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柔らかい風が頬にそよぎ、イシュリアは目覚める。
「おはよう、イシュリア」
イシュリアは瞼をこすり、声の主へと視線を向けた。
「どう?身体に変な感じはない?」
イシュリアは自身を心配そうに見つめる、金髪の少年に驚愕する。
「わっ!」
思わず立ち上がったイシュリアは、いつもと違うその視線の高さに慌てる。室内を一瞥した彼は、屋敷の惨状に目を丸くした。室内にあるはずの屋根がない。焼け落ち、炭と化した残骸があちらこちらに転がっていた。青空が眼前には広がり、心地よい春風が吹いている。ヤミ、ユカ、ヨルの三人が、テキパキと残骸と化した家具を片付けていた。唖然とそんな室内を見渡した、イシュリアの思考は固まっている。病床に沈んでいたはずの彼が、なぜ立ち上がれたのかさえ疑問を持てない。それほどイシュリアは混乱していた。にこやかに、そんなイシュリアを見つめるウィルが手を叩いた。
「流石はアリュシア様です。魔導書の力は完璧に作用しております」
「しかし、無茶が過ぎます。アリュシア様」
深い眉間のしわをさらに刻み込みながら、エガリリはやれやれとイシュリアを見ている。思考が止まったままのイシュリアは、ただ茫然と立ち尽くしていた。従士達の会話が理解できないのだ。そんなイシュリアに、少年が声をかける。
「こっちに来なさい、イシュリア」
驚きのまま、イシュリアは寝具の上で手招きする少年を見た。
(ぼっ、僕だ!)
金髪の少年イシュリアが、イシュリアに手招きをしている。
(あれ?じゃあ、僕は?)
イシュリアは慌てて自身の身体を確認した。長い指、整った爪。柔らかく絹のような肌。くびれた腰の先まで伸びた隻髪が風に揺れ、イシュリアの鼻先を駆けていく。たわわな胸のふくらみに触れ、その弾む感覚にイシュリアは恐怖を覚える。
「これは、いったい・・・」
「いいから来なさい」
少年の発する言葉に困惑したままのイシュリアは、しかし従う。いつもの姉の言葉だ。イシュリアには逆らえない。少年はコツンとイシュリアの額に、自身の額をあてた。少年はまじまじとイシュリアの顔を覗き込んでいる。
「あはっ!瞳はイシュリアなのね」
金色の瞳を見つけ、燃えるような赤い瞳の少年は嬉しそうに笑った。イシュリアは、その瞳に姉の面影を見る。
「・・・姉さま?」
「そうよ、イシュリア。お姉ちゃんよ」
アリュシアは、笑顔でイシュリアにそう告げた。
「ええっー‼」
イシュリアは驚愕の中にいる。狼狽し、困惑し、混乱し、錯乱する。しかしイシュリアのその感情の爆発とは裏腹に、動悸が乱れない。
「あれ?」
乱れた精神が、肉体に作用しないのだ。慌ててイシュリアは確認する。静かに力強く一定のリズムで血液を体内に送る、その心臓の鼓動を。イシュリアは驚きのまま、その心拍を感じ取った。心音は凪いている。きっと死を間際にしても、この鼓動は乱れない。確信に似た何かを、イシュリアは己の肉体に知覚している。
「それが、アリュシアよ」
不敵に微笑むアリュシアには、イシュリアが何を確認しているのかがわかっている。
「けれども、イシュリア」
アリュシアが嬉しそうにイシュリアに言った。
「エッチね」
「は?」
「最低です。イシュリア様」
ウィルがプイっと首を横に振る。エガリリは大きなため息をついている。
「・・・」
なにがなんだか解らないイシュリアは、ゆっくりと自身の行った行為を見返した。鼓動を確認するために触れた胸が、ぽよぽよと弾ける。
「違うっ、これは!」
慌てふためくイシュリアを、アリュシアは笑う。
「いいのよ、別に」
イシュリアになったアリュシアが、アリュシアになったイシュリアに告げる。
「イシュリア。今日からは、その身体を使いなさい」
「ええっー‼」
イシュリアの叫びは、青空へとこだました。