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一月にしては少し暖かい日のことだった。
佐伯が珍しく講義に来ていなかった。サボるような奴ではないし、どうしたんだろうと思ってるうちに昼になった。
講義室を出ると携帯が震えた。番号は佐伯からだった。
かけ直し、もしもしと言い終える前に酷く焦った声に遮られた。
「あの、――くんですか」
佐伯の電話番号からかけてきたのは佐伯の母だった。
しばらく娘が大学を休むから、講義のノートを取ってほしいと言われた。
どうして本人ではなく貴女が、と聞くと沈黙が流れた。一分近い静寂の後、とても小さな声で答えをくれた。
「今あの子ね、事故に遭って入院しているの」
静寂。静寂が、包んだ。
「佐伯!」
こんなに全力で走ったことなんてあっただろうか。必死に走って病院へ向かった。中に入ると看護師さんに顔をしかめられ、廊下では走らないように注意され、急ぎ足に切り替えた。
「……声、大きいわよ」
そう答えた佐伯の声はいつも通りで、でも身体のあちこちに包帯が巻かれていた。
交通事故に巻き込まれたそうだが、幸いにも命に別条があったり、後遺症が残ったりするわけではないらしい。
ただ、打撲が酷いのとうまく利き手を使えないことで一週間ほど入院することになったらしい。携帯もあまり使えないので、母親に頼んで連絡をくれたそうだ。
「あんまり驚かせるなよ……」
そう肩を落として言うと佐伯は唇をかんだ。
「……あんたには退院してから言おうと思ってたんだけどね」
「……んでだよ」
「だって誰よりも、あたしの親よりも心配するでしょうあんた。過労とか、栄養失調とかだったら……ううん、きっと自殺未遂だったらそこまで心配をあらわにしないだろうけど」
過労でも栄養失調でも、自殺未遂であろうと、心配しないやつなんていないだろう。
そう即座に言い返したかった。
言い返せなかった。
「……もしかしたら、そうなのかもしれない」
己の弱さを吐露した。
あの冬が、現実味のない冬が心を襲う。
フラッシュバックさせる。
イメージさせる。
君を、君を。
「……ごめんね。あんたに、思い出せたくなかったんだけど」
佐伯は静かに呟いた。違う、佐伯が謝ることではない。
「悪いのはこっちだ……。佐伯は、佐伯は悪くない。佐伯は被害者だろ」
「それを言うなら、あんたも被害者よ」
今日初めて、佐伯と目が合った。そう思ったとたん、視界がにじみ出す。
「……悪い、悪い佐伯。本当にごめん……」
止まらない涙を必死で拭う。
みっともない。あの時泣けなかったツケが今ここで現れるなんて。
「……今あたしこんなんだから何もしてあげられないけど、いいよ。思いっきり泣きなよ」
君が死んだと知った時、滝のように涙を流していた佐伯は今は微笑んでいた。
また見舞いに来ると約束し、病室を出ると佐伯の両親がロビーにいた。目がかなり赤くなっていたが、素通りせずちゃんと挨拶した。
泣いた理由が純粋に佐伯を心配したからだと思ったのか、何度もお礼を言われた。そのことに少し罪悪感を感じるも、心配だった気持ちに嘘はなかったため否定はしなかった。
帰りに百均へ寄った。佐伯に渡す用のファイルを買うために。
文具コーナーに行くと、レターセットや色紙がいつもより目立つところに置かれていた。もうすぐ卒業シーズンだからだろう。
手紙も色紙も書かなかったな。そう思いながらノートのコーナーに行く。
やっぱり、こっちのほうがしっくりくる。




