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猫又さんは自販機を知らない

作者: くろふ

道草家守先生主催「和モノ冬恋企画」参加作になります。

「なあなあニンゲン」


「なんですか猫又さん」


「本当にこんな箱から飲み物が出てくるのか?」


「ええ、出るんですよ。冷たいのからあったかいのまで、色々出ます」


「凄いなあニンゲン」


「凄いでしょう猫又さん」


「……」


「……」


「……もう一ついいかニンゲン」


「なんですか猫又さん」


「お前、妖怪見たことあるの?」


「いやあ、まさか。この世に生を受けて二十数年、およそ空想のたぐいのものとは縁の無い人生を送ってまいりました」


「そうなのか」


「そうなのです」


「……」


「……」


「……もうひとつだけいいか、ニンゲン」


「なんですか猫又さん」


「お前、猫又の私を見て何も思わないのか?」


「……?」


「え、何で分からないって顔してんの?」


「……ああ!」


「おお、驚いただろう!?」


「いい毛並みの素敵な尻尾ですね!僕の好みですよ」


「ちっがぁあーーーーーう!!!」


「えー?」








 それは、寒いある夜の、ある駅のホームのお話。










 最早珍しくも無くなった残業を終え、電車に乗って十分で一度降りる。最寄りの駅に続く電車との接続は悪く、数十分は待たされることがよくある光景だった。

 それはつまり、冬場は野ざらしのホームで寒さに耐え続ける必要がある、ということであり。


「うーん、今日は一段と冷える」


 だから、冬場の僕にとって寒さ対策は普通以上に必須なものだった。

 ヒートテックの肌着に、手袋とマフラー、貼るカイロ。コートも厚手のものを選んでいる。

 でも、完璧ではない。

 そんな時には、


「毎度悩むんだけど、結局これにしてしまうなぁ」


 ガコン、と音を立てたのは、自販機の取り出し口に滑り込んだ小さなペットボトルだ。

 ホームに備え付けられた自販機。その中にある甘いホットカフェオレを飲むことが、冬の僕の日課となっていた。

 僕は手袋を脱いでペットボトルを手に取ると、自販機の隣にあるベンチに腰掛けた。


 冬のカフェオレの飲み方には流儀がある。

 ひとつ。手で温かさを感じること。

 ふたつ。蓋を開け、香りを楽しむこと。

 みっつ。ちびちびと飲みながら味と温度を感じること。

 そしてよっつ。これらを繰り返しながら温かさを最後まで堪能すること。


「カロリーがヤバいと分かっていても、これだけはやめられないな」


 事実、この季節になるとおなか周りが苦しくなるのを明確に感じる。だが、これも寒さを耐え抜くためだ、仕方ない。そう言い聞かせる。大丈夫だ。春になったら頑張ろう、ダイエット。


「あー、おいしい。あったかい」


 カフェオレを一口。一抹の不安は甘ったるい風味に飲み込まれた。

 電車は、まだ来ない。






「おい、そこのニンゲン」


「はい、人間ですよ」


 ぼーっとした意識の中、後ろから声をかけられて、それに咄嗟に答える。

 いや、これは本当に僕を呼んでいたのだろうか。間違ってたら少し恥ずかしい。

 振り返ると、その声の主は僕の後ろにいて、幸いなことに確かに僕を呼んでいるようだった。


「よし、反応したなニンゲン」


 その姿を見た僕は、思わず呟いてしまった。


「猫ですか」


 猫か?

 いや、少女だ。

 小柄で、黒くてぱっつんの髪をして、鮮やかな着物を着て、くりっとした目が特徴的な、女の子だ。

 ただ、そこに黒い猫の耳と、黒い猫の尻尾が付いている、というだけの。


「正しくは猫又だぞ。ほら、尻尾がふたつ」


 ぴしゃり、とふたつの黒い尻尾がしなった。


「なるほど、猫又さんでしたか」


「うん、猫又だ。驚くといいぞ」


「それで、猫又さん。どういったご用件で?」


「うん?……あ、ああ。その手に持ってるやつのことなんだが」


 自称、猫又さんは僕の手に握られたペットボトルを指差した。時間が経ってしまったそれは、もう温もりをほとんど失ってしまっている。


「ニンゲンを見てると、みんなそれを持って何か飲んでるみたいなんだが、どうすればそれが飲めるのか分からないんだ。教えてくれないか?」


「ああ、それはですね、この自販機から――――」


 そうして、話は最初に戻る。

 電車は、まだ来ない。











「お前、はじめて妖怪見たのに驚かないのか?大丈夫か?感情失ってないか?」


 逆に心配されてしまった。いや、残業は心を擦り減らす感触あって嫌だけれども。


「どうなんでしょう。猫又さんを見ると、はじめて会ったって気がしないんですよね。前に猫飼ってたからかな」


「そ、そうなのか?」


「ええ。好きなんですよ、猫」


 猫又さんは、ひょいと軽い身のこなしで、僕から少し離れた。


「あれ、猫又さん。どうして僕から離れるんですか」


「いや、なんか嫌な予感したから……」


「えー」


 別に何もしませんって。何かしたとしても猫を撫でる腕は悪くないという自負もあるし。


「で、いいからその『じはんき』?とやらから水筒を出す方法を教えてくれよ」


「はいはい分かりました。といってもそこにあるボタンを押せば出るだけですよ」


「なるほど?」


 てしっ、と猫又さんが自販機の適当なボタンを押した。猫っぽい。


「……」


「……」


「……出ないぞ?」


「……お金を入れてから押さないとですね」


「お前、私をバカにしてるだろ!?」


 猫又さんはしゃー!!、と言わんばかりに二つの耳と二つの尻尾を逆立てた。猫だなぁ。


「いやぁ、ごめんなさい。代わりに奢りますから」


 妖怪が小銭を持っているとは考えにくかったし。

 僕は百円玉をふたつ、自販機に転がし入れた。ボタンのランプが、赤く灯る。


「それで、何を飲みますか?」


 猫又さんは迷ったように自販機の前で視線を動かすと、やがて、


「……ん」


 僕が手に持っている、カフェオレのペットボトルを指差した。


「お前と、同じやつがいい」


「ええ、いい選択です。僕のお気に入りで、お勧めですよ」


 僕は微笑んでみせると、いつものようにカフェオレのボタンを押した。ガコン、と音を立ててペットボトルが滑り落ちた。

 電車は、まだ来ない。








 冷えるホームのベンチに、二人並んで腰掛ける。

 子供だからか、あるいは猫だからか。右隣から仄かな熱を感じた。


「はい、カフェオレです。熱いから気を付けて」


 ペットボトルのキャップを捻って開けて、右隣の猫又さんに手渡した。甘い香りが辺りには漂う。


「おー、これだよこれ。この甘ったるい香り」


 猫又さんはくんくん、と匂いを嗅ぐと、そのまま勢いよくペットボトルを口に当てて――――即座に離した。


「あっつぅ!!あっついぞこれ!!あっつい!!」


 あー、猫舌……。


「えーと、その。冷ましながら飲みましょうか」


「さめるのか!?このあっついのしゃめるのか!?」


「冷めますとも。冬ですからね」


 僕は、彼女にカフェオレの流儀を教えてあげることにした。





「まず、両手でしっかりとボトルを握って、手で温かさを楽しみます」


「うん……おお、あったかい」


「そうでしょうとも」


「いや、なんでお前が自慢気なんだ」


「まあまあ。次は蓋を開けて香りをを楽しむ……のはもうやったので、次」


「でも、いい匂いだ。甘くて、でも少し酸っぱい匂い」


「そうでしょうとも」


「だからなんでお前が自慢気なんだってば」


「まあまあ。では、いよいよ飲む順番です。猫又さんは猫舌ですから、ふーふーしてちゃんと冷ましてから飲みましょう」


「う、うん。ふー、ふー……こんなもんか?」


「いいでしょう。では、それをちょっとずつ、口に含んでいくのです」


「うん……ごくっ」


「どうですか?」


「あったかくて、ちょっと苦くて、でもやさしい味だ」


「それが聞けて何よりです」


「うん……って、なんで頭を撫でるんだ」


「えーと、なんとなく?」


「勝手にするんじゃない、まったく……でも」


「?」


「私が飲んでる間だけは……ゆるす」


「はい」


「ん……わるくない」






 電車は、まだ来ない。







 僕たちは相変わらずホームのベンチに並んで腰掛けていた。

 もはや寒さは気にならなくなっている。というか、本当に寒いのか?夢の中にいるかのように、感覚が曖昧だ。


「どうして、カフェオレが飲みたかったんですか?」


 猫又さんの手にはまだ温もりが残っているカフェオレが握られていて、甘い香りが微かに漂っていた。

 猫又さんはその中身をこくん、と少し飲み込んで、やがて話し始めた。


「私は、はじめから猫又だったわけじゃないんだ」


 天井の蛍光灯が、チカチカと瞬く。


「私は飼い猫だった。小さい頃にニンゲンに拾われて、それから猫として死ぬまで、ずっとそのニンゲンの家で生きてきた」


「死んでから、猫又に?」


「私にもよく分からないんだ。あたたかくて、眠くなって、意識がなくなって――――気が付いたら私は、こうなっていた」


 猫又さんは黒くしなやかな尻尾をふよふよと動かした。


「そうして猫又になって生きることにして、引っ越しのために駅に来てみれば、何やら懐かしい匂いがしたんだ。お前のその、水筒から」


 猫又さんは僕の手のペットボトルを指差した。中のカフェオレはとうに冷めきって、もうその匂いはしない。


「カフェオレの匂いが懐かしい、ですか」


「ああ、冬のご主人は、帰ってくると決まってその匂いがしたんだ。だから、その匂いは、冬のご主人の匂い」


 すん、と猫又さんがカフェオレの匂いを嗅いだ。嬉しそうな、寂しそうな表情で、それはつまり、懐かしさなのだと気が付いた。


「好きだったんですか、飼い主さんのこと」


 猫又さんは、問いかける僕の目を真っ直ぐに見つめた。猫又さんの猫のように大きな瞳は、薄暗いホームの中で強く煌めいていた。


「ああ、好きだった。今でも好きだ。ニンゲンと猫の違いがあったとしても」


「そう、ですか」


 僕は視線を下に落とした。ペットボトルの中で褐色の液体が揺らめいて、チカチカ瞬く蛍光灯の光を吸っていた。僕は残り少ないそれを一気に飲み干した。甘ったるい味が、口の中に少し残った。


「私からも、聞いていいか?」


「僕に、ですか?」


「うん。お前が飼ってた猫のこと、聞かせてほしい」


 僕が飼ってた猫。

 その言葉は、僕の胸にじんわりとした暖かさと甘い痛みをもたらした。

 半年前に死んでしまったその猫は、それだけ僕にとって特別な存在だ。


「あの子はーーーークロは、なんというか、やんちゃな子でした」


「うん」


「好奇心が強くて、色んなものに突っ込んでは部屋を散らかして大変でした」


「うん」


「ちょっと怒りっぽくて、撫でようとすると避けて尻尾を逆立てたりしました」


「うん」


「そのくせ僕が離れると寄ってくる癖があって、甘えん坊で、寂しがり屋で」


「……うん」


「毎日が、賑やかでした」


「……お前はその猫が、好きだったか?」


「ええ、大好きでした。家族、ですから」


「そう、か」


 きっと今の僕は嬉しさと寂しさが混じったような表情をしているのだろうな、と思った。猫又さんも、そんな表情のままだったから。


「もういっこだけいいか、ニンゲン」


「なんですか、猫又さん」


「お前は、コイしたこと、あるか?」


 恋。

 甘く、ほろ苦いと言われるその味を、僕はまだ知らなかった。


「いいえ、ありません」


「そうか、私にはあるんだ」


「それは、飼い主さん?」


「ああ。鈍臭くて、カンが鈍くて、でも撫でるのはまあまあ上手な、ご主人に」


 猫又さんはペットボトルを傾けると、冷めたその中身を一気に飲み干した。





「コイを、していたんだ」





 不意に、ホームに風が吹いた。


「時間だ」


 猫又さんは後ろを振り向いた。

 振り向いた先には、古ぼけた電車がいつのまにか停まっていた。

 それは、僕がこの駅で見たことのないほど古そうな電車で。


「行かなきゃ」


「――――待って!」


 その電車に乗ろうとする猫又さんの腕を、反射的に掴んだ。

 行ってほしくなかった。

 だって、分かっていた。分かっていたんだ。

 はじめて会った気が、しなかったんだ。

 それはそうだ。

 はじめてじゃないんだから。


「ねえ、猫又さん。もしかしてあなたはーーーー」


 その言葉を、猫又さんの指が留めた。もう片方の手の人差し指は、猫又さんの唇に添えられていた。


「それは、駄目なんだ。ふたりのためじゃないから。同じ電車には、乗れないから」


「猫又さんは……それでいいんですか?」


 嬉しそうに、寂しそうに、でも無邪気に。

 猫又さんは、微笑んだ。


「いいんだ。私はコイをしていて、私はアイされていて、でもそれは私の欲しいのとは少し違うアイだった。それが分かったから、もう、十分なんだ」


 僕は何も言えなかった。猫又さんを留める腕にも力は入らなくなった。

 やがて猫又さんは、僕の腕をするりと抜けた。昔よくやったように。


「私のコイは幸せだった。お前がいつか出会うコイが――――どうか、幸せでありますように」


「……はい」


 発車のベルが鳴る。猫又さんは軽い身のこなしで電車に飛び乗ると、振り向いて僕を見た。


「じゃあな、ニンゲン」


「さようなら、猫又さん」


 そうして、ドアが閉まる。僕たちは、今度こそ永遠に隔てられた。


 キイ、と錆びた音を立てながら、古ぼけた電車が動く。

 それが見えなくなるまで、僕はずっとそれを目で追いかけていた。







 電車は、――――――――









「――――きゃくさん!!お客さん!!終電ですよ!!」


「ふぇ……?」


 両肩に強い衝撃を感じ、意識が覚醒する。


「まったく、この寒い中で寝るなんて、どんな神経してるんですか!!死にますよ!?」


 え?寝る?寝てた?

 ベンチに沈み込んでいた身体を勢いよく起こす。


「あれ、今、何時ですか?」


「だから、終電っていってるじゃないですか!これ逃すと帰れませんよ!」


 そんな馬鹿な、と思って右手首の腕時計を確かめる。

 時刻は確かに終電で、それはこのホームに着いてから数十分なんてレベルではない時間が過ぎていることを意味していた。

 そして目の前には、いつのまにか見慣れた電車が停まっている。


「じゃあ、あれは、夢……?」


 そんな馬鹿な。

 いや、猫又に会うなんてことの方が馬鹿げているか。

 虚しいな、と下ろした右腕が、何かにコツンと当たった。


 それは、空になった二本の、カフェオレのペットボトルだった。


「ああ、ああ……!!」


 確かに、あの出会いはあったのだ。

 彼女は同じ電車に、同じ人生の道に行けないことを分かっていて、それでもこの一瞬に、会いに来てくれたのだ。

 それが、現実と夢の狭間の邂逅であったとしても。

 それが、彼女の恋だったから。

 嬉しかった。僕は確かに、愛されていたのだから。


 僕は後ろを振り返ると、電車のいない反対路線を見つめた。

 あなたがいつか出会う愛が、どうか幸せなものでありますように。

 そう、願いながら。


「お客さーん!?もう電車出ますよーー!!」


「あ、はーい!!」


 僕は右手でペットボトルを二つ掴むと、近くのゴミ箱に放り捨てた。ポイ捨てしない、大事。

 それから、慌てて電車に駆け込むと、生温かい空気を一身に浴びたのだった。


 この電車は、僕の家に続く。

 そして、僕の人生に続く。

 それは、猫又さんのそれとは違う道だけど。

 いつかまた、どこかの駅のホームで出会えたら。

 また、一緒に甘ったるいカフェオレを飲めるだろうか。

 そんな時を、少しだけ空想した。


「いってきます、クロ――――いや、猫又さん」


 ドアが閉まる。電車が動く。

 このレールはきっと、恋に続いている。


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[一言] 猫が妖怪になることはあるけど人間が妖怪になるってのはあまり聞きませんが、実はひっそりとあるのかも。 なんてことを思いました。 彼と猫さんに幸あらん事を!
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