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イシュリアの髪に櫛を通すウィルは、少し嬉しそうだ。
「いいですか?イシュリア様。わたくしは城内に入れば、イシュリア様をアリュシア様とお呼びいたします。けれどもそれは、皆の目を誤魔化すわけで、決してイシュリア様がアリュシア様のお姿だからと、わたくしが間違えて申しているわけではありませんよ」
要領を得ないウィルの紡ぐ言葉を聞きながら、イシュリアは考える。魔物が跋扈するこの世界の中で、人の住める場所は少ない。とくにこの国の北側には脅威が多い。そのため三人の卿が力を誇示し、目を光らせていた。
北東にはアリュシアが統治するネイサン領。北西にエレ領があり、北南にバオ領がある。
北の三統治分以上の大きさを誇るのが、その他の領地だ。東にオイットー領、西にバハ領、南にはトゥトゥ領。六つの領地の中心に、マキャドゥル領がある。卿達は各個に象徴的な色を持ち、その名が字となっていた。赤のネイサン、黒のエレ、紫のバオ、緑のオイットー、黄のバハ、青のトゥトゥ。そして、白のマキャドゥル。
イシュリアはこれから会う卿達のことを考え、その特徴を思い出そうとしていた。
二年前にアリュシアが卿の階級を与えられた時、イシュリアも城に招かれている。イシュリアがマキャドゥル領内に入ったのはその時が初めてで、それきりだ。
(多分あの時、五人の卿もいたはずだ。どの卿がどの領地の統治者なのか、僕は顔を見て判断できるだろうか?)
イシュリアは不安のまま、思いを巡らせる。レイソン王の顔ですら、朧気でしか覚えていない。
(無理だ。なら、せめてボロを出さないようにしなくては・・・)
イシュリアの思考は続く。
「よし、出来た」
イシュリアの髪を整え終えたウィルが、満足そうに鏡の前で手を叩いた。
「さあ、次はお着替えですよ。イシュリア様」
「えっ?あっ、はい」
イシュリアは漫然としたまま、そう返事をした。ウィルはイシュリアの上着を手慣れた様子で「えいっ!」と剥ぎ取る。鏡にアリュシアの裸体が映り、イシュリアは覚醒する。
「わーっ!」
イシュリアは慌てて顔を覆った。
「イシュリア様!ちょっと!動かないで下さい‼」
ウィルが迷惑そうにその手を払う。
「ギャーッ!」
「ちょっと!イシュリア様‼」
どたばたとした果て、イシュリアの着替えはなんとか終えた。真新しい衣装を身に纏ったアリュシアが、鏡の前には映っている。白い艶やかな肌が肩から覗き、美しい二の腕を晒す。もちもちとした太腿が、ふくらはぎまで露出している。密度の低いその装束に、イシュリアは戸惑いながらも納得する。
(いつもの、姉さまだ)
けれど、その身は余りにも無防備だ。ウィルがイシュリアの肩に新品のローブをかけ、嬉しそうに微笑む。
「完璧です」
「うん。だけれども・・・」
「?」
「いつも、こんなのなの?」
「そうですけど。何か気になりますか?」
「気になるよ!」
魔導士は魔法師に劣る。力のそれではない。魔法師が精霊の力を駆使するのに必要なことは、祈り、願うことだ。一方、魔導士は魔導書の力を具現化する。その為には書庫を開き、魔導書を取り出し、詠唱しなければならない。敵を前にして剣を振るうのが魔法師なら、道具箱の中にある剣を取り出す所から、魔導士は初めている。
その速さが、圧倒的に違う。
だから様々な防具。魔具や聖具などを駆使し、魔導士は備えるのだ。けれども、それがない。守る手立てのないアリュシアの姿が、鏡には映っている。魔導士として一歩踏み出したばかりの、その基本を知るイシュリアは腑に落ちない。
「あっ、そうだ!忘れていました」
笑顔でウィルは、短い杖をイシュリアに手渡した。
「これで、今度こそ完璧です」
杖の先端についた赤石が、キラキラと輝いている。
(そういえば。いつも姉さまは、これを腰にぶら下げていたな)
イシュリアはじっとその短い杖を見つめる。しかし、杖に魔力は感じ取れない。杖を睨んだイシュリアは、自身に沸き起こる疑念をウィルへぶつけざるを得ない。
「なんで姉さまは、この短い杖を使っているの?」
「んー」とウィルは考え、答える。
「なんでも、凄く硬いらしくて。強く振るっても壊れないので、アリュシア様はお気に召しておられました」
「はあ?」
イシュリアは、硬い棒きれ一本を手に持つ魔導卿のアリュシアを鏡に見ている。その有り得ない姿に、イシュリアは困惑したままでいる。