幕間:その十三 襲来! 嫉妬仮面!!
「常盤平、君に客が来てますよ」
宗兵衛の、凄まじく既視感の強いセリフと共に押し寄せてきたのは、言わずもがな、猛烈な不安感だった。
しかしだ。白取くるみとフリードという商人によって、集落の生活水準がかなり向上したのも確か。外からの客だからといって、否定的な感情をまず抱いてしまう癖はどうにかせねばなるまい。なにより、気乗りしなかろうとなんだろうと、小暮坂宗兵衛が一騎の心情を斟酌するはずもないのだから。
宗兵衛が、さっさと行け、と態度と雰囲気でせっついてくるので、一騎は長としての責任感から重い腰を上げ、重苦しい足取りで来客用のテントに向かうのだった。
来客用テントは先の戦いで焼失しており、今のテントはくるみたちを通じて手に入れた中古品だ。手入れはそれなりにされていたらしく、以前のものと比べるとかなり綺麗な品ではある。一騎が部下ゴブリンの敬礼を受けてテントに入ると、
「おー待っていたぞ、て本当にゴブリンだよ」
「うわっちゃぁ……常盤平、であってるんだよな? これで間違ってたら恥ずいぜ」
男二人が元気よく、礼儀作法を無視して、随分な言葉を投げかけてきた。
「お、お前ら」
一騎は言葉を失う。当然だ。一騎の目の前にいたのは見覚えのある二人、こっちの世界に来てからではなく、日本にいたときからの顔見知りだったからだ。
「山本! 渡辺じゃねえか! はは、どうしたんだよお前ら!」
感情が決壊する。非モテどうしの鋼の結束と連帯を何度となく確かめあった、在りし日の熱く充実した日々の思い出が、一騎の脳裏に鮮明に蘇り、歓喜と懐かしさのあまり、思わず抱き着いてしまった。そして山本たちもまた一騎を受け止め、抱き返す。
非モテ三銃士と恐れ軽蔑された戦士たちの、久しぶりの邂逅だった。
「どうしたとはご挨拶だな、せっかく会いに来てやったてのに」
「山本……しかしお前ら、生きていたんだな」
「へ、そんな簡単にくたばってたまるかよ」
「渡辺も無事でなによりだ。つか、お前ら、人間型の魔物なのか?」
矢立誠一や霧島玲のようなタイプを連想する一騎に、二人は首を横に振る。二人とも獣型の魔物であり、人に変身する術を使っているだけだとの説明を受け、一騎は少しだけ落ち込んだ。本当に少しだけだ。人間に変身する方法があるのだから、人間に戻る方法もそのうち見つかるだろうと楽天的に考える。
「それにしてもお前ら、よく俺がここにいるってわかったな」
居場所については積極的に外に向けて発信するような真似はしていない一騎にとって、探し当てられるというのは正直、気分のいいものではない。まあ、アーニャや藤山まゆがいる以上、場所はとっくに割れてはいるし、くるみたちを通じて交易を進めているのだから無意味な懸念ではある。山本が自分ではニヒルだと信じている笑いを浮かべた。
「森で勢力を広げている奴がいると聞いてな。こいつは転生者がかかわっているんじゃないかと考えたわけだ」
「いや待て。それだと転生者だとしかわからないだろ。やばい奴だったらどうする気だったんだ?」
古木や赤木たちのような例もあるのだ。渡辺が鼻にまでかかる前髪を、シャラァァンとかき上げた。
「ふ、三銃士を結成してからどれだけの付き合いだと思ってる? 離れていても、姿形が変わっていても、おれたちにはお前のことがわかるのさ」
「お、お前ら」
『『それが、真実の仲間ってもんだろう?』』
ぶわ、と感激の涙が一騎の頬を伝う。仲間の存在とはこんなにも心温まるものだったのか。ゴブリンに転生して以来、友情の美しさをここまで強く実感したのは初めてだった。
「勢力を広げてるのがゴブリンだと聞いてな。間違いなく常盤平だと確信してここに来た」
「ああ。ゴブリンみてえなクソ雑魚に転生する不幸を引き当てるなんざ、お前以外にはありえないとわかっていた」
「確信するにももうちょっと他のポイントがあるだろ!?」
どうやら転生直後の洞窟でのやり取りは、記憶していないらしい。あれだけ混乱していたのであれば仕方ないことかもしれない。
「まあ待て待て。せっかく再会したんだから、土産を受け取ってくれ」
「土産?」
「これだ」
山本が足元に置いていた袋から取り出したのは、酒だった。出所を怪しむ一騎に、渡辺が自信満々に返す。
「大丈夫だって。見ての通り人間に化けることができるからな。正々堂々と買ってきたものだぜ。買う以外にも支持者からの貢ぎ物もあるしな」
「支持者?」
なんのことかわからず、首を横方向に三十度ばかり傾ける一騎は、高校生の身で飲酒することに多少の抵抗感を覚えるが、多少程度の抵抗では誘惑に打ち勝つことは極めて難しい。この世界での成人年齢が十五歳であることや、魔物には関係ないと押し切られ、人生初飲酒に挑むのだった。
「よっしゃー! かつての同志がようやく一堂に会したんだ。こうなりゃやることは一つだろ!」
山本たちが持ち込んだ酒は既に三本が空になっている。いい感じに酔いが回ったところで、山本が空き瓶片手に木製のテーブルの上に立った。コップに残る酒を飲み干した一騎が応じる。
「三銃士の再結成だな!」
「その通りだ! そしてこれがお前へのもう一つの土産だああぁぁっ!」
渡辺が懐から取り出して机に叩きつけるように置いたもの、それは炎をかたどった仮面とショートタイツだった。渡辺が続ける。
「こいつこそが我らの新たな力、その名も嫉妬仮面! 世に蔓延るリア充という名の悪辣非道の邪悪どもを一人残らず滅殺するための唯一無二にして至高の力! 受け取れ、常盤平!」
「受け取ったあああぁぁぁぁああっ!」
ゴブリンの手が仮面とショートタイツを力強く掴む。山本と渡辺は落涙しながら頷いた。
「お前なら必ず受け取ってくれると信じていたぜ」
「当たり前だ。リア充死すべし! イケメン滅ぶべし!」
「我ら、嫉妬の炎に生涯を捧げた孤高の戦士! これからもリア充どもに我らの当然の権利である正義の制裁を加えていこう!」
「任せろ! 世のカップルどもを一人残らず地獄に送ってやるさ!」
『『さすが常盤平。お前のことだ、相変わらず女とは縁がないんだろ?』』
――――え?
唐突に、常盤平一騎の全身が固まった。脳裏に浮かんだのは、エストの笑顔だ。最近ではクレアが飛びついてくる映像もある。脂汗と冷や汗が滝のように流れてきた。
「わかってる。皆まで言うな。ゴブリンみたいな醜い姿じゃそれも仕方ないさ」
「けど嫉妬仮面の友情と結束は永遠だぜ。一緒にリア充とカップルを駆除して回ろうじゃないか」
「ハハハ、ソウダネ」
これはまずい。実にまずい。非常にまずい。極めてまずい。エストやクレアのことがばれたらどうなるのか。エストに毎日食事を作ってもらっていること、毎朝起こしてもらっていることや、エストやクレアがベッドにもぐりこんでくることなどが知られたらどうなることか。
「いやー、それにしても参ったよ。なんでも森のゴブリンが美人の精霊と一緒にいる、なんて荒唐無稽にもほどがある噂が広まっててよ、思わず笑っちまった」
「ハハハ、ソレハ確カニアリ得ナサ過ギテ面白イネ」
「だろ? ゴブリン如きが美人と一緒にいるなんてあるわけねえっつーの。そんな間違いがあるようなら」
「アルヨウナラ?」
『『首を胴体から引き抜いてミンチにしてやる』』
「……」
どうもこの山本と渡辺、魔物化してから思考がより過激且つ攻撃的になっている。万が一にもエストたちのことが知られた場合、こいつらは絶対に容赦などしない。仲間だろうと同志だろうと友人だろうと、一瞬の躊躇いもなく粛清しにかかってくるだろう。一騎は決意した。エストとクレアのことが露見する前に、
(殺るしかない!)
追い出すという発想にならないのは、嫉妬の炎に囚われたものの宿命なのだろうか。
(幸い、近くには森がある。人知れず屠るには好都合! 俺自身を守るため、上手くやるんだ、俺!)
一騎が拳を強く握りしめたタイミングで、
「あ、この人たちがイッキのお客さんなの?」
エストがテントに入ってきた。
『『『っっ!?』』』
激しく動揺する三人の前で、エストは丁寧に頭を下げて挨拶をする。
「初めまして。わたしはエスト。イッキにはとてもお世話になっています。お二人は」
「ちょっとお待ちください、美しいお嬢さん」
「私どもにはこちらの常盤平と内内で早急に確認しなければならない事案が発生いたしましたので」
戸惑うエストを置いて、三人はテントの隅に移動する。正確には二人が移動して、もう一人は首根っこを鷲掴みにして引きずられていく。
一騎の頭部は山本の右手に、一騎の左肩は渡辺の右手に、それぞれ掴まれ、一騎の顔のすぐ近くには嫉妬の炎と毒に全身を冒された同志の顔があった。
『『どういうことかな、同志常盤平くん!?』』
二人の目がどす黒く濁っているのは、一騎の錯覚ではないだろう。
「ままままままさか! 彼女だとでもいうんじゃないだろうなぁぁぁああっ!?」
「我らの血よりも濃い鉄の盟約を忘れたのかね、あぁはぁぁん!?」
正気を失う五秒前、といったところか。
「ちちち違うんだ! 落ち着いて話を聞いてくれ! 彼女は今日、偶々ここに来ただけで、俺とはなんの関係もないんだ!」
『『なんだそうか』』
まるで空気の抜ける風船のように、急激に態度が軟化する二人。そこに、
「そうだ、イッキ。今日のお昼ご飯はイッキの食べたがっていた鶏のから揚げにしたからね」
『『どぅぅゆうぅうことかなぁぁぁあ常盤平くううううぅぅぅんん!?』』
「決まっているだろう! 今日は偶々、彼女が食事当番だったというだけのことさ! なんならお前たちも食べていくといい。いいだろう、エストさん?」
「別にいいけど」
返答するエストは少しだけ頬を膨らませている。どうやら怒っているようだが、その仕草すらもモテない男たちにとっては刺激が強い。山本が自分の胸を掴んで大きくのけ反った。
「わかったよ、渡辺」
「な、なにがだ、山本?」
「ここが魔物の村なら、魔族の勇者である俺たちにだってモテるチャンスがあるってことをさ」
「!? や、山本、貴様、まさかっ」
「そうだ! この身は、エストさんに交際を申し込――――」
「ねえ、イッキ。どうしてさん付けなのよ。いつも通り、呼び捨てにして」
『『とぉおOぉきわああぁAぁDいらkうううUUUUぅぅぅwwwんんNNnっ!?』』
「ひいいいぃぃぃいいっ!?」
山本と渡辺の両目はすべての毛細血管が破裂して真っ赤に染まり、顔面にも四肢にも何本もの血管が浮かび上がり、全身からは瘴気ですらない禍々しいなにかが吹き上がっている。ここまでくればもはや言葉は不要、ではなく言葉は届かない。嫉妬に狂った二人は命尽き果てるまで戦いに身を投じるだろう。
一騎も自らを守るため、全力で応戦せざるを得ない。鉄の絆で結ばれている三銃士の、血で血を洗う戦いが幕を開けた。
『ぶち殺しますよー?』
騒ぎに駆け付けたラビニアが右腕を巨大な口に変えて、最初の恐怖を思い出させることでようやく愚かな戦いは終わりを見たのである。




