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月が見ていた  作者: 夕暮本舗
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 少年は母親似だった。目もとや唇の形がとてもよく似ていた。けれど母親は、少年のような明るさや快活さは全くなく、憔悴しきった顔をしていた。一人息子を失って間もないのだから仕方ないことだろうが、彼女は文字通り今にも擦り切れてしまいそうだった。


「どうぞ、よく来てくださいましたね。」


 部屋の中は少年がまるでさっきまでそこにいたように、そこかしこに彼の「跡」があった。出しっぱなしのゲーム機、無造作にリビングに置かれた何かのプリントや、冷蔵庫に貼られた学校からのおたより、男の子が好みそうな柄の小物、この部屋の時間は止まったままのようだった。

 俺は、それを見た途端、現実に殴りつけられたような気がした。動悸が抑えられなくなるのを感じた。少年は確かに、死んだんだ。現実に。

 母親に促され、仏壇の前で手を合わせた。彼の写真がある。当たり前だが、飛び降りる前の、傷がつく前の綺麗な姿の写真だ。見慣れた笑顔で、今にも動き出しそうな活き活きとした雰囲気さえ感じる写真だった。高校の制服を合わせにいくときに撮った写真だと母親は言った。

 俺は手を合わせながら、何を考えていいのかわからなかった。「安らかにお眠りください」「天国に行けますように」そんな陳腐な言葉が浮かんだけれど、そもそも安らかに眠ったわけでも天国に行けたわけでもないから、少年は俺の隣にいるのだ。

「僕の写真に手を合わせてる。僕はここにいるのに、変なの。」と少年が呟くのが聞こえた。


「あの、なんだかいきなり、すみません……、えっと、こんな、得体のしれない男が現れて……」

「いえ。優樹のオフ会仲間、っていうんですかね。そういう方々も今まで何人かいらっしゃいましたから。そういうの駄目だって言ったんですけどね。けれど、出来た友だちと言うのも何かの縁かもしれませんね。こうして来てくださるのだから」


 そこまで言って、母親はハンカチで涙をぬぐった。少年の話をするたび目が潤むのはよくあることなのだろう、慣れた手つきに見えた。

 この部屋に入るまで一体何を話せば良いのだろうかと考えていたのだが、母親の方から口を開いてくれた。きっとこれも、今まで何人にも話したことなのだろう。


「来月から高校入学だったのですが、音楽活動の方が行き詰っていたみたいでね。一旦お休みして、学業に集中してはどうかとか、そんなことも話していたんですけれど……。彼には、よほど応えていたみたいです。それに何より、」


 そこで母親は言葉を切り、席を外して何かを取りに行った。すると、今まで黙ったままの少年が大きな声で言った。


「やめて!」


 俺は飛び上がるほど驚いて、少年の方を見た。少年は全身をぶるぶる震わせながら、何かを恐れるように、俺に訴えた。


「見ないで、止めて! お母さんに、あれを出さないでって言って……」

「これです。こういうのが、玄関に貼られたりして。」


 いつの間にか戻ってきた母親から出されたその紙を見たとき、俺は思わず椅子から倒れそうになってしまった。

 そこにはアーティスト「柊 優夜」に対するありとあらゆる悪口が書かれていた。いや、悪口なんて生ぬるいものではなかった。ありとあらゆる中傷、思いつく限り、傷つけてやろうと言う意思が伝わってくる、そんな呪いのような一枚だった。しかも直接書かれているわけではなく、新聞や何かの印刷物から一文字ずつ切り抜いてコラージュのようなものが造られていた。


「ずいぶん、優樹には応えてたみたいで……警察にも相談したんですけれどね、手書きじゃないからなかなか犯人も見つからなくて……だから、もうこんなバカげたことはやめてって、音楽なんてやめなさいって強く言ってしまったことがあったんです」


 震えた声でそこまで言い切るのが精いっぱいだったようで、母親はそこで咳を切ったようにボロボロと涙を溢れさせた。


「私がそんな風に追い詰めなければ、もっと寄り添ってあげられれば、優樹は……こんなことには……。」

「ちがうよ、お母さん、ちがう……」


 少年がどれだけ否定しても、母親には全く届かない。泣き崩れた母親に駆け寄り、抱き着き、何度も大きな声で「ちがう、お母さんのせいじゃない」と言ったところで、母親にはわからない。

 やがて少年は諦めたように泣きだし、ひたすら繰り返し続けた。


「ごめんなさい、僕のせいだ。ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。僕のせいで、お母さんが……。」


 俺には二人の泣く姿が、両方とも痛いほど見えていた。机の上に置かれた紙を見つめる。これが、少年を死に追い詰めた。どんなナイフより鋭い、呪いの凶器で。この母親を擦り切れさせるほど傷つけた。


「俺は、これを書いた人を殺したいです。」


 それは、何よりも俺自身の気持ちだった。少年も母親も、一瞬呆気にとられたように泣くのを止め、物騒な発言をする俺の顔を見つめていた。

 気づけば俺は拳を力いっぱい握りしめ、瞳からは涙が溢れていた。


「許せない。あなたも、優樹くんも悪くない。一番悪いのは、こんな卑劣で残酷なものを造った奴だ。あなたも優樹くんも、被害者だ……。」


 母親はやはり我慢できなかったようで、声を出して泣き始めた。俺も少年も、その姿から決して目をそらさなかった。

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