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身体は燃えるように熱く、そして凍えきっていた。
息を吸えば灼熱の風が肺を焼き、吐く息はすべての体温を奪ってゆく。二週間前に発症したこの熱病は、ついに少年を死の瀬戸際にまで追い込んでいた。
イシュリア=ネイサン。
病床に沈む彼の名を、このマキャドゥル王国で知らない者はいないだろう。イシュリアはあの、魔導卿の弟なのだ。
魔導卿アリュシア=ネイサン。
称賛と侮蔑をその身の浴び、横行闊歩する混沌の魔女。美しい容姿とは裏腹な、その強烈な個性が人々を混乱させる。奔放な彼女は、マキャドゥル王国の六卿の一人である。アリュシア=ネイサンを、この国で知らぬ者はいない。
しかしアリュシアは今、イシュリアの元を離れていた。弟が発病した晩に、姉はなにかを感じ取ったのであろうか。アリュシアは一人、屋敷を飛び出してしまった。それから二週間、なんの音沙汰もない。主を失った従士達は、しかし献身的にイシュリアへ尽くしていた。
(それも、今宵までか・・・)
灰色の髪を束ねた男、エガリリがそう覚悟する。先ほどからイシュリアに治療の法をかけていた、女性がぐったりと息をついたのだ。彼女はこの屋敷の執事であるエガリリに顔を向け、首を振った。
女性の名は、ウィル=エレ。美しい褐色の肌が陰る。
ウィルは六卿の一人、カシア=エレの腹違いの妹である。そして彼女は、この国でも指折りの魔法師だ。エレ家の次女が、何故アリュシアの従者であるのかエガリリは知らない。しかし風の精霊たちを招き、束ね、操る、ウィルの実力は知っていた。
(やはり、無理か・・・)
ウィルが治癒の法を以てしても、施せないほどの熱病。エガリリはため息をつき、窓に映る月を見上げた。諦めてはいけない。しかし、打つ手もない。
エガリリには愛というものが理解できない。アリュシアは文字通り、イシュリアを溺愛している。目に余るほどの勢いで、魔道卿は弟に愛情を捧げていた。それはエガリリを辟易とさせる原因でもある。しかし仮に今。イシュリアが命を落とせば、アリュシアはどうなってしまうだろうか。弟に固執する、姉の想いの強さをエガリリは理解している。日常でさえ天衣無縫な主に、執事は振り回されていた。
大切なものを失ってしまった後の、あの魔道卿は・・・。
その強大な力の暴走を、エガリリは何よりも恐れている。
(私に止めることができるのか?)
三人の侍女達が心配そうに、そんなエガリリの様子を見守っていた。
ヤミ、ユカ、ヨルの三人の侍女は、エガリリ直轄の配下である。彼女達は何故か主であるアリュシアではなく、その執事へ忠誠を捧げていた。侍女達にとっては、エガリリこそが仕えるべき主なのだ。本来の主であるはずのアリュシアは、何故かそれを容認している。アリュシアと侍女達の不思議な関係を、他の者は知らない。
(覚悟を決めなくてはならない)
エガリリは最悪を考え、拳を握りしめる。鍛え抜かれたその拳が、きゅっと鳴った。
心配そうにウィルが、イシュリアの手を取る。意識のない彼へ、彼女は優しく囁きかけた。
「イシュリア様。もうじきアリュシア様がお帰りになります。どうか、それまでは。ご辛抱ください」
そうだ。従士達は待っている。この館の主であるアリュシアを。静寂の中、イシュリアの乱れた呼吸音がたゆたっている。
イシュリアの死は、目前にまで迫っていた。