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第四章:三話 ゴブリンは眠らない

 降りた夜の帳は、世界を平等に暗くする。街中であるなら家庭や店から漏れ出る光が多少なりとも暖かさと安心を与えるかもしれないが、ここは魔の森だ。太陽の光さえも遮る深い森では、ときに伸ばした手の先すらも飲み込んでしまいそうな闇が広がっている。


 しかし森は眠ることはない。そこかしこで活動している魔物の気配がある。闇を見通す目を持つ種、聴覚や嗅覚に優れた種、太陽の力の失せた状況でしか動けない種、様々な魔物が夜の森を駆けまわっているのだ。


『グブブ、小者共が蠢いておるわ』


 暗く広がる森を眼下に納め、上位者のように振る舞う一体の影があった。身体的特徴からゴブリンだとわかるその個体は、一般的なゴブリンよりも体格に勝っている。成人男性と比較しても遜色がないほどだ。いくつもの死線を潜り抜けることで変異を遂げた、ゴブリンロードと呼ばれる個体である。


 手に持った杯を一気に呷って酒を胃に流し込む。並のゴブリンたちは狩りを行い、人間たちから奪うことぐらいしかできないが、ゴブリンロードは酒を愉しむことを覚えていた。


 他にも覚えたことがある。奪うこと、支配することだ。本能で奪うしかできなゴブリンとは違い、ゴブリンロードは明確な意図をもって奪うことを知っており、奪ったものを支配することを愉しんでいた。


 人間の冒険者から奪った装備も手入れがされている。ゴブリンに似つかわしくない装飾の施された剣も、年季の入ったハードレザーアーマーも、魔力の込められた腕輪も、いずれも冒険者を殺して手にしたものだ。ゴブリンという種族からは想像しにくい水準の装備と、森という生息場所を見下ろしている優越感から、ゴブリンロードの顔が奇怪に歪み、ある一点に目が向くと同時に、今度は怒りに歪んだ。


『こちらにおいででしたか』


 暗闇の中から薄汚れたぼろをまとった人影が現れる。体は崩れかけ、腐汁が付着したぼろからは悪臭が漂っているが、衛生観念の低いゴブリンロードは気にならなかった。フードを脱いだぼろの顔には、かつての面影は半分以下しか残っていないが、ぼろにとってはどうでもいいことだ。アンデッドの肉体は単なる器でしかなく、そしてこの器が有する力は、並のアンデッドのものよりも遥かに強力であることこそが重要なのだから。


 アンデッドの肉体を操るドロドロとした意思、元教会長のベートはゴブリンロードに向けて丁重に頭を下げる。


『ベートか。あれを見よ』


 節くれだった指が差したのは、魔の森の一角、ゴブリンロードが拠点とする山砦からかなり離れた位置にある、しかし暗闇に飲まれるはずの魔の森においては異質な、光が灯っている場所だ。自らの支配下ではない場所が存在することに、ゴブリンロードは深刻な怒りを覚えていた。


『魔の森の中に、灯り、ですか』

『そうだ。我が支配を受けておらぬ、不愉快極まりない灯だ』


 あれが人の町の灯ならまだいい。冒険者や騎士がいて、同胞であるゴブリンを狩る憎き敵の灯ならば、逆に襲ってすべてを奪ってやればいいのだから。だがあれは違う。魔の森の中にありながら、明らかに営みを感じさせる輝きは、異質なものだ。


『不愉快だ。闇の中に広がっていいものは、弱者の悲鳴と燃え盛る炎だけであるべきだ。あのような灯りなどあってはならない。ましてや我が目に入るなど許容できぬ』

『なれば』


 ぼろがゴブリンロードのセリフの続きを口にする。


『あの灯りのもとにいる輩を蹂躙し、皆殺しにすべきでございましょう。確固たる勢力を築くゴブリンロード様の目に不快な光を入れたのであれば、あの場所にいる魔物は引き裂き、晒し、見せしめといたしましょう。奴らを打ち滅ぼし、ゴブリンロード様の勢力を更に広げましょう』


 ゴブリンロードは凶暴な笑みを浮かべて頷く。まったくもってぼろの言葉通りであった。打ち捨てられていた山砦を手に入れ、多くの群れを吸収し、並のゴブリンを遥かに凌ぐ強大な群れを率いている。更に支配地域を拡大し、魔物たちを組み入れ、自らの、比類なき王国を作り上げる。ゴブリンロードの、それは野望だ。


『なら、どいつにやらせようか』


 山砦の内部、人間や魔物の骨で作った玉座に腰掛け、ゴブリンロードは思案する。ゴブリンの群れは拡大に伴って他の魔物も傘下に組み入れてきた。ゴブリン種で全体の八割を占めているが故に、群れ内部の他の魔物たちが反抗しても数の暴力で押し潰すことができる。物量でもって、最弱のゴブリンが優位に立っているのだ。


 同時にゴブリンロードだけが抱える戦力がある。


 一方がぼろをまとったアンデッド、ベートだ。並のアンデッドよりも強力で、多くの知識を有し、それらでもってゴブリンロードの覇道を支えてきた。


 他方がローリングストーンという魔物だ。本来は洞窟に生息し、狭い通路を転がって侵入者を引き潰すだけの、知能の低い魔物なのだが、どういうわけかこの個体は言葉を話し、作戦を立てるだけの知性も有していた。特異種や変異種とされるものは、どの種族にも出現するものだとゴブリンロードは納得している。そのローリングストーンが発言した。


『まずさせたい奴を募ればいい。ただし失敗したならば殺す。無能は排除すること、結果を出すものを求めていること、覇道に貢献するものが必要であることを示すためにも』

『ふむ』


 納得のいく話ではある。群れが大きくなると、優秀でないもの、群れに寄生して楽をしようとするものが出てくるのは避けられない。呼びかけに手を挙げない消極的な連中は前線に送り込む。前線で死ぬような弱い連中は淘汰されてしかるべき。必要なの戦力はおのずとして残ってくるように仕向けるのも、王たるものの務めであろう。


 今の群れにはゴブリンソルジャー、ゴブリンメイジ、ゴブリンアーチャー、ゴブリンランサー、ゴブリンパスファインダーなどの変異種も多い。この中から更に使えるものを厳選していくのは、己の権力を示すためにも有効だろうことはゴブリンロードにもわかる。


『いえ、むしろ全軍でもって完膚なきまでに蹂躙するのも一興かもしれません』


 異を唱えたのがベートだ。この意見もゴブリンロードには魅力的だった。あの灯りの下にどれだけの魔物がいるかは知らないが、兵力において自分たちを上回っているなどあり得ない。過剰なまでに圧倒的な戦力をもってして踏み潰す。支配欲と征服欲をいたく刺激するではないか。群れたところで大したことはないと侮られていてきたゴブリン種への幻想を、暴力的な物量で蹴散らす。これは大きな群れを率いるものにしかできないことだ。


『グブブ、どちらも抗いがたい魅力があるな。潰すことには変わらんが、さてどちらにするか』


 ゴブリンロードの考えは短時間で終わった。種族的に思索にふけることには向いていないことも関係しているが、ゴブリンロード自身が考えたり悩んだりすることに慣れていないからでもある。


 まずは部下を出してみることだ。これは他者に命令するという己の優位性を確認するためのものであり、命令通りに動く部下を見ることで満足を得るためでもある。これで潰せるのならそれでよし。でなければベートの意見通り、全軍でもって叩く。自分の持つ戦力をひけらかすようにして、完膚なきまでにだ。眼前にある邪魔なもの一切を蹂躙する。焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす。


『我にはそれだけの力がある』


 自らの城と覇道が死と血によって彩られることを夢想するとそれだけで、ゴブリンロードの脳内からは過剰な麻薬が分泌される。


『ギギギ!』


 一体のゴブリンが飛び込んできた。斥候として拠点の外に出している連中だ。狼狽えて、声ばかり大きく、ゴブリンロードは強い不快を感じたが、報告の内容に少しだけ機嫌がよくなる。


『人間……冒険者か』


 面白いではないか。ゴブリンと聞けば雑魚と侮り、殺して回っている冒険者がのこのこと自分の勢力下に入り込んできたのだ。他の魔物を潰すよりも、遥かに楽しく、心躍る。ゴブリンロードの腕が大きく横に動き、手にしていた斧でもって報告に来た部下の首を飛ばす。騒がしいクズは必要ない。今、必要なのは、縄張りに入ってきた侵入者をいかに弄び、殺すかだ。


『グブブ、部下どもに伝えよ。冒険者は皆殺し、いや、女は生きたまま連れてこい。生まれたことをたっぷりと後悔させてやろう。グブブブブ』


 ゴブリンは弱いと感じているのなら、ゴブリン退治は楽だと考えているのなら、その思い違いを徹底的に正してやろう。文字通り、その肉体に刻み付けることで。


『仰せのままに、我が王』


 ゴブリンロードの命令に、恭しい一礼でベートは応じた。ローリングストーンだけは言葉を発さず、ゴブリンロードに殺された部下の死体を見つめている。悲しんでいはないにしろ、哀れには思っている。そんな感じの目であった。

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