さらにクレイトンを鋭く睨みつけた。
まあよいわ・・・
空の影をしばらく見上げ、そして言った。
「しばしのときの間、言葉を交わすことを許そう。ここですべき事はもう終わった、後は待つだけだ。」
竜騎士の掟とは、すべてのドラゴンの産みの源流、聖母竜ティアマトから端を発する。
ティアマトが、太古に定めし竜の戒律より、さらに人界で派生した不文律の掟、それが竜騎士の掟であった。竜騎士の力の源であるティアリングは、元を正せば竜の戒律に支配されている。
「ありがたき幸せ!」
クレイトンはおずおずと言った。
「その掟に従い、ブリドリッド王家の一族としてお伺いいたします。あなた様の高貴なる御名を教えてはいただけまいか?また、我らが居城と森を燃やし尽くしたのは竜の騎士様でございましょうか?」
「我が名はレグルス。城に火を放ったのは我ではない。」
レグルスは躊躇なく答えた。竜騎士の掟では、人間界の王族に連なる者に嘘をついてはいけないことが定めとされている。
「おおレグルス卿、、、レグルス卿よ。竜騎士は、地上最強の生物ドラゴンを使役しうる唯一強力無比の存在。その力絶大で、貴方方は人の身であるもすでに人にあらず、神に近しい至高の方。それ故、古の大戦1000年戦争の末期、天の御柱のもと、すべての人の王族と知恵あるドラゴンたちが集結し平和の約定が交わされた。ドラゴンを、竜騎士を人の争いに用いず。それが、この世の大原則、理になったはず・・恐れながらレグルス卿におかれましては、この理に外れる行為はよもやありますまいな?」
そう問い正すとクレイトンは、負傷により立っていられなくなり倒れそうになった。
しかし、ベルラインがいつの間にかそばにおり倒れるのを防いでくれた。
レグルスは一転して無言になった。
竜騎士はドラゴンを操る。
そのドラゴンは、一定の領土、いわゆる竜の結界を作り、その範囲の中で生涯を過ごす生命体である。それが、聖母竜ティアマトが定めたドラゴンに対する戒律のひとつであった。
戒律と言っても言葉ではなく、生まれながらにその身に刻まれた遺伝子のことで、それ故に、ドラゴンが、自らの意思によって、結界の外に出ることは絶対にできない。
また、この世界においては、竜の結界の範囲を基準にして人の国境が生まれ、国々が成立していることが多かった。
天の御柱の約定では、この世の不戦の証として竜騎士は、ドラゴンの統べる結界以外から出てはならない、
という、竜騎士の掟が定められた。
しかし、竜騎士が、自らその掟を破ったならば、その竜騎士が使役しているドラゴンは、その命令に逆らうことはできないためドラゴンは結界から出ることに抵抗はなくなる。
レグルスがここにいる、ということは、既に竜騎士の掟を破約しているに他ならなかった。
「レグルス卿は風を操るのか?ならば城内の大火事。 あれは風の魔力だけではなく、もしやレムドでございましょうか?」
「そうだ。」
嘘をつくことはできないが、沈黙により回答しないことは自由であった。
竜騎士レグルスは、明らかに言葉を選んでいることがクレイトンとベルラインにはわかった。
「レムド?まさかあの?」
ベルラインの血の気が一気にひいた。
レムドとは、レムの樹の実から抽出し、錬金の技によって高燃焼性の爆発物に精製したものである。この世界において、ドラゴンでさえも恐れおののく最恐の爆弾、のことである。
レムドは、その大きさに破壊力が比例するものだが、わずかな欠片であっても、ひとたび爆発したのなら、
炎は炎を生み出すように際限なく燃え盛り、やがて巨大な灼熱の業火となって、広大な面積を7日7晩燃やしつくす、といわれているものだった。
これが城ならば城ひとつ、町ならば大部分を焼き尽くす破壊力を持っている。
「レムドとは、この世にあってはならぬ禁忌の代物。国同士が互いにこれを持ち出し戦に使えば、生きとし生けるものは何ものもおらぬ死の世界となるだけ。天の御柱の約定でこれも禁じられた。ドラゴンとレムドの禁忌を持ち出し、そして王子殿下までもかどわかすとは、、、リチャード陛下の不在を狙いすましたこの所業は、もしやと思うたが、敵の王家と何らかの取り引きを行なったか。ならば、いずこかの国の仕業かわかったわ!!!」
それはすなわち、ブリドリッド王国とサートリオン連合が現在争う敵国北の大帝国ロンバルトに他ならなかった。
「ならばどうする?」
レグルスは、これに動じなかった。
それを見て、クレイトンは静かに呪言を唱え始めた。
「クレイトン様が知らない国の言葉を、、、何語なの?」
「何? 貴様、まさかそれはティアマトの呪?馬鹿な、そんな伝説など実際あり得ぬ。」
顔は甲冑により見ることはできないが、明らかに竜騎士の狼狽している様子がベルラインにはわかった。
そしてクレイトンの呪言が進むにつれて、レグルスの何かが弱まっていくようにも感じられた。
天の御柱の約定とは、およそ2000年以上前のもの。人びとは、ベルラインのように伝説として知っていても、その事実があるかどうか信じているものは、ほぼいない時代であった。その逆に、竜騎士であっても、元は人間、その全てを信じていない事は決して例外ではない。
「死ね!」
焦りを覚えたレグルスは、追い詰めらたネズミのように
逃げ場をもとめて、攻撃に出る他なかった。
ドラゴンよりティアリングを媒介にして、竜の力を転移し!そして風の魔力として発動する。それが疾風の正体である。悪意をはらんだ緑光の風の刃が唸った。
疾風の刃が、クレイトンと傍にいるベルラインを襲った。ベルラインが絶命を覚悟し、クレイトンだけは守らねばと、自らの身体を盾とした。
強い風圧に目を固く閉じたが、彼女の眼前で風の魔力は二人に届く前に光となって消失した。
そして一陣の風が、2人の周りを通り過ぎていった。
クレイトン様!
ベルラインが振り返ると、クレイトンは呪を一心に唱え続けていた。
ーこれは魔力を抑える呪文なのですねー
ベルラインは理解した。
「馬鹿な!このようなことはあり得ぬ! 」
レグルスは再び風の魔力を撃ち放った。結果は同じ、いや、さらに風の力は弱まっていた。レグルスは、自身のティアリングを確かめた。黄金でできたそれは、すでに色あせており、錆びた鉄のように今は色艶もなかった。
「な、何だと???」
クレイトンはいった。
「古より各国の王族のみに授けられし呪言ぞ。我はクレイトン・サライール、セイレス王家一族にして神官の門の最高位なり。よもや古より伝わりし口伝の、このティアマトの呪言を我が代で用いようとは思わなんだ。我ながらも驚いている、まさかこれほどの力とはな。聖母竜様、感謝いたしますぞ。」
クレイトンは、少女の頃のようにベルラインの頭を優しくなでてから、そして彼女を下がらせた。
「竜騎士の源、リングの力確かに抑えた!これで貴公は一介のひとと同じ。
殿下を我らに返し、全容をすべて語り、約定に回帰して己が領土へと立ち戻り、二度と人の争いに介入しないならばこれを解呪せん。いかに!」
レグルスはまるで大理石の彫刻のように動かなかった。