03 付与の奇跡
再び何もない空間からコンビニ風のお菓子をポンと取り出し、もりもり食べ始めるモルテの顔を呆然と見つめる。…えっ?なにそれ、どういう事?
「…えっ、何?もしかして、俺、死ぬはずじゃなかったっていう話なの?」
「うん、死ぬはずじゃなかったし、先を見渡せばオスミルクと仲良くやってる未来も見えたんだよ。でも何故か実際には死んでしまって、今はここにいるわけじゃない?それって普通はありえない話でね…ある程度は補正されるけど、どうしたって未来が歪んじゃうから」
オスミルクさんと仲良くやっている未来。そんな未来が有り得たのか。俺のような、どうしようもない人間に、そんな展開が有って良かったのだろうか?
「単刀直入に聞くけど、何で死んだの?変わったことは無かった?」
「何で死んだかって言われると…あの知らない男に背中を滅多刺しにされたっぽいからだとしか言いようがないし、変わった事って言ったらあの知らない男が出てきた事くらいなのだけど…そもそも何故あの男に殺されたのかも良くわからないんだよな…」
わけがわからない事だらけである。こうやってお茶を飲んでいると、俺が死んだこと自体が嘘のようにすら感じてしまう。もしかしたら、今起きていること等も全てが夢なのではないだろうか?
「あの気持ち悪い男は、オスミルクちゃんにずっと付きまとっている、すごくヤバい感じの熱狂的なストーカーでね」
「ああ!女絵師にはびっくりするくらい良くくっついてる、色々とヤバいアレか!」
アレは本当にヤバい。絵師の人はロクに知らない得体のしれない人が、勝手に友人や恋人を自称していたりするのだから。俺にはそこまでヤバいストーカーは付いていなかったが、この絵はカメタネ先生が私のために描いたもの!という主張を勝手にしている知らない人を見てしまったことがある。とてもヤバイ感じがした。
「あの日にカメタネが襲い掛かられる事は予定通りだったみたいなんだけど、殺すような事は無いはずだったの。脅される程度だった筈なのに…」
「いや、なんか俺、あの男にめっちゃ何度も死ね死ね死ね死ね言われて刺されまくったけど…」
「そこがね。偶然とは思えないし、みんなで調査中…だったんだけど。まだなにも分からないうちに、突然、神々や他の天使達の誰とも連絡が付かなくなっちゃったんだよね…」
「えっ…?」
口の中のお菓子をもぐもぐと噛み、ごくんと飲み込んだモルテが、俺の方を見直して言う。
「この空間に呼び出したのは、とりあえず現状を知ってもらって、もしかしたら何か情報を得られないかな…って思ったのが切欠なんだけど…もう私にも本当にわけがわからない状態になっちゃってさ…天界に戻ろうにも扉が開かないし…」
眉を下げて覗かせる金髪碧眼の困り顔を見ながら、俺もお菓子を飲み込んだ。そんな神様たちの謎の事情を俺に言われても困るというか、分かりようがない。俺はこれまでロクな人生を歩んでこなかった、卑しいおっぱい絵描きでしかないのだから。
ところで、神々や天使同士の連絡ってどうやって取るんだろうか?スマホやケータイの類は無さそうだし、部屋を見た感じ電話機やパソコンも無い。なんとなく伝書鳩を使った手紙のやり取りを想像してしまったが、よく考えたら目の前の女性に聞いた方が早いので早速聞いた。
「ああ!それはね、念の力よ!羨ましいでしょ?」
頭に指をつけて、フフン!という顔で俺を見るモルテ。
「モルテの能力が何らかの理由で神に剥奪されたとか、そういうのは無いの?胸がびっくりするくらい大きくて生意気だ!とか…」
「ちょっと待って!?生意気じゃないし!?胸だって普通だよ!?」
顔を真っ赤にして詰め寄ってくるモルテの間近で見る胸は大変大きく弾んでいて、非常に見ごたえがあった。女性の胸を見続けるのは良くない事だと思いながらも、じっくりと観察してしまった。
やはり、大きい乳房は良い。大きな希望が、沢山の夢が詰まっているような気がする。そもそも、俺がおっぱいに感じている気持ちは、劣情とはまた違う何かのような気がしている。もしかしたら信仰心に近いものなのかもしれない。無宗教なので信仰が何なのかとか知らないけど。
「いや、うーん、私がここに隠れ住んでる事や、今までの話から察してるかもしれないけど、私ってコミュ障気味でね…喋るのもあんまり得意じゃないし…説明も下手だし…もしかしたら剥奪も…いや、でも…」
モルテはいつのまにか1人でうんうん悩んでいた。いい機会なので姿を観察すると、背中には小さな翼が生えていて、ぴこぴこ動いている。
コスプレなんかではない。本当に本物の羽根だ。
すごいな。本当に天使なんだ…。天使といえばお約束の、頭の上に光る輪っかがないのが気になるのだが…。よく考えたらこれも目の前の女性に聞いた方が早いだろう。
「あの、全然関係ないんだけど、聞いてもいい?」
「えっ?何?何でもいいよ?」
「天使って、頭の上に光る輪っかが浮いてるイメージがあるんだけど、モルテには無いの?」
「うん?光輪かな?光輪はみんなあるよ?私の頭上を見ればわかるでしょ?薄く光ってる変なのが、ぷかぷか…浮いて…」
頭の上に手を伸ばし、そこにあるはずの輪っかを指し示そうとして、何も無い事に気が付いたモルテの顔から、スウ…と生気が消えていく。頭の上を両手で何度も空振りし、ようやく口を開いた。
「な …い…ね?」
「無いね…」
沈黙が場を支配する。
「…えっ?どうして?どうして?私、何も悪い事してないのに!?」
目を見開いて天に向かって吠えるが、何も起こらない。
「その、あるはずの輪っかってのは、もしかして能力剥奪とかで無くなる物なの?」
「わからない…光輪が無くなるとか聞いた事も無いし、私の天使としての力は今でも普通に使えるみたいだし…試しに使ってみるね。ほいっ!」
モルテの手から放たれた閃光が俺を貫くと、俺の手の上に先ほどとは別のお菓子が入った小袋が出現した。…こ…これは…天使の力だったのか…?確かに便利な気もするが…。便利だとは思うが、天使の力ってもっと、何か…もうちょっと聖なる感じなのでは…?
「ありがとう。いただきます」
「めしあがれ。それも、すごく美味しいんだ…」
袋を開けてひとかけらを口に放り込む。うん…これもコンビニ味。
頭上を弄りながら瞳のハイライトが消えているモルテを再び観察する。良く見るとこの子、若干太り気味だな…お菓子の食いすぎなんじゃなかろうか…?あの立派な胸も脂肪が溜まった結果か…?天使のおっぱいってそもそも何に使うんだろう?もしかして授乳するのだろうか?そういや赤ちゃん天使の描写ってあるもんな…?そんなバチ当たりな事を考えた。
なんだかんだで数日の時が経った。モルテとは色々と会話したが、特には何の変化もなく時間は過ぎていった。
彼女の隠れ家はダラダラと過ごすには快適そのもので、ガスも電気も水道も完備され、テレビが映り、誰が届けているのかわからないのだが牛乳や新聞が届き、日当たりが良く、外からはチュンチュンとスズメの鳴き声がする。スズメの鳴き声ですぞ?
外は薄暗い謎空間だったのに、何故こんな事が?とモルテに聞くと、ここは私の好き勝手に出来る空間なので、好き勝手出来るように作ったのだから、理由とかを聞かれても困るんだよね…との事である。
窓を開けると、割と立派な家庭菜園が目に入る。趣味と実益を兼ねて作っているらしく、作物は大変美味だった。困った事に本当に何にもやる事が無いので、家庭菜園で働いているモルテを描いてみることにした。死んだときの姿のままこの空間にやってきた為、カバンの中にはオスミルクとの会合をする為の様々な道具が入りっぱなしだったので、何も不自由することは無い。
描いてみると解ることが色々とある。
骨格のゆがみ等から推測し、関節のどこそこが痛いのではないだろうか?割と最近まで足を使ったスポーツをやっていたのではないか?等、様々な予測まで立てられる。
普段はこの小さい羽根を使って飛んでるんだろうか?そもそも、飛べるんだろうか、こんな小さい羽根で…?鳥の羽ってもっと大きいよなあ…?航空力学には全く詳しくないが、羽根の形状からモルテが飛ぶ場合のスタイルを思案してみる。こうか?こうか?
「何してんの?…えっ、何これ?もしかして私?私を絵に描いてくれてるの!?」
覗き込んだモルテがびっくりしてスケッチブックをひったくり、まじまじと見つめて興奮した顔になる。少し心配になったが、きもいオタクを嫌悪している顔ではなく、とても嬉しそうな顔で俺の方を向いてきた。普段からキラキラしている目玉が爛々と輝いている。
「えっ?もしかしてカメタネって天才さんなの!?カメタネサンなの!?何これ、めっちゃ絵が上手くない!?上手いっていうか、何だろうこれ、凄い!凄いよこれ?ヒエーッ!?」
「天才じゃないし、一応それでお金を稼ぐ事が出来てただけだよ」
「ちょっとまって、生前の確認してみるね…あ、本当だ、うわぁ…これってすごい事なんだよ…?人に認められて対価を得られるモノづくりってのは、生き物になかなか出来るもんじゃないし…」
そう言うと、何やら考え込みはじめるモルテの顔も描いてみた。絵に描いてみると解る。この女性は非常に整った美しい顔をしている。
ここ数日共に過ごしてみて解った事は、彼女は見た目は良いのだが、中身が微妙というか、残念な感じだという事だ。想像する天使らしい聖なる何かが彼女には欠けているというか、最初からあまり存在していない気がする。見た目は良いのだが、全体的に何故なのか加齢臭を感じるのだ。
動作のあちこちで「どっこいしょ」「よいこらしょ」等の掛け声を上げ、菓子の間食が多く、食事は脂っこいものを好んでいる。夕食時には必ず酒を一緒に飲んでいる。いや、夕食時どころか、普段から割と飲んでいる。気がつくと、鳥の巣のような寝床で酒の匂いを漂わせつつ、いびきをかいて寝ている。おそらく天使としての力は立派に持っているのだろうが…名付けるならば泥酔天使…という気持ちを線に込めて描きあげた。うん、なかなかいい感じの残念さに仕上がったような気がする。
「あっ、また私を描いてる!?…凄いけど、なんだろう?なんでだか残念な感じが…?どうして?凄い上手なのに…何でこんなに残念な…?」
そんなやり取りを行った後、急に真面目な顔になったモルテが言う。
「ねえ、カメタネって…何でも描く事が出来るの?」
「そりゃあ出来るよ。描く事が俺の仕事だもの。そりゃ難しい物とかは時間はかかるかもしれないけど、大抵のものはササッと描けるよ」
描けないものは、想像もできないものくらいだろうか?俺がオスミルクさんと仲良くやっている未来なんていうものは、描けない気がする。そもそも、俺は死んでしまったので、そんな未来はもう実現しないのだが。
モルテが、急に俺の手を取る。中身が微妙とは言え外観はかなり良いというか、はっきり言ってしまうと俺の好みの外国人そのものなモルテの手のぬくもりに、思わず胸が高鳴ってしまいそうになるが、モルテの表情から、割と真剣な気持ちで何かしようとしている事が分かり、わりと反省した。
真剣な顔で宣言するモルテ。
「決めました。天使の能力を使います」
「一体、何をするつもりだ…!?」
ゴクリとつばを飲み込んで、返答を待つ。
「私にとっては最強の大技…『付与の奇跡』で、特殊な能力を授けます」
言い終わる間もなくモルテの全身が強く発光し、奇妙な文様が溢れ出して、掌を経由して俺の中に入ってくる。こ、これは一体…?何か途方もないことが起きるのでは…?漏れ出した光が二人を包み込み、振動は腰まで伝わってくる程に強くなり、直視できない程に眩しさが増していった。