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「ねぇ、これの6巻ないの。」
俺の部屋には幽霊がいる。つい一週間ほど前から、俺の部屋に住みつきはじめた。まだ変声期も来てない少年の幽霊だ。彼は今、俺の本棚の前で退屈そうに漫画を読み漁っている。俺は、パソコンの画面から目をそらさずに答えた。うちの本棚で5巻までしかない漫画は見当がつく。
「ないよ。5巻で終わり。」
「どうして? こんな、中途半端なところで終わり?」
「作者が体調不良だとかナントカで続きがないらしいよ。まあ、人気なかったから大方打ち切りだろう。」
「ふーん。漫画家も大変なんだ。」
それにしても、よくこんなマイナーな漫画ばかり揃えてるね。知らないものばかりだ、と彼はなんだか感心したような、ちょっと呆れたような口調で言った。
「漫画ばかりじゃない、CDも僕でさえ知らないアーティストばかり……。マニアっぽいよね、君。」
俺は、少なくとも彼より一回りは年上なのだが、彼は馴れ馴れしく「君」と呼び続ける。それは、俺が彼に自分の名前を教えていないからだ。どうやら彼はこの部屋からは一歩も出れないようで、そして俺はこの部屋に一切の個人情報を置いていない。彼の姿が見えるようになってすぐに、彼に観られたくないものは全て押し入れに移したからだ。
「けれど、僕のCDはないのか……。残念、僕は自分が思うよりよっぽどマイナーだったみたいだ。」
彼は俺を知らないけれど、俺は彼のことをよく知っている。
この少年は、生前は若きアーティストだった。そして、先月自宅のマンションから飛び降り自殺した。彼の左半身は、直視できないほど惨たらしいことになっているので、俺はいつも彼の右側しか見ないようにしている。彼も気を遣っているのか、振り向くときはいつも右側だ。
俺は、生前の彼とは全く面識がなかった。当然だ。俺に知り合いなんてほとんどいない。なのに、どうしてなんの関係もない彼が俺の部屋に現れたのかは本人でさえわからないようだった。気が付いたらここにいた。一週間前、月明かりに照らされる中、突然現れて彼は目を覚ました。
俺はひどく動揺したが、それでいてどこか冷静だった――すぐに、俺の部屋から自分の個人情報と彼に関係する全てのものを隠すという判断をしたのだから。
「ねぇ、暇じゃない?」
少年は心底退屈そうに尋ねた。俺の部屋にあるそれほど多くない漫画を、もう二周は読み尽くしてしまったようだった。俺は短く「別に。」と答えた。
「お休みなの? ずっと部屋に引きこもってて、飽きない?」
今度の質問には、俺は何も答えなかった。けれど、そんなのはよくあることだ。少年は俺が返事をしようがしまいが、好き勝手に話を続ける。
「今日はいい天気だよ。こんな天気の中、散歩したら気持ちいいだろうなぁ。僕、よく散歩しながら歌を考えていたんだ。家に帰って、靴脱いでる間にすっかり忘れちゃうんだけどね。」
自分で言ってて可笑しくなったのか、それともこの気まずい沈黙をなんとか破ろうとしたのか、声を出して少年は笑った。年相応な、明るく快活な笑い声だった。その声は、狭い部屋によく響いた。
けれど俺はやはり何も答えなかった。彼はまたつまらなさそうな顔に戻って、三周目の読書に取り掛かった。