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幕間:その十二 商人、来る

「常盤平、君に客が来てますよ」


 宗兵衛の声は普段と変わりなく、それだけに一騎の心に不安の影を落とす。なにしろ藤山まゆという裏切りを経験したばかりなのだ。ついでに赤木たちグールには襲撃され、あるいは傷ついたマンドラゴラたちが現れるなど、外からくる客にいい印象など持ちようはずもない。


「客って誰だ? 魔物か?」


 一騎が人間よりも魔物のほうがマシだと思うのは無理からぬことで、魔物か、と問いかけたことは、人間だと厄介なことになりそうだとのマイナス方向への思考があったからだ。一騎の顔の横では、ゴーストのクレアもコクコクと頷いている。


「魔物と人間が一緒に来てます」

「……」


 なんとも反応のしようがない。魔物がマシだと思っていたところに人間が来たことへの困惑と、魔物と人間が一緒に行動しているという、ちょっと予想できない事態のせいだ。藤山まゆやアーニャは、はっきり言ってかなり特殊な例だろう。


「来客用のテントは燃えてしまいましたからね。教会に案内しようかと思ったのですが、向こうが集落を見て回りたいと言っていたので、希望を優先しています。来客は目立つからすぐわかるでしょう。では、頼みましたよ」

「待て。勝手に頼むな。お前も一応仮にも集落の副長だろうが。一緒に来い。てかフォローがあるととても助かるから一緒に来てください」

「土下座が足りませんね」

「どんだけ上に立つ気だてめぇ!」


 言い争っていても、面倒事が来たという現実は消えない。大きく深い深呼吸――のように見えて実は溜息以外の何物でもない――を二度繰り返し、一騎は足に力を入れる。


『我が闇の祝福がきっとイッキを守るから!』


 クレアの励ましだけが心の支えだった。


 ――――ひえぇぇぇぇ、ほ、ほんとに魔物ばっかりですよ、くるみさん。

 ――――見りゃわかるわよ。それにしても、へぇ、結構、いい感じじゃん?

 ――――どこがですか!? て、ひぃ! ハハハハーピーまで!

 ――――だからうるさいってば。


 集落から聞こえてくる男女二人の声と、ざわつく魔物たちの声。一騎がこそこそと眺め見たものは、集落を興味深げに眺める町娘と、町娘にくっついてガクブルしている中年と、二人を遠巻きに警戒している部下たちの姿だった。


「しっかりしてよフリード。これでも頼りにしてるんだから」

「ひぇぇぇぇ、勘弁してくださいいいぃぃい」


 フリードは高速で首を横に振り、その拍子に、首にかけた汚く頑丈そうなプレートが鈍く光る。


『『『!?』』』


 好奇心や警戒や不安などの感情が入り混じって魔物たちは、一斉に警戒と攻撃を前景に押し出した。歯を剥き出しにし、唸り声が低く、武器を握る手は力強い。


『イッキ、あいつ、冒険者よ! だが笑止! その程度で我が闇を切り払うことなどできはしない!』


 クレアたちの感覚を一騎は共有できなかった。どころか、心中には喜びと感動が湧いていた。


(そうだよな。ここってファンタジーだもんな。異世界転生ものなら冒険者とかギルドとかは鉄板だよ。あーくそ、マジで嬉しくなってきた。冒険者かー、やっぱランクとかあるのか? あるんだろうなー)


 知らず、一騎の頬は緩んでいた。喜びに体をくねらせながら小声でぼそぼそと、際限なく独り言を続ける様を、周囲から怪訝そうに見られていることにも気付かず、『ちょ、どうしたの? く、我が下僕に混乱の魔法を使ったか、冒険者め』というクレアの見当違いの心配によって初めて中止された。


「おほん、俺がこの集落の長を務める常盤平だが、そっちは、どうやら俺と同じってところでいいのかな?」


 話しかけた一騎に少女が少し頷いて口を開き、言葉を発すよりも早く


「ゴゴゴゴブリンが喋ってるぅぅぅっ!?」


 少女の後ろで震えている中年が絶叫した。少女が呆れ顔で頭を軽く振っているのが対照的だ。一騎はこのままだと話が進みそうにないので、来客用テントに二人を案内、しようとして燃え落ちていたことを思い出す。仕方なく礼拝堂に案内することにした。礼拝堂も半壊状態ではあるが、椅子はあるし、テーブルを置くこともできる。来客用テント(跡地)よりかはマシであろう。


「改めて自己紹介を。俺は常盤平一騎。知ってると思うけど、魔族の勇者――転生者って奴だ」

「あ、はい、ご丁寧な挨拶ありがとうございますです。わたくしはフリードと申します。一応、冒険者ではありますが、本業は行商を営んでおりますです」


 そこまで話し、フリードはしげしげとグリーンゴブリンを見つめた。


「それにしても……ははぁ、聞いてはいましたけど、本当にくるみさん以外にもいてるんですなぁ」

「だからそう言ってるじゃない。でも常盤平ってことは、学校のどこかにいるって噂のあった天馬君の双子のお兄さんなの?」

「シクシクシク」


 あまりと言えばあまりな扱いに泣き崩れる一騎。天馬とは双子だ。仲が悪いから一緒に登校することはなかったが、それにしても「どこかにいる」とはなんという言い草だろうか。しかも噂とは。


「あ、ご、ごめんなさい。そういう噂があったていうか都市伝説とか七不思議がね?」

「いや、いいんだ。わかってる。あいつと比べたら俺なんてキモいしデブだしオタクだし学力底辺だし友達少ないし」

「え? 取り柄なし?」

「ぐはぁっ!?」

『ちょ、失礼なことを言わないで! イッキは我が闇に魅入られし第一の僕。世に混沌をもたらす魔女の先兵の裁きの雷を恐れなさい!』


 落ち着いて話ができる場所ということで礼拝堂に来たというのに、かえって話が進まなくなっている。


「つまり、君たちは商売目的でここを訪れたというわけですね?」


 宗兵衛が発言しているのは、長である一騎のグダグダを見兼ねたからである。当然のこと、スケルトンが喋ることにフリードは腰を抜かし、くるみは宗兵衛の頭の上にいるラビニアに怒りをぶつけた。ラビニアが相手を無視するところまでが一連の流れだ。


「そうよ。魔物になったからといって魔物の生活に馴染めるわけがないからね。かといって魔物が人間の商品を手にする機会が都合よく転がってるわけじゃない。そういう元人間相手に商売をしようってのがこっちの基本方針なわけよ」


 ラビニアを無視することに決めて事情を説明するくるみに、渡りに船とはこのことか、と一騎は内心で小躍りしたくなった。なにしろ魔の森の中では、食料調達すら満足いく水準にはならない。エストの高い料理スキルがあるからこそ不満はないが、そうでなければ一騎の精神はかなり荒んだものになっていたに違いない。


 家にしても建築技術云々の前に道具がない始末。これは、集落を全体的に底上げする絶好機に思えた。一騎と宗兵衛の視線が交錯し、頷き合う。これを逃す手はない。


「是非お願いしたい。食材や種苗、道具類があるとかなり助かるんだ」

「そう来ないとね」


 話はとんとん拍子に進む。


 どうやらこのフリードという行商人、かなりに商才に恵まれていないようで、今までは苦労の連続だったらしい。フリードが冒険者に登録し、くるみが危険度の高い仕事を実際にこなすことで稼いだ金を元手に、商売を広げようとしているとのことだ。


 一応、集落にも金はある。魔物たちが人間から奪ったもの、この前の一戦で宗兵衛がどさくさ紛れに砦の倉庫からかっぱらってきたものだ。


「もう一つ、よろしいですか」


 宗兵衛が切り出したのは職人の確保だった。道具や資材が揃っても、それらを扱うことのできる技術や経験がないとどうにもならない。集落の建物が日曜大工のレベルにすら届かないのもここが原因だ。現状だと宗兵衛が骨から道具を作っても、扱うための技術や経験が低い。一騎と宗兵衛にも指導するだけの知識や経験がない。くるみたちとの接触は、集落を全体的に底上げできる千載一遇のチャンスと言えた。


「さすがに魔物の村に技術者を呼ぶのは」


 くるみは渋い顔をするが、フリードはなんとかできるかも、という。


「確かに人間を連れてくるのは無理ですけど、ドワーフのような妖精族ならなんとかなるかもしれません」

「ほう! ドワーフとな!」


 一騎の目には無数の星が煌めいた。内政無双に近付ける、からではなく、ドワーフという単語にこそ興奮しているのだ。


「冒険者、ドワーフ……これぞファンタジー、これぞ異世界転生」


 うっとりして今にも昇天しそうな勢いである。未だに異世界転生に夢とか希望を抱いているのだから、案外、一騎の神経はかなり図太いのかもしれない。


 一貫して平和的友好的に話は終わり、集落が必要としている物品の一覧を書き出し、代金を支払う。道具類は宗兵衛が骨で作ることが可能なものも多いので、主に食材や種苗が中心だ。他には周辺の地図、国や地域の情報である。宗兵衛とくるみが値段交渉している端で、一騎はフリードを引っ張って人気のない場所へ移動した。個別に、内密に頼みたいことがあるからだ。


「なるほど……聖典、ですか」


 聖典 = エロ本


「お任せ下さい。かくいうわたくしもいくつも持っております故」

「助かる。ゴブリンたちが持ってたやつはすべて灰にされちまったからな」

「それでしたらイッキ様も……そうですね、帝国で冒険者になってみてはいかがですか? 冒険者なら堂々と人間の街に出入りできますよ」


 いきなりの無茶振りである。いくらなんでも魔物のゴブリンが冒険者になどなれるはずがないだろうに。


「いえいえ、ご心配はもっともですが、イッキ様でしたら恐らくはホブゴブリンの扱いになるでしょうから、問題なく冒険者になれると思いますよ」


 ホブゴブリンとはゴブリンの亜種で、ゴブリンよりも気性が大人しく知能も高い。人間を含む他種族ともうまく付き合っており、人間社会ではドワーフなどと同じように亜人に分類されて冒険者として活躍するものもいる。一方、見た目はゴブリンとほとんど一緒で、穏やかな気性と人語を話す知能ぐらいしか、見分ける術がないのも事実なのだ。


 問題なのは亜人の括りが国によって違う点である。ドワーフは帝国でも王国でも法国でも亜人として扱われているのに対し、ホブゴブリンを亜人扱いするのは帝国ぐらいしかない。王国や法国ではホブゴブリンは魔物として討伐対象にもされるので、ホブゴブリンが冒険者として活動できるのは帝国領内だけに限られる。だからこそ、帝国には多種多様な種族が流入しているのだ。


 一騎の水準で人語を操れるのなら、まずホブゴブリンとして扱われる、というのがフリードの意見だった。一騎も冒険者となれば、あちこちに出向くことが可能で、その中には各地の歓楽都市も含まれるというのだ。


「帝国領のペグルという温泉町はおススメですぞ。バインバインで薄着のお姉ちゃんたちが目の前でダンスをしてくれるだけでなく、交渉次第でお持ち帰りもできるのですから!」

「なんと! そんな天国みたいな場所が!?」

「それはもう! ぜひぜひ案内させていただきますぞ」

「お主も悪いねぇ」

「いえいえいえ、イッキ様こそ」

『『ぐっへっへっへ』』


 もちろんのこと、両者の密談は露見することになり、エストとクレアだけでなく、くるみまで加わって制裁が実行される事態となった。一騎とフリードが泣き叫んでいる隣で、効果的な仕置きと躾けの方法について真剣に相談している女性陣を確認したラビニアは、


『宗兵衛さんも興味ありそうですよねー?』

「ははは、まさか。僕の頭の中にあるのはいかにして集落を繁栄させるかだけですよ。色欲に身を任せるなどありえません。ええ、論ずるまでもないことです」

『リディルに確認を取っても大丈夫ですかー?』


 きゃるん、と小さな顎に人差し指を当てて可愛らしく小首をかしげるラビニアに、宗兵衛は唐突な沈黙で応える。沈黙で応える以外の選択肢があるのなら示してほしいものだ。


《ラビニア、今はアンデッドとはいえ、主も健全な思春期男子です。あのような誘惑に興味を示すのは無理からぬことであり、男子の性的欲求に対しては一定の理解を示す必要があると判断します》

「ちょ! やめてください! いや本当に、もうやめてください。お願いですから!?」


 理解を示されるのも苦行に等しい。


「……なんでしたら、わたくしがハーレムの幻を見せることができますけど?」

「ジト目で言わないでいただきたい!?」


 ラビニアに威嚇され、リディルに気遣われ、アーニャに呆れられる。宗兵衛のライフポイントはどれだけ低下していることか。なにはともあれ、念願の人間との接点ができ、集落の事情は少しずつ改善していったのであった。

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