第四章:一話 教皇、剣鬼、剣神、そして嫉妬キング
第四章になります。
今後もよろしくお願いします。
白皙の美貌に柔らかな笑みを湛える。宝石や魔石をあしらったバレッタは乱暴に外され、ウェーブがかった長い金色の髪が揺れる。身に纏うのはお抱えの服飾職人が手掛けた、上質な布に金糸で装飾の施された衣類だ。
まだ十代前半の、小柄で可愛らしい少女は、首元や耳といった身体各部を飾る宝飾品を次々に外している。いずれも素人目にも一流だとわかる品々は、価格に見合った扱いをされることなく無造作に机に置かれた。金色に輝き、波紋のような紋様が浮かび上がる瞳は、嬉しさを表すように微かに細められている。
「あら? 随分、機嫌がいいわね」
教皇ルージュが私室に戻って最初に目にしたものは、ニコニコと頬の緩んでいる双子の妹の姿だった。教会最高戦力の一翼を担うアーニャがここまで感情を表に出しているのは、長い付き合いのルージュをしてあまり記憶にない。
「……むっふっふ。ちょーいいことがあったんです」
無表情さを代名詞としかねない『剣鬼』に似つかわしくないほど、アーニャの機嫌は良好だ。一筋の汚れもついていない真っ白な剣を、愛おしそうに撫でている。
「へぇ、綺麗な剣じゃない」
「……わかる? さすがルージュ、いい目です」
「あんたのその態度を見てわからないほうがどうかしてると思うんだけど。ま、いいわ。なにがあったの? 教えなさいよ」
ルージュの口調も平時とはまるで違う、ごくごく身近な相手のみにしか見せない、かなり砕けた口調だ。威厳の二文字は仰々しい法衣と一緒に丸めて椅子に放っている。
「……これは剣じゃなく刀です」
「刀?」
「……ですです。ソウベエに作ってもらいました。といってもこれはテスト品。私の魔力や戦い方をこの刀が記憶して、情報が集まり次第、私に合った唯一無二の刀を作ってくれることになったのです。だからルージュ、刀に戦い方を覚えさせるために、適当な任務を私に下さい。今なら誰でもなんでもどこでも斬ってきます」
熱に浮かされているかのように、うっとりと目を細めて物騒なセリフを並べているアーニャには、ちょっとお近付きになりたくない。
「こっの剣マニアが」
「……なんとでも」
心持ち身を引いているルージュが真眼を細め、アーニャは「んふー」と鼻息を荒くする。
「……それで、ルージュ。私が離れている間、こちらになにか変わったことはありましたか?」
「なんにもないわ。いつも通りよ」
ルージュの白く整った顔には呆れが強く、声には尚のこと強かった。策謀をめぐらす各国の王侯貴族、組織内で出世を巡って熾烈な競争をしている聖職者、多額の寄付をすれば望みをかなえてもらえると思っている富裕層、哀れっぽい声を上げてすがるしか能のない貧困層、魔物退治を誇らしげに語る勇者たち。
「……いつも通り、ですね」
「だからそう言ってるじゃない。そっちは?」
「……天王メリウスと海王トルシガンの秘密がわかりました」
「は?」
「……天王メリウスはヴォルンにハマっているようです」
「知ってるわよ。公式ジャッジの資格を持ってるあたしが蹴散らしてやったわ。海王トルシガンは?」
「……ミスターRのペンネームで活躍中」
数瞬の沈黙の後、
「はあああぁぁぁぁああっ!?」
常に沈着冷静として知られる教皇猊下の素っ頓狂な声が響く。ルージュはミスターRの書く「歌劇の如き愛」の大ファンで、影響を受けるあまり、隠れてロマンス小説を書いているほどだ。清掃スタッフに見つかりそうになった際には、真眼の力で記憶操作まで行っている。
「さ」
「……さ?」
「作品に罪はないから良し!」
曲がりなりにも教皇とは思えない決断である。原理主義的な聖職者のみならず、ほとんどの聖職者なら禁書に指定して、残らず焼き捨てることを主張するだろうに。魔族の勇者に武器を作ってもらったアーニャになにか言う資格はないが、小さな口をポカンと開けていた。
「な、なによ。魔族の幹部についてはもういいわ。他はどうなのかしら?」
「……魔族側の勇者とは確かに接触してきました。聞く限り、召喚時の数はこちらの勇者とほぼ同数のようですが、現在はかなり数を減らしたそうです。砦を落としたのもこの連中です」
「この連中……て、あんたが接触した相手が砦を落としたの?」
「……んふー」
アーニャは嬉しそうに骨刀を撫でる。たった今まで、妹の抱える刀の出所を知らなかったルージュが悟るくらいの、いい笑顔だ。ルージュはため息をつくのを抑えられなかった。アーニャが付いていた勇者の藤山まゆが、必ずゴブリンを倒すと息巻いていることなど、教えてやる気にもならない。
「あんたがその刀を気に入ってるのはよぉくわかったから。じゃ、もう報告は終わりでいいわね?」
「……いえ、もう一つあります。騎士候補が見つかりました」
アーニャの口にする騎士とは、一般的な国家に仕える騎士や教会騎士を指したものではなく、教皇に個人的に仕える「教皇の騎士」である。聖騎士とも呼ばれる彼らは、信仰の象徴でもある教皇の近くに寄り添い、これを守り支えるための存在で、歴代教皇には必ずついていた。中には聖騎士だけで騎士団のような大所帯になった例もある。
ところが、だ。
現教皇ルージュには現在まで聖騎士が一人もいない。ルージュ自身が他人に四六時中、傍に張り付かれることを忌避していることに加え、ルージュが女であることから、あわよくば結婚をと考えた各国の王侯貴族、他名門富豪有力者らからの売込みに辟易してもいるからだ。
アーニャも聖騎士候補なのだが、アーニャの存在は教会でも一部の人間しか知らず、且つルージュとしても切り札として伏せておきたいので聖騎士には任命していないのである。代わりに、聖騎士候補を見つけてくるようにとの命令が教皇直々に下されていた。
「へえ? 見つかったんだ。誰なの?」
「……ソウベエです」
「刀を作ったのと同じ名前なのが気になるわね。どんな奴なの?」
「……アンデッドです」
得も言われぬ沈黙が教皇の私室に満ちる。アーニャは小首をかしげた。
「……どうしました?」
「いや、我が妹ながらなんだけど……あんたって、バカなわけ?」
頭痛をこらえるようにこめかみを押さえながら真眼を細めるルージュに、
「……私はいたって真面目です」
アーニャは頬を膨らませて抗議した。
「……ソウベエはこの骨刀の制作者で、魔王ペリアルドとも十分以上に戦える戦闘力を持っています。元人間の転生者だから性格は魔物よりも人間側。理性的で冗談とかも通じますし、今後、更に強くなることが予想されます。こっちの世界にしがらみがないから、聖騎士としてはうってつけです」
たしかに聞く限りでは能力的には及第点、国家や有力者とのしがらみがない点も大きい。大きいが、だからといってアンデッドを候補に挙げてくる発想がおかしいことに変わりはない。
「……あと、これ」
目をキラキラさせながら、いい仕事をした、と鼻息も荒いアーニャが懐から取り出したのは、宗兵衛が一騎らの協力を得ながら作ったTCGである。教会関係者や各国の騎士をイラスト化、カードゲームにしたもので、アーニャにはスターターセットが二つ渡されたのだ。遊び心地を確かめるために、人間社会でも試してきてほしいと宗兵衛から頼まれたと言う。
ゲームと聞いて、ルージュの頬もかすかに紅潮している。形の良い顎に右手を当てながら渡されたルールブックに目を通す。
「なるほどね、大体のルールはわかったわ。あとは実際にやってみてからね」
「……返り討ちにしてやります」
三分後。
「ちょっと待ちなさい!? あたしのデッキがノーマルカードばっかなのに、なんであんたのにはスーパーレアが入ってんの!」
「……ソウベエに頼んで入れてもらいました。ちなみに『剣鬼アーニャ・アウグスト』のカードはウルトラレアです。星九つの」
「自慢げに見せるんじゃないわよ!? たく……まぁ、このゲームはかなり面白いし、あんたに頼んだのはあたしなんだし、そのあんたが推薦する奴なら、一度くらいは会ってみようかしら」
ルージュの言葉にアーニャはコクコクと頷く。
「……あ、あとはトロウルがうるさいです」
「雑事ね」
いつもより間隔の短いトロウルの活動活発化を懸念する声はあるが、そういった案件は各国が対応するのが先だ。教会が先頭に立てば国境を無視して活動できてしまい、各国の面目を潰すことになる。
そもそもからして、ルージュは魔物の活動などには関心がない。魔物も政治も、動くのは各国であり、教会の武力を担う立場のものたちだ。
「楽しそうじゃな」
挨拶もなしに教皇の私室に入ってきたのは、場に全く似つかわしくないボロを纏った人物である。山本と渡辺の記憶にならある、聖戦の隠者その人だ。
「あら、ひいおじい様」
「……久しぶり」
ふぉっふぉっふぉ、と年寄りの演技笑いをこぼしながらボロを脱いだ老人は、呪文を呟くと若々しい青年の姿へとなる。枢機卿たち教会関係者がこの場にいたなら、驚きに腰を抜かし、顎を外したに違いない。教会最高戦力『五剣』の筆頭、『剣神』グラーフがそこにいたのだから。
「連絡が取れないって枢機卿たちが泣いてたわよ。どこに行ってたの?」
「ふ、あちこちじゃよ」
竜殺しの称号をも有する世界最強の男、その正体はルージュとアーニャの曽祖父であり、先々代の教皇でもある。だがグラーフが教皇だった事実を知るのは、二人のひ孫だけだ。グラーフは寄る年波を理由に教皇の座を退いたのだが、引退後にこともあろうに真眼の力で若返りを敢行、ルージュたちの兄という設定を作り上げたのである。
若返りの目的は、同一時代に三人の真眼保有者を維持させて教会権威を拡大すること、などではなく、純粋にガールハントをするためであった。
教皇在位中は地位目当てにすり寄ってくる連中ばかりで、開き直ろうにも権力争いが複雑に絡んできたせいで欲望に身を任せることができなかったグラーフは、「セカンドライフこそ充実したナイトライフを!」と意気込みを強くしていた。
街に繰り出しては女性に声をかけまくるのだが、その際には真眼は隠している。市民たちの間での『剣神』の人気は高く、それだと教皇だったときと同じく、へつらうだけの連中ばかりが集まってくるだけなので、ナンパの際は己の魅力だけで挑むとグラーフは決めていたのだ。
格好いいと言えなくもない決意はしかし、「乳、尻、太ももおおおぉぉぉおおっ!」と大声で叫び倒している時点で報いられるはずがなかった。
必死のアプローチも実らず、カップルたちの後塵を拝するばかりだったグラーフは、己が内で煌々と輝く嫉妬の炎に気付き、その暗黒面に堕ちる。誕生したのが嫉妬仮面の父にして師、聖戦の隠者であり嫉妬キングだった。
「我が同胞もできた。まだまだこの世界も捨てたものではない。嫉妬の炎は正しくこの世を照らす光となろう」
「嫉妬の炎って、なんかそんな言葉が報告にあったような」
「……あの嫉妬仮面、やっぱりこの人がかかわってたんだ」
「ふぉふぉふぉ! なかなか見所のある若者たちじゃったぞ!」
高笑いをする世界最強の男に、世界宗教の最高権威はジト目を向ける。
「ひいおじい様、あまりふざけていると……政略結婚でもさせるわよ?」
「またぁっ!? 待ってくれ、我がひ孫よ! 反省した! 超反省したから!?」
以前、五十過ぎの過剰な脂肪を搭載して皮膚と肉の弛みきった、有閑マダムとの政略結婚を画策されたときのことを思い出して、グラーフは文字通り飛び上がった。
「そ。ならよかったわ。カリオスが探してたから、顔だけでも出しといてあげて」
「わかった! わかったからもう有閑マダムはお断りじゃからな! 本当だからな!?」
実にきびきびした動作で部屋を出て行くグラーフを見送ったルージュが一言、
「ねえ、ソウベエだっけ? そいつに頼んで、ひいおじい様とオークのメスとの結婚を成立させられないかしら?」
「……ゴブリンのメスとなら絶対確実に可能ですけど」
相手が有閑マダムどころか、人間ですらない事実をグラーフだけが知らなかった。




