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君が遠くへ行ってしまう夢を見たんだ。
さようならと唇を動かしただけの君は泣きそうな顔をしていた。
ゆらゆらと陽炎が揺れ、君を見えなくしてしまった。
追いかけたかったのに足がどうしてか動かなかった。
身体を起こし鏡に映った自分と目を合わせる。いつのまにか溢れていた涙は熱かった。
「あんた、ちゃんと食べてる?」
藪から棒になんだ。声に出さずに目で訴えると、佐伯はため息をついた。
「腕細すぎ。女子のあたしより細いじゃない。それに腰。コルセットでもしてるの?」
「流石に怒るぞ」
一応食べている……つもりだ。そんなにもやし体型ではないはずだが。
「はい、食べなよ」
差し出されたのは紙袋に包まれたパン。そういえば佐伯のお隣さん、パン屋だったっけ。
「まあ、あんたは食もだけど睡眠も心配だわ。目の隈、すごいよ」
「……ほっといてくれ」
そう言って貰ったパンを一口かじる。添加物の少ないパンは久しぶりだった。
「……来月で三年なのね」
「ああ」
君の命日だ。
君の命日は二月にあるのだが、夏に死んだように感じてしまう。
何かトリックがある訳でもない、ありきたりな死だったから、冬に死んだのは確かだ。
そう感じてしまうのは最後に見た君が夏に居たからだろう。
「さっさとパン食べなよ。もう先生来るよ」
「はいはい」
急かされ、パンを飲み込んだ。
講義が全て終わると市立図書館に行くのが日課になっていた。
構内の図書館はレポートを書く時にしか利用しない。歩きだと二十分かかる市立図書館へ行く特別な理由はない。ただ大学の知り合いがいなさそうだな、と思ったのが最初だった。
勉強する訳でもないのに個人スペースに座り、真白なノートを開いた。
『今日は何を描くの?』
君の声が聞こえた気がする。ああ、あの頃は新しいページを開くたび笑って声をかけてくれたっけ。
「今日は海だよ」
誰にも届かない声で呟く。
この市立図書館は暖房が効きすぎていてとても暑い。海に足をつけたい気分だ。
少なくとも、コンクリートの上には立ちたくない。
パシャパシャと海に足をつけてステップを踏む。一歩間違えたら流されてしまいそうで、けれどもしっかりとした足取りだ。人魚がヒトの脚を得て喜んでいるかのように、楽しげに踊る。一、二、三。一、二、三……と。
『ワルツなんか踊れないや』
それなら四拍子に変えよう。四拍子で軽やかな、海に映えるステップを。
静寂を破ったのは館内放送だった。あと十五分で閉館します、と無機質な女性の声が静かに響く。
ノートを閉じ、たくさん出た消しカスを手で集める。練り消しにすればいいのに、と昔言われたが、なんとなく好きになれなかった。
外に出ると冷たい空気が肌を刺す。今は冬だと、はっきり主張するかのように。
また夢を見た。君が炎天下の中裸足で踊る夢だ。
「熱くないの?」
そう問いかけると君はただ声を上げて笑うだけだった。一緒にどう、と手を差し伸べられたところで夢の世界はぼやけていった。
横になったまま時計を見るとまだ深夜の二時だった。
「海で踊ればいいのに」
そう呟き、また目をつむった。
「顔色悪い」
教室に入ってくるなり佐伯にそう言われた。
「朝飯食べたよ。桃のゼリー」
「……何も食べてないよりはマシか」
隣に鞄を下ろした佐伯は少し間を置いて、何でもないように言った。
「今年は行けそう?」
その言葉に、ただ苦笑を浮かべることしかできない。
君の墓参りに、まだ行けない。




