02 天使の隠れ家
ぐるぐると世界が回転し、延々と虚空を落ちていく感覚。
何故なのか分からないが、突然、俺の意識は再び形を取り戻す。
目を開けると、暗い場所の地面に倒れていた。
地面はやけにひんやりとした…なんだこれ?土でもない、板でもない…謎の材質で出来ていて、触れると不思議な柔らかさを感じた。
起き上がって考える。俺は、あの訳が分からない男に刺されて死んだのではなかったのか?手も足もあるようで、立って歩くこともできた。
ここは何処だ?まさか…あの世とかいうやつなのだろうか?
もう、背中に激痛はない。血も出ていないようだ。しかし、何事が起こっているのか全く分からず、とりあえず周辺を見渡すと、ぼんやりと明るい場所が見える。とりあえず、あれを目指して歩いてみるか。
歩いている最中、俺が今置かれている状況について考えた。俺は、間違いなく死んだはずである。俺のプチ神絵師人生は、あの謎の男の襲撃で終了してしまった。背中を何かでめった刺しにされて、大量の血の海に沈んで死んだ記憶を思い出し、震えて俯く。
鼻に濃く残っている、自分の血の匂い。これまで感じた事も無い肉体的な激痛。強烈に感じた寒さ。トラウマになってしまいそうな記憶である。しかし、それらは全て、傷口も含めて綺麗に消えてなくなってしまった。
「そういえば…オスミルクさんは大丈夫だろうか…」
足元を見ながら歩く俺の何気ない独り言。
「オスミルクちゃんは無事だよー?」
突然、独り言に反応を返されて驚いて正面を見ると、目の前に現れたのは、金髪碧眼でフリルの沢山付いた白いドレスを着た女性だった。かなりの美人で、何よりも胸が張り裂けるくらいに大きい。びっくりするくらいすごく大きい。これは…すごく大きいぞ…!!
「あっ…外国人!?」
大きさに意識を奪われていたが、気が付いて思わず後ずさった。外国人は苦手だ。なぜなら、俺は英語が喋れないから。
日本語以外は喋れない。数年の引きこもり生活で、日本語すら怪しいかもしれないのだ。英語は学校で嫌というほど練習したが、学校の義務教育で英語を喋れるようになる奴がほとんど居ない事くらい、誰にでもわかる現実だろう。少なくとも俺の学校には一人も居なかった。
金髪碧眼の女性が俺の周囲を回転しながら言う。
「…えっ?私!?外国人じゃないよ?」
「ど、どちら様でしょうか?」
「私は天使のモルテ。よろしくねカメタネ…本名で呼んだ方がいいのかな?本名、あまり使っていないみたいだけど…」
流暢な日本語で喋る女性に少しホッとして、口を開く。
「本名は嫌なことを色々思い出すので、出来れば呼称はカメタネのままでお願いします」
そう。嫌な事を思い出してしまうのだ。俺は、話を続けた。
「天使って…えっと、モ…モルテさん…?モルテ様?ここって一体何処なんでしょう?」
「いや、まぁ、私がここに呼び出したんですけども…何処と言われても空き地みたいなものとしか…」
てへへ…という顔で笑うモルテ様。
「それと、様づけで呼ぶのはやめて!私、本当に大した存在じゃないので、呼び捨てでお願い。言葉遣いも普通でいいし、そのほうが親しげで楽だし」
態度からして、謙遜とかではなく本気でそう言ってる事が伝わってくる。
「そ…そうですか?じゃあ、モルテ、俺、死んだはずだよね?」
「はい。見た目からして相当に気持ち悪い、難易度がめっちゃ高そうなおじさんに背中を何か所も刺されて、内臓の破損や出血多量で、これ以上ないくらい完全に死んでしまいましたね…」
しかめっ面になって手を何かに突き立てるような動きをするモルテ。もしかしてこれは、あの俺を殺した謎の男の演技をしているのだろうか…?
「じゃあ、ここは…?もしかして、あの世ってやつ?」
少々考え込んだモルテが答える。
「人間の感覚で言うならば、ここはあの世、と言っていいのかもしれないけど、実際には何にも用途がない空間だよ。空き地みたいなもので、今は私の隠れ家置き場なんだ」
何を言ってるのか良くわからなかったが、とにかく俺は死んで、何故なのか知らないが、天使の隠れ家があるらしいこの空間に居るらしいということは分かった。
「色々と疑問が湧いてるよね。私も、カメタネが置かれている状況について、何から説明していいのか迷ってるんだけど…」
「俺って今、幽霊…って事なの?」
「幽霊とは違うんだけど、うーん…肉体がない状態のカメタネであることは同じだし…何だろうね?」
そう言いながら明るい空間の方に手を伸ばし、何かを掴んで開けるような動作をするモルテの前に、開かれたドアが現れた。神秘的な感じは全くしない。暖簾が下がっていて、ドアの向こうには台所が見える。
振り返って笑いながら言う。
「とりあえず、ここが今の私の家。上がって?お茶とお菓子でも食べていって?」
「あ、良いんですか?おじゃましますね…」
モルテの部屋は、掃除が行き届いており居心地は良かったが、家具などは日本でもよく見かける普通な物ばかりで、とても天使が住んでいる場所とは思えなかった。三段のカラーボックスとか、カラーボックス内を仕分ける仕切り容器とかあるんだもの。少しだけ広めの一人暮らし用のアパートという感じ。床は畳で、テーブルは畳めるやつだ。あらかじめ座布団が引いてあり、着席を促される。
差し出されたお茶とお菓子も、天界の者が人間に授けたものである!と考えると有難いものだが、見た目はそこいらへんのコンビニで売ってそうな感じである。
…というか、コンビニで買ってきたんじゃないだろうか?…まさか、天使の世界にはコンビニがあるのか…?
「…いただきます」
「めしあがれー」
取り合えず礼を尽くしてから一口頂く。早速、俺の口蓋内に広がり、喉を滑り落ち、鼻腔を擽る、コンビニが売ってそうな風味。
勘違いしないで欲しいのだが、俺はこのいかにもコンビニで売ってそうな味を嫌いではない。今ここで、もしも仮に世界最高の超高級品を出されたとしても、俺の貧しい舌がそれを超高級品であるか判別出来るかどうか怪しい。これまでの人生で超高級品のお菓子を食べた経験がないのだから。実は、何気に今食べているこれこそが超高級品の味なのかもしれない。それに、コンビニで売ってる食い物によくあるような感じのコンビニ味だって、実はそんなに悪い物じゃない筈だ。皆に望まれてそこいら中で毎日24時間休まず営業している超大手企業であるコンビニに置いてある食べ物は、まさに皆が望んでいる食べ物であるに違いないのだから…。むしろ、これこそが、誰にでも受け入れられる素晴らしいコンビニ味であると言っていい、一つの極みなのかもしれない。これこそが、究極であって至高なのだ。というような言い訳を、脳内で作り上げた。ありがとう天使様…。
「このお菓子美味しいよね!私、見つけた時に感動しちゃって、大量に買って次元収納で保存して、もう何十回も食べてるんだ!」
ニコニコと嬉しそうに微笑むモルテに、本当の事なんか言えない。
「美味しいね。これならコンビニでだって扱ってくれるだろう」
いけない!言ってしまった!
「コ、コンビニ…?たしか、聞いたことはあるわ。確か、カメタネの故郷の日本にはかなり沢山ある雑貨屋さん…だよね?」
モルテはコンビニの事を良く知らなかった。危ないところだった…。俺はこの隙に話を始めて誤魔化しきることにした。
「それで、さっきの話からして、何か俺が死んだことについて、色々と事情がありそうな感じだったけど…」
「あっ、はい、まずは人間の寿命について分かってほしいんだけど…見せちゃうのが手っ取り早いかな?」
そう言うと、モルテが手と手をくるくると回す。おっ?かわいいな?と思って見ていると、俺に向かって両手の指を向けた。次の瞬間、指先から放たれた閃光が俺にビッ!と当たり、周囲に光がはじけた。
「うわっ!?」
「あっ、ごめん!痛いとか体に悪いとかそういうのは無いでしょ?そのまま自分の胸のあたりを見て、見える~、見えるぞ~!って感じに思ってもらえるかな?軽くでいいからね?」
何を言っているのかさっぱり分からなかったが、とりあえず下を向いて、見える!見えるぞ!何が見えるのか知らないけど見えるぞ!という感じに思ってみると、突然、本当に何かが見えてきてしまった。胸の前にハートマークが描かれた百均で売ってそうな容器があり、理科の実験で使いそうなパイプで俺の胸と繋がっていた。容器の中には何だかわからないピンク色の液体のようなものが7割くらい入って、チャプチャプ揺れている…。
「なんか適当な感じの透明な容器に入ったピンクの液体が見える?それは、命の器と充電の残量を現しているんだけど、ピンクの液体、まだまだ沢山入ってるでしょ?」
コンビニ風のお菓子を美味しそうに食べながら言うモルテ。いや、それ…お菓子を食べながら適当に言っていい言葉ではないんじゃ…?
「生きているうちに消費される予定のエネルギーであるそれがまだ残ってる人は、死なない!ってのが決まっていてね。なので、何故死んだのか、一体何が起きているのかを下っ端である私達が調べていたんだけど、残念な事に今のところ原因がこれっぽっちも分からないんだよね…」